被爆者手帳:韓国人54人が陳述書 交付を求め現地団体に
毎日新聞 2013年08月06日 08時52分(最終更新 08月06日 08時57分)
「両親が早くに亡くなり、被爆した町名が分からない」「途方に暮れています」−−。原爆に遭いながら被爆者健康手帳を持たない韓国人54人が、手帳の交付を求める陳述書をつづり、韓国原爆被害者協会に寄せていたことが分かった。陳述書を入手し、支援を続ける広島市出身の河井章子さん(56)=千葉県流山市=は「行政は高齢の当事者に詳しい立証を強いるのでなく、申請内容を裏付ける支援に転換してほしい」と話す。
陳述書は韓国原爆被害者協会が2011年に募集した。54人の年齢はさまざまで、遺族が寄せたケースもある。大半が直接被爆だが、在外被爆者ではほとんど例のない、負傷した被爆者の手当てをしたことによる「救護被爆」を訴える男性も。被爆状況の陳述以外に、原爆投下から65年以上がたち被爆状況を証明することが難しいと訴える陳述も目立つ。
韓国慶尚南道・昌原市のマンションに住む金雙雄(キムサンウン)さん(72)も陳述書を寄せた一人。陳述書では「5歳(実際は4歳)で何を覚えているでしょう」としたうえで、姉と弟と広島市の蟹屋町で遊んでいたら大きな音がして屋根が崩れ落ち、腕や足に血が流れていたというわずかな記憶を記した。
河井さんは今年5月、金さんを尋ね、被爆の事実につながる手がかりを求めて次々と質問した。「日本名は?」「まーちゃん」「被爆後どうしましたか?」「小さなガス灯を持って防空壕(ごう)に入った」−−。
金さんは心臓の手術をしたことがあり「原爆のせいではないか」と思う。しかし証人が見つからず、手帳を申請したことはない。当時の写真も引っ越しを繰り返す中でなくなった。26歳の時に被爆し、当時の話を繰り返ししてくれたという母の房陽伊(バンヤンイ)さんは昨年11月、亡くなった。
在外被爆者を巡っては、旧厚生省が1974年に出した402号通達(03年廃止)で、被爆者が国外に出ると各種手当が打ち切られるようになった。在外被爆者はこの時に手帳の取得を諦めた人が多い。通達廃止後、手帳を取得しようとしても証人捜しが難航するケースが多く、取得はより困難となっている。
河井さんは90年ごろから在韓被爆者の支援を続けている。大韓赤十字社によると、被爆しながら手帳を持たない被爆者は112人いるが、河井さんらの調査では、同社が把握していない人がいることも判明している。