2012-07-11 03:07:08
posted by ultimate-ez
【書評】『モンスター』百田尚樹(ネタバレ)
テーマ:├ 小説あらすじ
田舎町で瀟洒なレストランを経営する絶世の美女・未帆。
彼女の顔はかつて畸形的なまでに醜かった。
周囲からバケモノ扱いされる悲惨な日々。
思い悩んだ末にある事件を起こし、町を追われた未帆は、整形手術に目覚め、莫大な金額をかけ完璧な美人に変身を遂げる。
そのとき亡霊のように甦ってきたのは、ひとりの男への、狂おしいまでの情念だった―。
感想
『永遠の0』のバカ売れが記憶に新しい百田尚樹の新刊文庫『モンスター』。
本作も、発売直後から書店で平積みされているのをよく見かけ、『永遠の0』以降、百田尚樹が完全に人気作家になったことを感じさせられる。
ただ、僕自身、『永遠の0』を2010年の個人的小説ランキングの6位に挙げといてこんなこと言うのもなんですが、「百田尚樹という作家の作風が好きか?」と聞かれたら、正直なところ、僕は決して「好き」ではない。
というのも、(『永遠の0』の感想でも書いたことなんだけど、)百田尚樹の文章はかなり単調で、事象の描き方が淡々とし過ぎている気がする。
言うなれば、「文学としての色気」を感じないのだ。
それ故にサクサクと読めるんだけど、僕の個人的な嗜好で言えば、もう少しジメッとしていて、文章の隙間から作家性が滲み出ているような、悪く言えば「クセのある文章」が好きなのだ。
こういう「色気がない」文章って、百田尚樹だけじゃなく、放送作家出身の作家に共通する特徴だと思う。
過去にも感想を書いた岩崎夏美の『もしドラ』や鈴木おさむの『芸人交換日記』(『芸人交換日記』は、放送作家出身作家の文章の特徴をうまくごまかせてましたけどね。)なんかの時も同じようなことを書いたんだけど、現場での出演者の演技や演出(時にアドリブ)が加わることで「完成」する文章という感じで、どこか「未完成」に感じてしまう。
これが、僕なりの放送作家出身作家の印象で、“そういうトコが、あまり好きじゃない”のだ。
だったら何故『永遠の0』はあんなにも魅力的だったのかっていうと、それは、作中で描かれていた「宮部久蔵」のエピソードそのものがたまらなく魅力的だったからに他ならない。
だからこそ、文章表現がドライで表現力に乏しくても、否、むしろ淡々とした文章だったからこそ、まるでノンフィクション作品のように、エピソードそれ自体のおもしろさが際立っていたのだ。
(その証拠に、作品内で狂言回し的役割を担っていた現代パートはまったく魅力的じゃなかったし、そもそも記憶にほとんど残っていない。)
とまあ、『モンスター』とはあまり関係のない話を長々と書いてしまったけれど、そんな放送作家出身作家の捉え方ありつつ、「ま、いつもみたいな感じなんだろうけど、とりあえず読んどくか!」という気持ちで手に取ったのが本作だった。
そんなわけで、ほとんど期待せずに読み始めたわけだけど、これがまた予想に反して、なかなか面白い作品だった。
本作のあらすじを簡単にまとめると、畸形的に醜い女性が整形手術を繰り返して絶世の美女に生まれ変わり、自分の過去と愛憎入り混じりながら向き合うというお話。
こうも簡潔にまとめてしまうと、いかにもありがちな話に見えるんだけど、実際はかなり予想外の物語展開がある。
ミステリーのような「どんでん返し的なオチ」とはちょっと違うんだけど、「きっとこういう話になるんだろうな」と想像しやすいテーマだっただけに、かなり新鮮に感じられる展開が用意されていた。
まぁ、本作のような「美容整形」がテーマの作品って決して珍しいものではなく、常軌を逸して「美容整形」を繰り返す主人公像っていうのも、この手の作品としては定番。
(最近映画化が話題の『ヘルタースケルター』なんか、まさにそういう話!)
そして、この手の話って、見た目が美しくなるのに反して、主人公がどんどんオカシくなっていく、ってのもまた定番の展開なわけです。
しかし、本作の主人公である未帆は、精神がまったくブレず、まったく歪まない。
「まとも」とは言えない性格ではあるものの、それはあくまで生まれ持った性格。
決して、美容整形の結果として「徐々に壊れてゆく」わけではないのが、未帆という人間なのだ。
この<未帆>と<徐々に壊れてしまう美容整形モノの一般的な主人公たち>の違いがどうして生まれるんだろうか、と考えてみると、「美容整形」を行う動機そのものにあるんじゃないかと思えてくる。
本来、自分の外見のコンプレックスを克服するために行う美容整形。
ただ、一度の手術で終わりということはなく、次々と手術を繰り返してしまうというのは、<未帆>も<徐々に壊れる主人公たち>も同じ。
ただ、両者が決定的に違うのは、<徐々に壊れる主人公たち>が美容整形を繰り返す理由が「美容整形後の人生が思ったほどうまくいかないから」である点だ。
「美しくなれば、人生がうまくいくはず。」→「人生がうまくいかないのは、自分がまだ美しくないからだ」という思考のすり替えが、<徐々に壊れる主人公たち>をさらなる整形へと向かわせる。
しかし、彼女たちが直面している問題は、本来「美しくなる」以外の方法で克服すべき問題なのだ。
そこを履き違えるから、彼女たちは歪むのだ。
しかし、<未帆>は違う。
幼少時より「畸形的」と表現されるほどに醜い顔は、一度の整形手術だけで「美」しくなるものではない。
結果として、ただ「美しくなる」だけのために、手術を繰り返す必要があったのだ。
彼女にとって「整形を繰り返す」ことこそが、問題を克服するための正攻法。
だからこそ、<未帆>は整形を何度繰り返しても、精神が歪んだりはしないのだ。
「美しくなりたい。」
その初期衝動を最後までまったく変えない彼女は、「美容整形モノ」の主人公としては、異常なほどに純粋。
そこが、「美容整形モノ」の作品として、本作が新鮮な点だった。
さらに本作の魅力として挙げたいのが、美容整形手術の細かい描写。
未帆が施した整形手術の仕組みを、やたらに事細かく描いているのも、本作の特徴だろう。
この「手術シーンのリアリティ」が、なんだか得体の知れない魅力を持っている気がする。
そもそも「美容整形手術」って、男である僕にはほとんど縁が無いものだし、もしかしたら身近にやってる人もいるのかも知れないけど、それをわざわざ教えてくれる人もいないので、基本的に「何をどうやってるのかわからないもの」なわけで。
いわば、一つの「タブー」な のだ。
その「タブー」の具体的な施術について、雑学本的に知識欲を満たしてくれるのが本作というわけだ。
さらに、「手術の方法」や「後遺症の可能性」など、聞いただけでゾッとするような外科手術を、「美」のために行う人がいるという事実のおぞましさが、なんだか背徳感を覚えつつも、魅力に感じてしまう。
そして、ここで活きてくるのが、冒頭でも書いた百田尚樹の淡々とした文体。
百田尚樹の文章で描写することにより、「手術シーン」がノンフィクションっぽい表現になり、「リアリティー」と「信頼感」のある文章に感じられるのだ。
いやー、本当に、自分の文体と相性がいいテーマの選定が巧い。
と同時に、前作『永遠の0』はエピソードの魅力が売りだったのに対し、今回の『モンスター』はディテールの魅力が際立っている、というように「作品の味わい」をしっかりと変えているのも見事。
文体が苦手だと思いつつも、この巧みさは認めざるを得ない!
なんだか、「文章の表現力」という魅力を売りにしている作家は旧タイプで、「文学作家」とは違う新しいタイプの一流作家が百田尚樹だとすら思えてきてしまった。
というわけで、正直まだ百田尚樹の作風にはなじめていないし、「~だった。~だった。」の羅列の文章は、なんだか全然乗れないんだけど、それを上回る「新しい何か」を感じさせる作家なのは事実。
「好きな作家」とは言えないけれど、当分は百田尚樹から目が離せないのでした。
「好きじゃないけど、目で追っちゃう!」。なんだ、恋はもう始まっているのか!!
今日の余談
とにかく、ブス時代の未帆の独白がきっつい、きっつい。
彼女が『美しくなること』を追いかけ続けるきっかけ。つまりは本作のストーリーの最大の原動力なので仕方ないんだけど、容赦のなさがすごい。
(まあ、それが面白いんだけど。)
恋の物語のヒロインはみな美しい。汚いシンデレラも魔法の力で美しくなったから王子様に愛されたのだ。醜い少女が愛された話はどこにもない。
こんな私でも、もしかしたら結婚できるかもしれない。高望みさえしなければ。どんな男でもいいと言えば、誰かが私に相応しい男性を見合わせてくれるかもしれない。
でもその男性は絶対に私の好みではない。そしてその男性にとっても私は絶対に好みではない。「俺には所詮こんな女しか当たらないんだ」と諦めることのできる男が、私の夫になるのだ。
でもその男性は絶対に私の好みではない。そしてその男性にとっても私は絶対に好みではない。「俺には所詮こんな女しか当たらないんだ」と諦めることのできる男が、私の夫になるのだ。
ひゃー。。。
そして、さらにすごいのが「絶世の美女」になった後の未帆の発言。
ブスであることをあそこまで客観視していた彼女は、美人になった後もその客観性を失わない。
こういう所もブレないのが、未帆なんだなー。
美しい女は男を夢中にさせることはできても、完全に狂わせることはできない。
シーザーとアントニウスを狂わせたクレオパトラ、玄宗皇帝を狂わせた楊貴妃が有名なのは、そんな事件がめったにないからだ。絶世の美女なんていつの時代でもいくらでもいる。英雄や王たちがいちいちそんなものに狂っていたら、歴史は大変なことになる。
だから本当はクレオパトラや楊貴妃が「絶世の美女」ではなく、シーザーやアントニウスや玄宗が滅多にいない変わり者だったのだ。
シーザーとアントニウスを狂わせたクレオパトラ、玄宗皇帝を狂わせた楊貴妃が有名なのは、そんな事件がめったにないからだ。絶世の美女なんていつの時代でもいくらでもいる。英雄や王たちがいちいちそんなものに狂っていたら、歴史は大変なことになる。
だから本当はクレオパトラや楊貴妃が「絶世の美女」ではなく、シーザーやアントニウスや玄宗が滅多にいない変わり者だったのだ。
うーん。「美しい」って深い。。
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1 ■モンスター
文庫になったんですね!
友人が面白いと絶賛してました
文庫なら読み易いので買ってみますね
そうそう『永遠の0』は積読状態です(●´ω`●)ゞ