【萬物相】灯籠祭りの「元祖」争い

【萬物相】灯籠祭りの「元祖」争い

 日本のインターネットニュースサイトが昨年、韓国の祭り「燃灯会」について、青森県の「ねぶた祭」をまねたものだとする記事を掲載した。ねぶた祭は巨大な武者人形の灯籠を乗せた山車(ねぶた)が市の中心部を練り歩き、最終日にはねぶたを船に乗せて海上を運行する。青森県が誇る灯籠祭りだ。この記事は、日本が韓国にねぶたの制作方法を教えたと主張した。よく知らずに書かれたものだが、ネット上をかなり騒がせた。

 燃灯会は土俗神の祭祀(さいし)「八関会」と共に新羅の真興王の時代に始まった。高麗は国の行事としていた。旧暦の1月15日の祭りだったが、今は釈迦誕生日(旧暦4月8日)に提灯を飾り大型灯籠のパレードを行う。ねぶた祭が300年の歴史を持つなら、燃灯会は1500年前から行われている。仏教に文化的なルーツを置く国では灯籠祭りがよく行われる。世界中どこでもチャイナ・タウンの灯籠祭は華やかだ。韓国の燃灯会が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産候補として取り沙汰されるや、日本のネットユーザーたちが「ねぶたをまねたものだ」と主張したのだ。とんでもない言いがかりだ。

 慶尚南道晋州市とソウル市が灯籠祭りをめぐって5年間も対立している。晋州市長が先ごろ、ソウル市庁前で「晋州南江流灯祭りをまねたソウル灯籠祭りを中止せよ」と訴える一人デモまで行った。これに対し、ソウル市は「灯籠祭りは統一新羅時代から全国的に行われてきた普遍的な祭りだ」と一歩も引かない構えだ。灯籠を水に浮かべる流灯祭りも1988-93年に漢江で最初に行われたとしている。一方、晋州市は南江流灯祭りについて、壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)での晋州城の戦いで軍事信号や家族への安否を伝えるための通信手段として灯籠を南江に流したことに由来する祭りで、「灯籠祭りの元祖」だと主張している。

 2000年に始まった晋州南江流灯祭りは、毎年「最優秀祭り」に選ばれるほど盛況を博している。09年から清渓川周辺で開かれているソウル灯籠祭りも、週末には30万人が訪れる。だが、はやればすぐに「元祖」をめぐる争いが起こる。自治体間の「元祖争い」は、特産物をめぐるものが多かった。ズワイガニ、タコ、マツタケ、トウガラシ、緑茶などがそうだった。また、縁故をめぐる争いも多い。薯童(ソドン=百済の武王)、壬辰倭乱で殉死した論介(ノンゲ)、朝鮮王朝時代の小説の主人公・洪吉童(ホン・ギルドン)、童話『コンジとパッチ』、詩人の柳致環(ユ・チファン)などのゆかりの地をめぐり、自治体が元祖を主張し合った。李舜臣(イ・スンシン)祭りは七つの自治体が「うちのものだ」と主張した。

 祭りは元々まねて遊ぶものだ。人が神や自然をまねて従う動作をする。時がたてば祭りが混ざり合うこともある。「元祖争い」は自治体の首長たちが自らの業績として残そうとして始めた面もある。政府も縁故地をめぐる争いで勝った側に支援をするという過ちを犯した。灯籠祭りは人と自然の調和を願い、世の中を明るくしたいという希望を込めた祭りだ。私たちが争っている間に、他国が水の上に浮かべるあらゆる灯籠を「ねぶた」と呼ぶようになるかもしれない。

キム・グァンイル論説委員
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