【映楽院亨山徳成居士】
読み方は、【えいらくいんこうざんとくせいこじ】
《楽しい映像(映画・テレビ)をたくさんプロデュースして人々を楽しませ徳を成したひと》 という意味です。
オヤジの亨という一文字を入れて、亨という文字はコウと読むそうです。
オヤジの葬儀の読経およに戒名の名付けをお願いしたお坊さまは、私の義父の葬儀の読経をしていただいた方です
オヤジの葬儀で避けたかったのは、慌しい中で何も分からず流れ作業で執り行われることでした。
義父の葬儀などに読経していただいたお坊さまは、もう9年前になりますが印象深く先々、お世話になりたいと考えておりました。
後日、7月30日からの時系列で何が起こったのかをUPしたいと考えています。
新聞報道で、喪主が次男である私がすることをお知らせしました。
兄弟で両親の世話をする上で、私が担当だったこと。
オヤジの仕事関係やマスコミ対応を考えての、喪主の申し出となったのです。
確かに、兄とオヤジの関係が良好ではありませんでした。
本当に接触を避けたいのであれば、2011年4月の緊急入院騒ぎに実家に行かないでしょう。
そして事ある毎に、私に様子を伺ってきました。
親子断絶をしたのであれば、通夜密葬に参列もしないはずです。
それどころか、親戚筋への連絡や応対をしてくれました。
やはり父子の繋がりは断ち切ることは出来ないのです。
一連の密葬が終盤に差し掛かり、納棺されたオヤジのカラダの上に特別注文でつくった原稿用紙、2Bの鉛筆。
父が俺の本を出せと命じた【泣き虫プロデューサーの遺言状】を1冊入れました。
いただいた献花をこれでもかというくらいに、並べて入れた時です。
いままで我慢を重ねていたものが溢れ出し、泣きました。
もう、父の姿を見ることが出来るのが最期になると思うと、止まりません。
葬儀をだすことに、いろいろと考えました。
業界関係者を迎えて大掛かりな葬儀をすることは、この日程や平山家の力量から考えて無謀だと判断した次第です
後日、改めて【偲ぶ会】をプロデュースし、会場や日程が決まり次第、報道やブログ、Twitter,Facebookでお知らせしたいと思います。
次回のブログ記事は、アマゾンライダーの岡崎徹さんの弔電をご紹介します。
この話題はここまで。
では、また。
- 関連記事