「ひどい女、この足で踏みつけてやりたい……」
女上司の拷問研修で職場を追われた模範社員の無念
今回は、20年以上同じ職場で働いてきたにもかかわらず、最後は理不尽な理由で事実上の解雇に追い込まれたベテラン女性社員を紹介しよう。65歳の定年を目前にしていたが、上司である女性課長やその背後にいる役員らは、この女性社員に「いじめの研修」を受けさせ、辞めるように仕向けた。
解雇と言えば、それ相応の根拠が必要である。だが、会社からは今も明確な説明がない。女性は精神的に落ち込んだ。「うつ病になるかもしれない」と警戒しながらも、会社に説明を求め続ける。その思いに迫ると、ブラック企業の人事システムに深く根付いた歪んだ雇用観が見え隠れする。ここにも、多くの会社員が病んでいく一因が巣食っている。
「上司とは言えないひどい女
この足で踏みつけてやりたい……」
「あの女(50代半ばの上司/課長)を土下座させ、謝らせてやりたい。足でぎゅっ、ぎゅっと踏みつけてやりたい」
高田陽子さん(仮名・63歳)は今、職がない。労働組合・下町ユニオンの組合員となり、会社に雇い止め(事実上の解雇)を撤回することを求めている。半年の有期契約社員であり、実に軽く扱われた末の解雇だった。いじめに近い「研修」を命じた女性上司や、それを黙認した管理部門の責任者らに強い怒りを持つ。
「すごく苦しいの。夜、寝ていると涙が出てくる。悔しいの……。だから、泣いている場合じゃないと言い聞かせる。このままでは、自分に負けちゃうから」
今年3月末まで、都内北東部に本社を構える化粧品や健康食品を販売する会社で、半年ごとの契約社員(パート社員)としてテレフォン・オペレーターの仕事をしていた。月の給与は、平均で20万円ほど(額面)。賞与はない。退職金ももらえなかった。
このオペレーターには、インバウンド(受信業務)とアウトバウンド(発信業務)の2種類がある。高田さんは、一貫して後者だった。長年、電話でお客さんと話をしてきた。それだけに落ち着いた口調で、聞き取りやすく話をする。
「ここ(ユニオンの事務所)に来て不満を話すと、みんなが聞いてくれる。1人だったら、うつ病になりかねない」(高田さん)
会社に見限られた職場は死んだよう
「拷問研修」で心を病んだ社員も
高田さんらアウトバンド二十数人は、午前10時から午後5時頃までの間に、お客さんの自宅に電話を入れ、自社で扱う化粧品などを案内し、契約に漕ぎ着ける。
オペレーターはその大半が契約社員で、期間は半年ごとが多い。3月末、定年(65歳)で3人が退職した。
定年退職以外にも、2人が辞めた。1人は63歳の高田さんで、もう1人はいじめに近い「研修」を受け、うつ病になり、依願退職した。現在は心療内科に週1回、通っているという。会社は、この5人の代わりに新たな人を雇うことはしていない。
高田さんは、依頼退職した女性を気遣う。「拷問のような研修を受けさせられたの。あれで、精神がおかしくなったのだと思う。5キロくらい痩せたみたい。当初は『がんになったのかな』と言っていた。診療内科に行くことは、抵抗感があったようだった」
会社の社員数は正社員・非正社員を含め、60人ほど。親会社は正社員が約150人で、地方に工場も持つ。グループ会社は10社ほどで、全体としては業績がよく、必要に迫られたリストラは行っていない。
2011年の秋頃から、高田さんが籍を置く部署は仕事が大幅に減った。不況の影響や、インターネットなどの化粧品販売が浸透し、顧客を奪われたことが背景にある。最近は、1日60軒くらい電話をしないと営業成績を維持できないほどに、顧客数が落ち込んでいた。リストは管理部門から与えられる。
会社も、この部門にかつてのようには力を入れなくなった。人員や予算などは縮小傾向にあった。ここ1~2年、職場は活気をなくし、高田さんいわく「死んだような雰囲気だった」という。
高田さんは1ヵ月に平均で250万円以上の新規契約の売上を挙げてきた。30人近くのオペレーターの中では営業成績は常に平均以上で、上位に食い込むこともあった。仕事上の大きなトラブルはなく、始末書を書くこともない。
「私は、頑張り屋さんだったの。化粧品のことは、念入りに勉強していた。仕事が人生で、人生が仕事という感じだった。それだけに、あのような辞めさせ方が許せないの。ごみのように扱われた気がする」
勤続年数は22年間に及んだ。社内では「古株」として知られた。半年ごとの契約で、更新を繰り返してきた。65歳の定年まで働くことができると信じ、「4月からも契約を更新したい」と申し出た。上司の女性(課長)も、新年度の研修プログラムなどを伝えていた。
会社員の経験さえない素人が
どうしていきなり自分の上司に?
女性上司は中途採用で入ってきた。オペレーターの経験がない。それ以前に会社員の経験がないという。職場では、「なぜ、あんな人がこの部署のトップになったの?」と囁やかれていた。
オペレーターが職場の問題を改善しようと意見を言うと、上司はそれを「批判」と受け止め、潰しにかかった。それで辞めていく女性もいた。
高田さんいわく「一言多いオペレーターがいると、研修を受けさせ、辞めさせる。上司とは言えない、ひどい女」。この研修を受けると精神を病むことがあるため、「病院送りの上司」と目されていた。
高田さんは、今年は3月になっても契約書を渡されなかった。上司からは、「結論を近く出すから、家で待機してほしい」と告げられた。二十数年間、このようなことはなかった。何かおかしいと察知した。この頃、労働組合ユニオンに相談し始めた。下町ユニオンのことはインターネットで知った。
3月末、上司が電話をしてきた。「あなたにはオペレーターの資質がない」と言われ、3月末に雇い止めとなることを通告された。事実上、突然の解雇と言える。高田さんは返す言葉がない。仕事の経験がない上司から、20年以上のキャリアを否定されたことが理解できない。
上司は、2週間ほど前に行った「研修」のことを持ち出した。特に高田さんがそれを拒んだことを問題視した。高田さんは、この研修を受けた社員がストレスがたまり、うつ病になったことを恐れた。自分もなるのではないか、と考えた。
「研修」とは、他のオペレーターが20人ほど並ぶオフィスで、ひたすらテープ起こしをすること。そのテープは、会社がオペレーターとお客さんが電話で話す内容を録音したものだ。トラブルを防ぐためにも、以前から顧客との話し合いを録音していた。
そのやりとりを聞きノートに書き出す「研修」は、最近始まった。前述したこの3月に辞めた女性は、数週間にわたりこの研修を受けさせられた。来る日も来る日も、ノートに一言一句漏らさず、書いていく。
「オペレーターの資質はない」
さしたる説明もなく雇い止めに
ところが、それを上司に見せても、「今後はこうするべき」と明確な指示がない。「経験がないだけに、何を言えばいいのかわからないのではないか」とオペレーターの間では噂される。
高田さんは「研修」の際、やりとりを聞き直したが、やはり見つからない。どこに問題があるのかと尋ねると、上司は答えない。
上司は「あなたにはチャンスを与えてあげたのに……」と言った。高田さんは「チャンスって、何を意味しているのですか」と聞き返した。それは、自分を辞めさせることを前提にした言葉だったと察知した。だが、上司は黙ったままだった。
そして今度は、そのやりとりをもって「研修をきちんと受けようとしなかった」と結論付ける。その直後に雇い止めとなった。高田さんの憤りはここにある。経験がない上司にさしたる説明もなく、いきなり解雇を言い渡される。しかも仕事上のミスは何らなく、それを指摘されたことすらない。
高田さんは労働組合・下町ユニオン事務局長の加瀬純二さんを訪ねた。加瀬さんはこう捉える。
「会社の業績は悪くはない。いわゆるリストラというよりも、結局狙い打ちの解雇なのだと思う。客観的で合理的な理由もなく、辞めさせている。不当な解雇であり、労働契約法にも違反している。しかも、いじめに近い研修を受けさせている。このようなことが繰り返された末に、丁寧な説明もなく、二十数年のキャリアを否定した」
労働組合経由で団体交渉を申し入れると
あっさり「給与3ヵ月分」の和解金を提示
高田さんが正社員ではなかったことも指摘する。
「正社員ならば、このようなことをしなかったのではないか。非正社員であり、なめていたのだと思う。それならば、雇用差別。三十数回も契約を更新してきたのだから、当然4月の更新を期待するはず。それが突然、切られる。その理由が、こじつけのものでしかない」
会社に団体交渉を申し入れると、会社側の弁護士と管理部の担当役員などが現れ、あっさりと「和解金を給与の3ヵ月分(60万円)支払う」と言い始めた。だが、お詫びはない。弁護士は加瀬さんらの指摘に、「見解の相違」と繰り返す。加瀬さんによると、1回目で和解金が提示されることは珍しいという。
「この会社はダメだと実感した。弁護士は話し続けたが、役員からは何の説明もない。こちらの顔を見ることもしない。手元には文庫本を置いていた。本来団体交渉では、部の責任者などが言い返してくる。それは会社に思い入れがあるからだと思う。ある意味で、愛社精神の現れだ。ところが、あの役員にはそれがない。『3ヵ月分を払うから、早くいなくなれ』としか思っていないのではないか、と感じた」
高田さんは、弁護士が口にした「(高田さんは)もう、辞めた方ですからね……」という言葉が、心にズシンと来たという。
「私の22年間は、何だったのだろうと思う。何の説明もお詫びもない」
最後に受けた研修について、その意味や効果を何度も確認したが、役員から説明はなかった。弁護士は「見解の相違」と言い、「3ヵ月分の給与で和解したい」と話をそらす。
高田さんは今も、なぜ研修を受けさせられたのかわからない。雇い止めの理由も見えてこない。それでも、会社に説明を求め続ける。何よりも、上司だった女性の口から話が聞きたいのだという。
踏みにじられた人々の
崩壊と再生
ここからは、加瀬さんの意見も交えながら、筆者なりの分析でストーリーを補足したい。理不尽な解雇に追い込まれたり、今その予備軍となっている社員の中には、「なぜ自分が標的にされたのか」を理解できない人も多い。
こうした理不尽な人事が起きる一部の日本企業の文化的背景を考察することで、自らが置かれた立場を理解し、心を整理して、今後の再生に役立ててもらえたらと思う。
1.人事制度自体にフェアな
感覚が浸透していない
解雇規制の緩和が議論されている。解雇には懲戒解雇、整理解雇、普通解雇の3つがあるが、それらが丁寧に整理された上で深い議論がされていない。たとえば、整理解雇と普通解雇はその意味合いが相当に異なる。ところが、「解雇」ということで同じように扱われる。
実態に基づかない議論が進められる中、懸念されるべきは高田さんのような狙い打ちのケースだろう。加瀬さんはこう指摘する。
「労働者からすると、整理解雇はある意味で救われる思いになるのかもしれない。会社の業績難が背景にあり、辞めさせる社員の選定にある程度の客観性・合理性があるならば、労働者は受け入れることもある。
だが、高田さんのようなケースはそれとは違う。会社の業績は悪くはない。仕事の落ち度もトラブルもない。解雇に相当するような理由が見つけられない。もしかすると、上司の感情だけで事が進められたのかもしれない。つまりは、狙い打ちのいじめであり、無理矢理に解雇に追い込んでいる。抗議をすると、些細なことをこじつけては言い訳をする。そこに、本人が納得できるものがない。このように理不尽であるからこそ、泥沼化する」
私が解雇問題について取材すると、この言葉が企業社会において、相当広い範囲に当てはまることを実感する。つまり、上司や会社側が職場に「公平」という考えを浸透させようとしていないように思える。
たとえば、多くの日本企業はこの二十数年、「実力主義」と言いながらも、人事評価が曖昧のままであり、評価の説明を丁寧に社員たちに行っていない。配置転換も出向・転籍も然りだろう。連載第2回で紹介した男性のケースは、これに該当している。
一方で、今回の女性上司のように抜擢人事が行われたとしても、その説明もさほどなされないがゆえに、職場には不信感や抜擢されなかった人の空しさが漂う。ひとことで言えば、「職場」が見えないのだ。人事システムに今のような曖昧さを残しておいては、社員の納得感は高まらないだろう。組織としての生産性は上がらないのではないだろうか。
そして、会社は何か問題が起きると、後からとってつけたような理由を持ち出し、正当化しようとする。このフェアな感覚が浸透していない虚しさが、職場の社員の間に蔓延している。
このような事態を生み出す理由の1つが、連載第1回や第4回で説明した、職務構造があまりにも曖昧すぎることにある。要は、上司や会社側が部下である社員をやりたい放題に動かすことができることだ。ここにメスを入れないと、とりわけ解雇選抜の場合は今回のケースのように泥沼化することが避けられない。
2.まともな話し合いの場が
職場に根付いていない
高田さんは団体交渉で役員らに抗議をしたときに、「膿が出たような気がした」と話す。これも、職場で人の心が病んでいく一因ではないだろうか。
自分の尊厳が奪われたような扱いをされたときに、多くの職場では社員が話し合う場がないのである。周囲は、見て見ぬ振りをする。そこに、本人が言葉では説明がつけられない、やるせなさを感じるのだろう。
加瀬さんはこう話す。「団体交渉が裁判とは異なるのは、本人が会社に直接、話を聞くことができること。しかし、解雇された場合などは、会社との話し合いの場を奪われた人が少なくない」
私の取材経験から言うと、会社の話を外に持ち出し、労働組合などが入ると、会社は一転して態度を改める。そして「労働組合ではなく、1対1で話をしよう」と懐柔策をとることもある。ここにも働き手を怒らせる何かがある。
今回の話は労使の争いのケースだが、日々の仕事においても、職場でこうした話し合いの場が不足しているケースが少なくないのではないだろうか。仕事の割り当て、量、その仕事をすることの意味や理由、今後の展望、配置転換をはじめとした異動などについて、日頃から上司と部下が向かい合い、きちんと話し合う姿勢が乏しいように思える。
言い方を変えると、多くの上司は部下のことを「自分とは考え方が様々な意味で異なる」ということを自覚できていない。ここに、パワハラやいじめが浸透する下地があると筆者は見ている。高田さんの上司も、部下と話し合う意識が弱いように思える。そもそも会社にとって、会社員の経験がない人をいきなり管理職にしていること自体に、大きな問題がある。
3.優秀な人材を顧みない
評価構造になっている
加瀬さんは、高田さんの上司についてこのように分析する。
「部下が仕事面で改善策を提案すると、それを批判として受け止めたり、『文句を言っている』と捉えていたのかもしれない。だが、社員が職場の問題に気がつくということは、真剣に取り組んでいるからこそ……。
心の狭い上司はそれを認めることなく、頭ごなしに否定する。すると、部下には仕事はあまりできなくとも、何も言わない人が残る。そして、その上司も上には何も言わずに昇格し、役員などになっていく。能力や実績とは関係なく、上がっていく人も少なくない。日本の職場は、こうした構造の中で優秀な人材を随分と失っている」
解雇に限らず、退職強要やいじめなども含め、労使紛争の発端にはこのあたりの構造的な問題も関係しているのではなだろうか。こういう本質的な部分が曖昧にされたままでは、いつかは心が萎えていく社員も現れるだろう。
そして、会社も組織としての求心力も失うのではないだろうか。ここ十数年のリストラや解雇をめぐる議論はあまりにも視野が狭く、浅い捉え方に終始している。