8日、菅政権の組閣発表の会見。官房長官に決まった仙谷由人は、よどみない口調でこう述べた。
「憲法解釈は、政治性を帯びざるを得ない。その時点、その時点で内閣 が責任を持った憲法解釈論を国民のみなさま方、あるいは国会に提示するのが最も妥当な道であるというふうに考えている」
鳩山内閣と同じく、内閣法制局長官に憲法解釈などの国会答弁をさせない方針を続ける、その理由の説明だった。前行政刷新相の枝野幸男が兼ねていた「法令解釈担当」を自分が引き継ぐとも表明した。
自民党政権下では、憲法や法律についての内閣の統一解釈は、内閣法制局が示すとされてきた。国会の主な委員会では、首相の真後ろに内閣法制局長官が着席。首相や大臣が答弁に行き詰まると、すっくと立って法解釈をそらんじ、難局を乗り切る。そんな場面がよくあった。
だが、民主党は年明け後、長官の国会出席をやめさせ、2月には枝野に法令解釈担当を命じた。戦後初の役職だった。
国会でのデビューは3月3日。参院予算委員会で、自民党の脇雅史が「この法律の解釈につきまして、法制局、いかがでしょう」と質問すると、内閣法制局の法制次長を制し、議場のざわめきを抑え込むように「私から内閣法制局の上申を踏まえた内閣としての解釈を申し上げます」と切り出した。
脇が求めたのは、民主党が中止を目指す八ツ場ダム建設をめぐる水資源開発促進法などの解釈。法律に基づく基本計画にダム完成が盛り込まれていると指摘し、「政治的に中立であるべき法制局」(脇)に、その法律が「生きている」ことの確認を求めた。
枝野は、「法律には計画の変更や廃止の手続きがあり、それに向けて担当大臣が作業に入るのは法令上問題がない」と答弁。法制次長の山本庸幸が「大臣がおっしゃったとおりでございます」と続けた。
双方の関係者によると、枝野の担当就任後、法制局幹部が大臣室に枝野を訪ねた。安全保障関係を中心に主な法令解釈を20分ほど説明。資料を渡した。その後の国会答弁についても「大臣が使うかどうかは別として想定問答は用意していた」。枝野の在任中、従来の法制局解釈と異なるような答弁はなかったという。
それでも法令解釈の主役の交代に、法制局の関係者らには警戒感が広がった。あるOBは「枝野さんは一応弁護士だけど、昔勉強したというだけ」と話した。
民主党が内閣法制局の力をそごうとしている背景には、前幹事長の小沢一郎の意向があったとの指摘が多い。湾岸戦争時に、法制局の憲法解釈のために自衛隊の海外派遣ができなかったことを根に持っている、との見方だ。
だが、小沢と「遠い」とされる仙谷や枝野も、憲法解釈は政治家の責任と明言する。
新首相の菅直人は、副総理だった昨年11月、国会でこう発言している。
「私はこれまでの憲法解釈は間違っていると思っていますから」
菅が否定するのは、立法、行政、司法を横並びにとらえる「三権分立」の発想だ。「三権分立なんて憲法のどこにも書かれていない」と繰り返し述べている。
行政と立法を並列すると「内閣は国会から独立しており、官僚に任せればいい」という「官僚内閣制」の考え方に支配されてしまう。しかし本来は、国民の信託を受けた国会が名実ともに国権の最高機関としての役割を果たす「国会内閣制」が正しい。菅はそうした憲法観を、11日の所信表明演説でも改めて強調した。
1998年の著書『大臣』では次のようなことも書いていた。――多くの官僚は「行政権は、内閣に属する」という憲法65条を「行政権は官僚にある」と理解している。しかし官僚はあくまで補佐役だ。「内閣は国会に対し連帯して責任を負う」という憲法66条を根拠に「閣議は全会一致が原則」と解釈されているが、事務次官会議の存在とあいまって、すべての役所が拒否権を持つ「省益優先」の仕組みになっている――。
事務次官会議は鳩山政権下で廃止された。普天間基地問題などでの迷走を教訓に、菅が霞ヶ関と融和を図るとの見方もある。内閣法制局内からも「ようやく分かってきたか」との声がもれる。
だが、菅は所信表明でも「官僚内閣制」から脱するとの目標を掲げた。明治以来その要にあったともいえる内閣法制局は、どう扱われるのだろうか。
(文中敬称略)