慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊
12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。
◇1944年
2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。
4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>
4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。
4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。
4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため特別市警務部保安課に行ってきた。
4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、2590円余りの最高記録だった。
5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。
5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>
5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。
6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。