and deadborn

気まぐれ。

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怒りも憎しみも、何も有益なものは生まないから無くしてしまいたい。


ある程度越えるとそんなものも無くなって涙しか出てこなくなるし。


無駄な感情は捨ててしまえばいいよ~ってきりと氏も歌ってた気がするし。





何がどうなろうと変わらないものは変わらない。

認めたくないというか、諦めたくないし信じたいって思うけど、現実はそんなに甘いものではない。

というのはこの数ヶ月で身にしみました。

現実とは残酷だね~って京さん歌ってるし。


昔の話を少し。


鐚依さんの7弦ベース。

当時のブログで、YAMAHAにするかMTDにするか悩んでました。
MTDは型番みたいなのも書いてたから調べたら結構なお値段で。
私が見た中ではYAMAHAの倍くらいだったって記憶。

結局鐚依さんが選んだのはMTDで、こんだけの値段を出すんだから、相当な覚悟があるんだろうとか、もっと上を目指そうとしているんだなとか、そんな風に思ってました。
お披露目の日は、あのボトムラインの日でした、たしか。

だから勝手に私が思っていた鐚依さんの決意みたいなものも、あの日に全部くじかれてしまったというか流されてしまったというか、そんな風に感じていました。
せっかく買ったのに。って。



それから復活して。
鐚依さんは藍さんになっていて、ボーカルになってました。

復活の知らせは、ドメインが変わっていて私はデスメールが受信できていなかったので、友人からの電話で聞きました。
昔のことは忘れがちだけど、聞きながら嬉しくてめちゃくちゃ泣いたのは、今でもちゃんと覚えてます。



そして2008年の夏。
藍さんの誕生日の日に、松山でライブがありました。

復活してから、ボーカルになってからの初めての誕生日。

ベースのこともあったし、復活してくれたこともすごく嬉しかったし、
色んな意味と想いを込めて、JDのピンバッジを贈りました。

シルバーアクセサリーって好みが分かれると思うし、そんなに消耗するものでもないのであんまり人に贈りたくないんだけど、
だから友達以外にJDを贈ったのは藍さんが初めてだし、それ以降もないし今後もないと思う。

JDの中ではそんなに高価なものではないけど、普通に働いてる人間の感覚ではそれなりの価格だし私としてはかなり思いきった選択でした。

使ってくれなくても持っててほしいなって思ってました。


日常生活にバンドマンが介入する生活はしたことがなかったから、
バンドマンというのは夢の国の人というか、バンドマンというものに対して物凄く妄信的でした。当時の自分は。


で、あるとき、なんのきっかけだったかは忘れてしまったけど、
ふとMTDについて調べようって思ってとりあえず記憶していた型番で検索しました。

そうしたら検索結果の中にオークションのアカウントが出てきました。


深く考えずに開いたら、IDがすっごく聞いたことのある単語でした。

そこで、見てしまいました。見たくなかったもの。


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このIDで、MTD売ってて、JDのピンバッジも売っている人なんて、一人しかいないって思いました。
財布もきっと、トイレに落として自分のうん○ついちゃったとか言ってたから、それを聞いて誰かがプレゼントしたものなんだと思います。
こんな自己紹介してるようなアカウントで売らなければ気付かなかったのに。悲しかったです。


物凄くショックではあったけど、売られるかもしれないと思わなかったわけではないし、もちろん売ってほしくなかったけど
でも貰ったものをどうしようが本人の自由なので、自分の中だけで留めておこうと思っていました。



これは2009年の秋か冬くらいのことです。


で、悶々としながらも孝介さんは大好きだしライブは楽しいし、変わらずライブに行っていました。


しかしこの後、この件を友人に話すきっかけとなる出来事がありました。

BLOODY ALL LOVERSファイナル直前。

当時藍さんとお付き合いしていた方から、相談というかその事実についての告白をされました。

それが、幸せなお付き合いであったら、その事実を私が知ることはなかったと思います。
彼女は悩んでいたと思うし、いろいろ苦しんでいたんだと思います。

私は当事者ではないのでこれ以上は詳しくは書きません。

その事実とオークションのことで、悶々としながら観たのがBALファイナルでした。

まだ誰にも言えず、始まるまでかなり悶々としていました。

でもそれだけ悶々としながらも、ライブは物凄く楽しかった、楽しめてしまった。

これもまた事実です。

その後、お付き合いしている方の許可を得て、友人数名にそのことを話しました。


藍さんの行為に対して誰一人賛同する人はいませんでした。

その後、NAME OF NAGOYAの日に、とりあえずオークションのアカウントは消した方がいいんじゃないかと、友人がスタッフさんに話をしてくれました。


が、その後もずっとアカウントが消されることはありませんでした。

スタッフさんが言わなかったのか、藍さんが聞いた上で消さなかったのかはわかりません。


今年になっても残っていたし、普通に取り引きしていました。



そんなことがありながらも、やっぱり孝介さんもライブも大好きなままでした。

そんな私の気持ちを、周りの友人達は物凄く汲んでくれたと思います。



しかしそんな気持ちを汲み取ってくれていた友人達も、
直人さんの脱退もあり、次第に以前のようにはライブに行かなくなりました。


その事情を知らない友人もできましたが、このことは、なかなか言い出せませんでした。


嘘をついているわけではないけども、なんとなく罪悪感みたいなものもありました。


嫌な想いを抱いている人もいるのに自分だけ楽しんでしまっている感じも、心地よくはありませんでした。


でもそれ以上にライブが好きだったから観に行ったし、観に行く以上は思いっきり楽しもうと思っていました。


だからライブは絶対的なものであって欲しかったです。

いつ観ても絶対に楽しいと思えるもの。


そして、7月のボトムラインは、その中でも特に特別であって欲しかった。

私の気持ちを汲んで観に来てくれた、観に来てくれようとした友人もいました。

冬のツアーからそれまでほとんど書いてこなかった手紙を、気持ちをきちんと伝えようと孝介さんに書くようにしていたし、もちろんボトムラインへの想いも綴りました。

だから、孝介さんも多少なりとも汲んでくれていたと思うし、藍さんと直樹さんに至っては当事者であるので、伝えずとも解るはずだと思っていました。

ツアーの日程や場所、セットリストを決めているのは多分全部藍さんなのだろうと思っていたので、10周年というタイミングでボトムラインを、それも11年目の幕開けである初日に入れてきた事実が一つの安心感みたいなものにもなっていました。

そしてその待ちに待ったライブ。

残念ながら自分が思い描いていたものとは違っていました。

あの日のライブで伝わってきたことは、藍さんがファンを全く信用していないんだなということと、藍さんは自分のことしか考えていないんだなということです。

セットリストにももちろん不満はありましたが、結局のところ藍さんがファンのことを思えばあのセットリストにはならなかったと思います。

初のボトムラインワンマンの日。
ずっと泣いていたのは、鐚依さんでした。直樹さんはそうではなかった。
だから藍さんの方が、ボトムラインに対しての気持ちは強いのかなと思っていました。

結果としてファンの気持ちをわかっていたのは直樹さんだったんだなと思いました。

ライブの時も、ブログからもそれは伝わってきました。


ステージに立つ人間が楽しんでいなかったら、フロアも絶対に楽しめないと思うし、
ステージに立つ人間が全力じゃなかったら、フロアだって全力にはなれないと私は思ってます。


ボトムラインの藍さんは全然全力じゃなかったと思います。



藍さんの求めているものって、なんなのでしょうか。
お金だけですか?





これだけ書いて、自分が何を言いたかったのか、まとまっている気がしないし、まとめようという気も起こりません。

こんな中途半端な文を、WEB上にさらすという行為も、いろんなリスクが伴うだろうし、これを読んで気分が悪くなる人も苛立つ人もいるかもしれません。

でも、吐き出したかった。

自分なりに色々な思いを抱えながら観てきました。
ここには書いてない、書けない気持ちもたくさんあります。

ボトムラインを終えて、柏があのセットリストで、もう情報がキャパオーバーで整理しきれなくなりました。

まだツアーは始まったばかりで、今後のライブに行って楽しんでくるつもりの人も、もしかしたらこの文章を読んでしまうかもしれないし、読んだことによって気分が悪くなる人もいるかもしれません。

そういう人には本当に申し訳ないとしか言えないです。

ダメなファンでごめんなさい。
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