「国籍や世代を超えて、未来へ被爆の事実を伝えていかなければ」
6日の平和記念式典に参列した被爆者の小倉桂子さん(76)=広島市中区白島北町=は、式典を終えると、足早に原爆資料館へ向かった。代表を務める「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」(HIP)の講話会で、外国人に英語で被爆体験を語り聞かせるためだ。活動は約30年に及び、これまでに数百人の外国人に被爆体験を語り継いだ。
8歳のときに爆心地から約2・4キロ北の自宅近くで被爆した。
家族は無事だったが、全身にやけどを負った人が、街の中心部から流れてきた。求められるまま水をくみ渡したが、目の前で息を引き取った。
前年に夫を亡くし、落ち込んでいた昭和55年、夫と親交があったユダヤ人ジャーナリストの通訳を務め、広島市内を案内した。口コミで広がったのか、それから頻繁に通訳の依頼が舞い込むようになった。
通訳を始めた小倉さんは「素人同然の英会話だった」という。被爆体験を語ることにも抵抗感があった。「私よりもひどい体験をした人は大勢いる」との思いがあったからだ。
しかし辞書を手に案内を続けていると、被爆の事実を知らない外国人の多さに衝撃を受けた。「広島に住む人が、外国語で思いを伝えられなければ、外国の人には伝わらない。私たちが亡くなった方々の代弁者にならなければいけない」と考えるようになったという。
59年、同じ思いを持つ仲間たちとHIPを結成した。60年には通訳に役立てようと、原爆や平和、広島に関する約千個の単語をまとめた和英の「ヒロシマ事典」も刊行。現在も“現役通訳”として電子メールで外国から通訳の要請を受け、平和記念公園を案内したり、自ら被爆体験を語ったりする活動を続ける。2年前からは英語で被爆体験を伝える広島市の「被爆体験証言者」にもなった。
6日も、広島のことや、原爆や被爆者のことを学ぼうと集まった熱心な外国人と向き合った小倉さん。いつもと同じ活動で、世界に発信し続ける。
「私たちから被爆の事実を受け取った外国人や次世代の若者にも、再発信したいという情熱を起こしてもらわないといけない。まだまだ、伝えきれていないんです」