あるいは残酷な世界の憂鬱 (宗像凛)
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Chapter2



 レイフォンは都市地下にある機関部のバイトをしている。奨学金Aランクにも拘わらず、何故このような仕事に就いているかというと、それはあまりにも単純な理由。つまりはお金が欲しいからだった。夜間のバイトであるため給料は良い、しかしキツいのだ。睡眠、労力、どちらも苦痛に近い。それでも、単純作業を繰り返す仕事はレイフォン的に大変有り難い。頭を使うことより、ただ身体を動かすだけなら楽だからである。
 そう、ブラシで通路の汚れを落とすだけなら楽なのだが――。

「…………」
「…………」

 気まずい。あまり喋る方では無い自分でも、この雰囲気が続けば心身共に影響が出そうだ。こう言うときにアレンがいてくれれば難なく解決してくれると思うが、きっと今ごろ親友は自室で睡眠を貪っていることだろう。
 隣で黙々とモップ掛けに勤しむのはニーナ・アントーク。第十七小隊の隊長であり、昼間、レイフォンが手合わせで倒した三年生であり、女性だった。
 同じ小隊員と隊長なのだから話題なんて幾らでもあるだろうが、そういう話をまだ一度もしていない。事務的な言葉も二、三回だけ。

 ――うぅ、どうしよう……。

 嘆きながら、悩みながら、戸惑いながら、レイフォンは身体全体を使ってブラシを動かし、通路にこびりついた混合液を取っていく。そろそろバケツの水が汚れ始めてきたかな、と思い始めた頃、ニーナが口を開いた。

「生徒会長に聞いた」
「え?」
「お前とアレンはグレンダンで天剣授受者と呼ばれる地位にいたと。武芸の盛んなグレンダンで、十二人しかいない地位にいたとな」
「そうですか」
「そして何故、お前たちが学ぶ必要も無いのに、わざわざ学園都市に来たのかも」
「…………」
「天剣授受者の名を辱しめた、と生徒会長は言った。それは……事実なのか?」

 ここで初めて、ニーナはレイフォンと眼を合わせた。頑なに壁の汚れしか見詰めていなかった青い双眸が視界に映る。綺麗だ、と思う反面、否定してくれ、という想いが込められた視線に僅かな落胆を感じた。

「事実ですよ」

 頷くと、ニーナは眼を細めた。

「賭け試合に出ていたのか?」
「はい」
「そこで、不当にお金を稼いでいたのか?」
「はい」
「何でそんなことをしたんだッ!」

 怒鳴るニーナを尻目に、レイフォンは冷静に言葉を紡いでいく。

「お金が必要でした。孤児院のみんなを助けるためには、とにかくお金が必要でした」
「孤児院……?」
「僕は孤児です。そして、孤児院にはたくさんの子供たちがいます。園長はあまり金策に強くない人でしたから、とにかく僕がお金を稼ぐしかありませんでした。賭け試合で稼いだお陰で、何人もの孤児が救われました。それはいけないことなんですか?」
「……それは」

 ニーナは俯く。足下に置いてある濁ったバケツの水を眺め、必死に渦巻く思考の淀みを消そうと考え込んでいる。
 レイフォンは、賭け試合に出ていたことを間違っていたと思っていなかった。とにもかくにも、お金が必要だった。生きていくためには。食べていくためには。

「確かに、私は食べられないことを知らない。だが――もっと遣り方は無かったのか? 賭け試合に出るよりも、もっと……」
「ありませんでした。グレンダンはあまり予算に余裕のある都市じゃありませんでしたから。天剣の仕事でも給料は少なかったですし」
「だがお前も、武芸を習い始めたのは――」
「武芸を鍛え始めた理由は、孤児院のみんなを養っていくためです」
「な……ッ!?」
「僕にとって、武芸とはその程度のものです。生きていくために利用するものでしかない。ただ才能があったから利用した。その程度です」

 怒るだろうな、と思った。アレンも言っていたけど、ニーナは典型的な誇り高い武芸者だ。レイフォンのような在り方を認めるとは思えない。
 案の定――、

「お前は、卑怯だ」
「そうでしょうね」
「……アレンも、そうなのか?」
「アレンは違いますよ。賭け試合に出てませんでしたし、武芸者になったのも親が五月蝿かったからだって言ってましたから」
「それで――あの強さか」

 昼間、瞬く間に一蹴されたことを思い返したのか、ニーナの眉間に皺が寄った。手合わせを申し込んだ自分が、逆に手合わせされるなんて思いもしなかったに違いない。
 通常、本当に才能ある武芸者を学園都市に出す都市は存在しない。それは『宝』だからだ。汚染獣から都市を護るための盾。不必要に外へ出す訳が無い。だから、新入生が上級生に勝てる可能性は零に近い。そこにニーナのミスは無かった。ただレイフォンたち二人が規格外だっただけで。
 しかし、あの強さ、とニーナは呼称した。だが果たして、たかが一回の手合わせで解ったことなど一欠片も有ったのだろうか? 衝剄を用いず、本来の得物も用いず、活剄の密度も薄かった。そこには、本来の実力の一割も無かっただろう。

「アイツはどうして、ツェルニに来たんだ?」
「僕の付き添いです」
「付き添い……?」
「アレンは、天剣授受者候補でしたから。僕が死んだ後、自動的に天剣を継ぐ位置にいました。実力はお互い変わりませんでしたけど。僕が賭け試合に出て、そのお目付け役のアレンも一緒に罪を被ることになったんです」
「…………」

 本来、アレンはレイフォンを糾弾できる立場にあった。ヴォルフシュテイン卿を貶めれば、次に天剣を得られるのはアレンの可能性が高かったから。けど、彼は女王を説得し、民に説明した。そのお陰で、レイフォンは六年という期限付きの放逐で済んでいる。感謝してもしきれない。そして、申し訳ないと思っている。

「お前は……やはり――」

 恐らく、卑怯だ、と続けようとしたのだろう。ただニーナが言葉を紡ぐよりも早く、同じ作業服を着ていて無精髭を顎にたっぷり蓄えている男が走って近付いてきた。

「おい、この辺りで見かけなかったか?」
「またか?」
「まただ、悪いな! 頼む!」

 レイフォンが訳の解らないまま二人は会話し、男は勝手にどこかへ走り出した。一体何が? と考えていると、ニーナがやれやれ、と呟いてモップを壁に立て掛けた。

「あの、何が?」
「仕方ない。お前も手伝え。今日はもう掃除はいいはずだ」
「は?」

 首を傾げるレイフォンに、ニーナは楽しそうに笑みを作った。

「都市の意識が逃げ出したんだよ」
「………………はい?」

 答えになっていない言葉を聞き、口を半開きにするレイフォンを見て、今日初めてニーナは声をあげて笑った。












 今頃レイフォンはツェルニと会ってるんだろうなぁ、と他人事のように考えながら、建物が一切ない外縁部でアレンは白金錬金鋼《プラチナダイト》を握り締めながら、不可視のエアフィルターの向こうで渦巻く砂粒の嵐を眺めていた。
 足元からは、都市の脚部がもたらす金属の軋む音と振動が伝わってくる。髪の毛を揺らす強い風に眼を細めながら、少しずつ少しずつ活剄の密度を高めていく。昼間、ニーナと手合わせした時より遥かに濃い剄がアレンの体躯を覆うように収束、時を経て霧散する。星空の煌めきに反射して、外縁部の荒野に幻想的な光景に塗り替えていた。

「レストレーション」

 囁くような言語を捉え、錬金鋼は目映い光を放って姿形を変える。天剣ではない、アレンの錬金鋼。満足に剄を流せない不満はあるが、それでも現状最高の武器。武芸者だった父に習い、グレンダンでも最高峰と称えられる槍術を駆使して得られた戦績を支えるアレンの得物が右腕に復元した。
 それは、一本の白い鎗だ。原作でダルシェナが使っていたような突撃槍ではない。鎗を横にして俯瞰すれば、二等辺三角形のような姿をしていることに気付く。その中心に紅玉錬金鋼《ルビーダイト》の球体が埋め込まれている。突くことも斬ることも可能な形。対汚染獣を、対武芸者を、対集団戦を意識し、そして見付けたアレンの近接格闘用の武器である。
 レイフォンが何度も刀の調整に出向いたように、アレンも微調整を繰り返した。手に馴染む感触に頬を緩ませながら、放浪バスに揺られている間できなかった修練に取りかかった。

「…………」

 突く、薙ぐ、斬り下ろす、斬り上げる、おおよそ人間が出来る動きを繰り返していく。跳躍し、細かい技の連携に勤しみ、剄の量とは関係無い技量の確認を無言で続ける。活剄の濃さは既に七割を越していた。天剣が無くとも、錬金鋼が壊れる覚悟があれば、このまま都市そのものを破壊できそうだ。ルイメイやカウンティアじゃあるまいし、と苦笑いして、ゆっくりと活剄を解いていく途中、背後から声が掛かった。

「それが、あなたの全力ですか?」
「さぁ、どうでしょうか」

 肩を竦めながら振り返ると、そこには絹のような長い銀髪を携えた美少女がいた。感情の見られない顔は絶世という謳い文句すら霞みそうなほどで、発育途中の身体はマニアが見ればそれだけで発情しそうな儚さを醸し出している。歳はアレンの一つ上であり、生徒会長の妹、第十七小隊の念威操者であるフェリ・ロスがそこにいた。

「何か用ですか?」

 問うと、フェリは風によって靡く髪を片手で押さえながら、

「兄から聞きました。あなたは好きで小隊員になったわけでは無いのですね」
「当たり前ですよ。おままごとに近いことなんて、好きでするわけないじゃないですか」
「おままごと?」
「グレンダンと比べたら、です。技量も、心構えも、危機感もすべて」
「それでも、あなたは小隊員になりました。何故ですか?」

 無感情の視線がアレンを貫く。
 嘘は許さない。誤魔化すことも許さない。言外の強い口調に対し、アレンは鎗を掌サイズに戻してから答えた。

「ほっとけないんですよ、レイフォンを」
「それだけですか?」
「ええ、それだけです」

 穏やかな微笑みを作り、アレンは首肯する。目の前に佇むフェリは原作と同じく、まさにパーフェクトの名に相応しい少女。ただ、毒舌なのが頂けない。レイフォンと違い、自分にマゾッ気は無いのだ。

「先輩は、どうして小隊員に?」

 答えは知っている。だが、自分が訊かれたことを尋ねるのは失礼に値しないだろう、と判断した。
 フェリは感情を顕《あらわ》にせず、淡々と応えた。

「兄に無理矢理武芸科へ転科させられました。念威の才能があるからと言われて。嫌だと言っても、わたしの意見など関係ない、と」
「嫌なんですか?」

 訊いた途端、フェリの腰にまで届く白銀の髪が青く輝き始めた。睫毛も眉毛も、髪と同じように燐光を放っている。それは念威の光だ。内力系活剄でもあり、外力系衝剄でもあり、だがそれらと全く異なる限定的な才能である――念威。制御を甘くすればこうなります、と美少女は言う。極々当たり前のように。

「わたしには念威の才能があります。天才、と呼べるようなものが。通常では考えられない量だそうです」
「でしょうね」
「でも、わたしは好きでこんなもの手に入れたわけではありません。こんなもの要らない。誰かが欲しいならあげたいぐらいなんです」
「…………」

 語気を荒らげることはない。ただただ平坦な言葉が、フェリの想いを淀らせずに伝えてきた。やはり原作と同じだ。彼女は念威の才能を疎んでいる。念威操者としての道しかないことに、自分だけ小さな時からなるものが決まっていることに耐えられなくなっている。

「だから、わたしは兄を恨みます。わたしに念威操者の道しか示せない兄を恨みます」
「…………」

 アレンは黙って聞いていた。フェリの傲慢とも受け取れる告白を臓腑に染み込ませていた。冷淡な言葉の内側に潜んだ悲しみから、フェリの苦悩さを僅かだが感じ取れたから。

「そして、念威操者にしかなれない自分が嫌いです」
「…………なるほど」

 頷き、アレンは溜め息を洩らした。

「本当になれないんですか?」
「え……?」
「念威操者以外の道を探すためにバイトをしましたか? 何か努力をしましたか?」
「……………」
「そして、何にもなれない人間の苦悩を先輩は知っていますか?」

 ――兄さんが感じていた苦悩を、本当の意味でこの人は知らない。

「…………」
「正直、羨ましい悩みだと思いますよ俺は」

 告げる。抑揚の無い声で。

「それに、先輩は念威操者という兵器ではなく、フェリ・ロスという人間なんですよ? 別の道はゆっくり探していけばいいじゃないですか。どうせ今年を乗りきれば、来年には生徒会長も卒業なんですから」
「……あなたは、変な人ですね」
「あはは、良く言われます」

 踵を返したフェリの後ろ姿を眺めながら、アレンは苦笑いして後ろ髪を掻く。

「あなたはお人好しですね」
「そう、ですかね?」
「ええ、本当に」
 ら

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