百田尚樹氏の作品は初めて読んだが、“女性の容姿の美醜・外見と内面・美容整形”という一連のテーマを取り上げた『モンスター』は、エンターテイメント小説として最後まで読ませる物語としての面白さはある。 内容自体は、他人から受け容れてもらえない“容姿の醜さ”に悩み続けてきた田淵和子が、上京して美容整形と出会うことによって、他者を寄せ付けない圧倒的な“容姿の美貌”を手に入れ人生を変えるという陳腐でありふれたストーリーだが、『たかが顔の皮一枚』と揶揄する容姿によって振り回される女性の自意識と周囲の反応を戯画的に切り取っている。 美しい外見やスタイル、ファッション(コスメ)などのメディア情報が氾濫している現代は『ビジュアリティ(視覚的な美)の時代』と言われることもある。今までの“ジェンダー(社会的性差)”では女性だけに求められることの多かった『美貌・容姿の魅力』が、男性にも求められることが増えてきており、男性でも『容姿・外見に対するコンプレックス』に深く悩む人が増えているという時代の変化もある。ウェブでは“ただしイケメンに限る”といった自虐的なコメントもあるが、若い世代の恋愛では特に『外見(見た目)よりも内面が大切』という従来の道徳的言説の有効性を懐疑しやすく、『反射的・直感的に異性を魅了する容姿・外見』に惹きつけられやすくなる。 『モンスター』では、何も悪いことをしていないのに嫌悪され嘲笑され差別を受け続けた“醜さの極”にある田淵和子と、何も良いことをしていないのに賞賛され甘やかされ厚遇(優遇)を受け続ける“美しさの極”にある未帆(名前と顔を変えた和子)とを同一人物に演じさせることによって、そこまで劇的に容姿を変えられるだけの美容整形の現実味はともかく、『中身は同じにも関わらず皮一枚の顔の造型で変わる人生+周囲の反応』という冷酷な現実を私小説的に描いている。 実際にはラディカルな『醜さと美しさの最高の極』に位置する人はそれほどいないわけで、本作や漫画で描かれるほどの悪罵・嘲笑・悪口が無遠慮に投げつけられることも少ないと思うが、容姿の醜さと周囲の冷たい対応によって傷つけられた和子の性格や恋愛観は、大きな歪みを受けていきコンプレックスが強まっていく。自己嫌悪・将来悲観の高まりや好きな相手との恋愛に対する絶望から、中学生の頃に『長く好きだった男子』の目をメタノールで失明させようとする事件(実際には失明はしないのですが)を起こしてしまい、その事件によって和子の家族はバラバラになり、その恐ろしい振る舞いから『モンスター』と呼ばれるようになった和子も、更に孤独な人生を歩むことになる。 容姿だけを揶揄されてモンスターと呼ばれるようになったのではなく、好きな相手を失明させて『容姿の視覚による差異』を無くそうとした陰湿で利己的な行動・考え方からモンスターと呼ばれるようになったというのは印象的だが、和子がそれまでの学校生活や人間関係で受けてきた謂われ無き悪意や罵倒、差別、侮辱などを考えれば、そういった性格形成の歪みや内向的な妄想が生じても仕方がない面はあるだろう。 生まれながらの容姿がもたらす自意識と人生への影響という『美の宿命性』、美容整形によって遺伝的に与えられた外観を改造してより望ましい方向に変化させていくという『美の可変性(整形可能性)』というのが、本書の通奏低音である。中身は同じ人間でも外見を変えるだけで人生や男の反応の新たな局面が開かれていくという部分に、娯楽小説としての読み所を持ってきているが、小説としての展開の意外性や人間心理の表現の部分でやや深みが足りないのは残念である。 本書『モンスター』ではその失明させようとした初恋の男性との恋愛関係が最後まで物語の中心に置かれており、その初恋のきっかけは『幼稚園時代に二人で夜の町・公園を歩いたというほのかな記憶の共有』であり、男性のほうは相手の女の子の名前も顔も全く覚えていない故に美しい思い出になっている。和子(未帆)のほうは、相手の男の子の顔も名前も覚えており、相手にその初恋の女の子が自分であることに気づいてほしいが、その相手が外見が醜い自分であったと知ったら、その初恋の思い出(その男性の内面における美しい記憶)までもが傷つけられて失われてしまう事を恐れているのである。 実際に幼稚園時代の初恋の記憶が、20〜30代まで有効な行動の動機づけとして影響するというのは考えにくいが、それまでの人生で『その幼少期の初恋の記憶以外の良い思い出』が一つもないという和子(未帆)の設定によって、その物語の流れが何とか受け容れられる程度にまで整えられている。容姿不問のアンダーグラウンドな風俗産業でお金を稼ぎながら、その蓄財の全てを『美容整形(自己改造)』に投資して、少しでも『過去の受け容れられない自分』から遠ざかり一切の過去の暗い痕跡を掻き消そうとする和子。 卓越した人目を引く美貌を手に入れてからは『未帆』という名前に変名して、生まれ故郷の田舎町には不似合いな高級レストランを開業させるのだが、その真の目的は“初恋の男(幼時の美しい記憶を共有する男)”と再会することだった。それ以前の性格で選んだはずの夫との結婚は失敗に終わるなど、未帆(和子)は容姿がずば抜けて良くなったが故の『男の選び方の難しさ』も味わっており、余りに外見で相手を魅了し過ぎてしまうために、『相手の本当の性格・生き方』のようなものが見えにくくなってしまっている。 初めは誰もが美しい自分(未帆)のためなら何でもする、どんな自己犠牲でも払うと傅く(かしずく)ような卑屈な態度を見せてくるのだが、『美貌の影響力』は永続的なものなどではなく、冴えないように見える男性でもいったん自分のモノと思い込んだ女性(いったん関係を持って安心感を持った女性)に対しては、それほどの献身や奉仕を払わなくなってしまうのだ。そういった経験から、未帆は簡単には肉体関係を持たないこと、関係が持てそうで持てない状況を続けて男を焦らすことが、『自分の美貌の魅力を長続きさせるため』の最良の方法だという経験的な駆け引きを学んでいた。 『モンスター』というタイトルには、『外見的な醜悪さ・不細工』という意味以上に『内面的な歪曲・悪意・利己性』といった意味が二重構造のように込められていると感じるが、醜かった和子は多くの男を虜にする美しい未帆になってからも、『(作られた未帆の顔・体だけではなく)自分自身を真にかけがえのない存在として愛されること』を望んでおり、その最後の望みは悲劇の結末と同時に満たされるという終わり方になっている。また、初恋の男性だけではなく風俗業で和子のことを守ってくれたやくざ風の崎村という男も、『未帆の表層的な容姿・スタイルの美貌』には何の関心も示さず、『和子自身の人生の苦悩・美のコンプレックス』を丸ごと受け止めるような度量を示す男として描かれている。 容姿の美しさや醜さにまつわる羨望や欲望、嫉妬、苦悩、それらに基づく美容整形といったテーマだけを小説にするとどうしても表層的な物語で通俗化しやすいと思うが、『モンスター』のようなテーマの小説でもう一段階、生物学的な深みや社会学的な掘り下げを加えた作品を読んでみたいと感じた。 ■関連URI 個人主義的なプライバシーの尊重と結婚制度を巡る認識の多様化:コミュニティの社会的圧力の観点から 恋愛心理と“市場経済・進化心理学”の視点による異性関係の解釈1:恋愛の選択は自由市場に似ているか? 恋愛・結婚におけるカップリング(相手選び)の心理学2:自己評価と美男美女の外見へのこだわり ■書籍紹介 |
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