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(19時間25分前に更新) |
「オスプレイに反対するのは沖縄の地域エゴである」「これ以上、沖縄を甘やかしてはならない」-そんな空気が永田町の保守政治家や霞が関の官僚、全国メディアの記者の間に広がっているらしい。
雑誌メディアは「日中もし戦わば」式の領土ナショナリズムを刺激するような特集であふれ、ネット上では毒々しい扇情的な言葉が飛び交う。
この種の言論で批判の矢面に立たされるのは、米軍基地を引き受けようとしない日本本土の側ではなく、普天間飛行場の辺野古移設やオスプレイ配備を認めようとしない沖縄の側である。
原因と結果を取り違えてはいけない。現在の「ごたごた」は、米軍の基地維持と作戦展開を優先し、県民の負担軽減を先送りし続けてきたことの結果であり、問われなければならないのは政府の姿勢だ。
沖縄の基地負担を軽減することは、米軍統治の下で呻吟(しんぎん)してきた沖縄県民の「労苦に報いる」ため、政府や国会が復帰以来、何度も強調し続けてきた県民に対する厳粛な約束である。
にもかかわらず、全国の米軍基地(専用施設)の約74%が今なお沖縄に集中し、ここに来て、負担軽減と逆行する機能強化策が相次いで打ち出されているのだ。
辺野古移設やオスプレイ配備をめぐって「ごたごた」が続いてるのは、基地負担を沖縄に負わせ続ける「おまかせ安保体制」を堅持しているためである。この構造的問題をどう変えていくかの冷静な議論が何より必要だ。
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「尖閣を守るためにはオスプレイが必要」との議論が、検証もされずにまかり通っているが、ほんとにそうなのだろうか。
米国は尖閣諸島の領有権問題について「あいまいな戦略」を取り続けている。背景にあるのは日米中3カ国の複雑な関係である。
日中の軍事衝突に巻き込まれ中国や台湾を敵に回すことは、米国の国益に反する。米国にとっては最悪の、絶対にあってはならない事態だ。
その一方で、尖閣をめぐって日中関係が緊張状態にあるということは、米軍にとって、沖縄駐留を正当化しオスプレイ配備などの機能強化を日本の負担で実現するための好機でもある。事情は複雑だ。
日中衝突の際にオスプレイが投入されることを当然の前提にするのはナイーブ(素朴)な考えではないだろうか。そもそも米軍の抑止力とは空軍、第7艦隊などの総合力をいうのであって、輸送機にすぎないオスプレイに過剰な抑止力を期待するのはいかにも危うい。
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中国の不透明な軍備拡大や周辺国を威圧するようなやり方が、国民に強い不信感を与えている。
国民の「嫌中感情」をうまく利用して、オスプレイ配備と辺野古移設を正当化しようとしているのが現在の構図である。
だが、県民の声を無視して強行すれば、日米同盟はいっそう不安定化する。
日中双方が知恵を出し、尖閣問題を封印するしかない。