■松浦寿輝(作家・詩人)
「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等(かれら)を眼前に置いて勝者の意気込を以(もつ)て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児(ちょうじ)と云(い)はねばならぬ」――こうした言葉を含む夏目漱石の「幻の原稿」を明治四十二(一九〇九)年十一月の『満洲日日新聞』から発掘した黒川創は、それを巧みに組み込んだ興味深い小説を発表している。
「暗殺者たち」は、日本の作家がサンクトペテルブルク大学の日本学科の学生相手に行った講演という体裁をとる。ハルビン駅頭での伊藤博文の暗殺、その犯人の安重根の生涯、翌四十三年に起こった大逆事件、それに連座して死刑になった幸徳秋水や管野須賀子の運命など、錯綜(さくそう)した話題をめぐってうねうねと続くこの作家の講演は、そうした生臭い政治的諸事件が漱石の小説に落とした微妙な翳(かげ)りを丹念に拾い上げつつ、明治末年の混沌(こんとん)とした時代状況の一面に光を当てている。