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日立の長者山遺跡 東日本初の「駅家」の可能性 あす現地説明会 茨城
日立市十王町伊師の「長者山遺跡」の発掘調査を進める日立市郷土博物館は3日、現地説明会を行うとともに遺跡から発掘された遺物などを初公開する。これまでの調査で、8世紀から9世紀前半に建設されたとみられる掘立(ほったて)柱建物跡群や道路跡を確認。1300年前の奈良時代に編纂(へんさん)された「常陸国風土記」に記されている「藻島駅家(めしまのうまや)」の可能性が高いとみられる。
駅家は、奈良時代の役人が馬で移動する際の休憩所とされ、九州や近畿地方では数カ所確認されている。東日本では見つかっておらず、長者山遺跡が駅家と確認されれば初めて。
常陸国風土記では、県北地域を治めた「多珂郡」の役所である「郡衙(ぐんが)」が現在の高萩市下手綱に置かれたとされ、「南へ30里(約16キロ)に駅家を設置」と記されている。
実際には長者山遺跡から郡衙までは8キロしか離れていないが、郷土博物館では遺跡近くに現在も「目島(めじま)」という字名が残されていることなどから、藻島駅家の跡地だったとみている。
長者山遺跡の調査は、旧十王町が町史編纂事業の一環として平成17年度に始め、日立市との合併後は市教育委員会が調査を継続。平成20年からは、国の補助事業として5カ年計画で調査が進められてきた。
遺跡は愛宕神社裏の境内林など約5千平方メートルで、出土品から奈良、平安時代のものとされる。
これまでの調査で掘立柱建物跡12棟、直径1メートル前後の丸石を柱に敷いた礎石建物跡8棟で構成されていることが判明。遺跡の周囲には幅3メートル、深さ2メートルに水が張られていたと思われる遺構跡と幅6メートルから最大18メートルの道路跡も見つかった。また、直径6・6センチの「高播満(たかはま)」と書かれた墨書土器片も出土している。
3日の現地説明会では、午前10時から発掘現場を一般公開(受け付けは午前9時半から、伊師町集落田園都市センターで)。集落田園都市センターでは、出土した須恵器などのうち、土器片など30点も公開する。
問い合わせは、日立市郷土博物館(電)0294・34・1126。
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