慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊
6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。
6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。
6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。
7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。もう1年になった。>
7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。
7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。
7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、兵站管理に委譲された。>
7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は兵站司令部に行ってきた。
7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も兵站の軍医がすることになった。
7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。>
7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、もち屋と慰安所を私に引き受けろという。承諾した。
8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。
8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。
8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。
8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。
8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>
8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。
8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。
8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。
9月9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。
(この後、筆者はシンガポールへ移動する)