特集ワイド:続報真相 山本太郎が語る母、原発、政治… 東京・高円寺の焼き鳥屋でジョッキ傾け「ハゲがだんだん大きくなる」
毎日新聞 2013年08月02日 東京夕刊
気になる男が永田町にやってきた。芸能界で干されても「脱原発」を訴え続ける俳優の山本太郎さん(38)。66万票を得て大激戦区の参院選東京選挙区を勝ち抜いた。初登院を控え、彼が政治に目覚めた原点ともいえる東京・高円寺で、その思いを聞いた。
ビル2階にある事務所は熱気が残っていた。お決まりのコチョウランは1鉢だけ。ボランティアたちは記録づくりのためか、せっせと新聞記事をカメラに収めている。ややあって、Tシャツに短パンの太郎さんがふらり。誰も振り向かない。「先生」が誕生したわけではないからか。高円寺の思い出から聞いてみる。
「16歳で東京に出て、初めてできた彼女が高円寺のコでね。お父さんは画家、自由な人だった。こういう人がいるのか。カルチャーが生まれるようなところなんだなと」
若者にとって高円寺はまぶしい。刺激に満ちたライブハウスがあり、こだわりの中古レコード屋があり、何より夢を持った若者がうじゃうじゃいる。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「ダンス甲子園」に出場するため、兵庫県宝塚市から上京してきた彼もそんな町に胸躍らせたはず。その20年後、3・11をきっかけに高円寺は別の顔を見せる。反原発デモである。
「そもそもは4月9日の孫正義さんのツイート。『原発賛成? 反対?』ってつぶやいていたので、『反対!』と返したんです。その翌日が高円寺デモ。朝、大阪のテレビで生放送をやって、東京の家に戻りデモに出かけようとすると、母親が私も行く、と。デモって火炎瓶、ジュラルミンの盾のイメージで。母親がいたら足手まといになるからと1時間ほどもめて。緊張して高円寺にきてみると拍子抜け。みんな命を守ろうなんです。あったかい気持ちがあふれている。愛ですかね」
母子家庭で育った。戦友、同志、母をそう呼ぶ。小学1年生のころ、親子でフィリピンを旅する。母は現地の子供の里親ボランティアに入っていた。「毎年、お年玉の何%かを徴収され、好きな団体に寄付しなさいと言われたりしてね」。その母はこの2月から太郎さんの妻とフィリピンに移り住む。「僕も母の家探しのお供をした。帰国する前日、僕にずっとここにいなさい、と言う。僕が全国で出会ったお母さんたちと同じ。だから僕は親不孝なんです。福島第1原発であれだけの事故を起こしながら、国はただちに人体に影響はないと説明する。セシウムとヨウ素しか測っていない。31種類も放射性物質が漏れだしたというのに。切り捨てですよ。わからないなら予防原則でしょ」