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岩波書店 創業100年迎える
8月5日 21時56分

古今東西の古典を集めた「岩波文庫」のシリーズなど、数々のロングセラーで知られる東京の岩波書店が、5日、創業から100年となりました。

岩波書店は、大正デモクラシーのさなかの大正2年に、古書を扱う店として創業し、戦前から、学術書などを手がける出版社として知られています。
5日、創業から100年となり、抽せんで選ばれたおよそ50人が、東京・千代田区にある会社の中を見学しました。
岩波書店は、大正3年に夏目漱石の「こころ」を手がけて以降、「古事記」や「論語」、「戦争と平和」など、古今東西の古典を集めた「岩波文庫」のシリーズや、戦後の論壇の一翼を担ってきた月刊誌「世界」、それに、日本を代表する国語辞典の「広辞苑」などを出版し、いわば日本の教養の象徴ともなってきました。
出版した本や雑誌は、およそ3万4千点に上るということで、5日の見学会では、書庫で思い出の作品を見つけ、懐かしそうに眺める人の姿もみられました。
山形県から訪れた66歳の男性は、「20代のころから岩波書店の本を集めており、大きな影響を受けました。これからも世の中のためになる本を出し続けてほしい」と話していました。

「岩波文庫」と戦争の影

岩波書店は、学生時代に誰もが一度は手にしたことのある「岩波文庫」のシリーズを手がけるなど、いわば日本の教養の象徴的な存在ですが、一方で、その歴史に戦争が暗い影を落としています。
岩波書店が最初に手がけたのは、大正3年に出版した夏目漱石の「こころ」です。
そして昭和2年、古今東西の古典を集めた「岩波文庫」の刊行を始めます。
これまでに5650点が出版され、戦前戦後を通じて最も多く売れたのは、去年12月の時点で、▽プラトンの「ソクラテスの弁明・クリトン」の160万部、続いて、▽夏目漱石の「坊っちゃん」と▽ルソーの「エミール」の139万部、▽「論語」の130万部などとなっています。
しかし、日中戦争から太平洋戦争に至る時期には、発禁処分や削除処分を受けたり、店主の岩波茂雄が、出版法違反で起訴されたりして、自由な出版が許されない状況に追い込まれます。
一方で、陸軍は思想的に問題がないと判断した岩波文庫の作品を、前線の兵士らの慰問品として、昭和15年と昭和17年にそれぞれ10万部納入するよう命じました。
これにより特別に紙の配給を受け岩波文庫は戦時下を生き延びますが、岩波書店は、戦争を止められなかった反省を基に終戦の年、月刊誌「世界」を創刊し、戦後の社会運動の原動力になっていきます。

「世界」変遷に日本の歩み反映

岩波書店が、終戦の年に創刊した月刊誌「世界」の変遷は、戦後日本の歩みを色濃く反映しています。
「世界」は、太平洋戦争への道を許したことへの反省を基に、終戦の年の12月に創刊されました。
まだ、各地に戦争の爪痕が残る中、当時としては異例の8万部が売れました。
翌年には、軍国主義を生み出した日本人の精神構造を批判的に分析した政治学者、丸山眞男の論文、「超国家主義の論理と心理」を掲載して話題を呼びます。
1950年代に入ると、発行部数はおよそ15万部に達するようになります。
そして、戦後最大の社会運動とされる「60年安保闘争」では、誌面で「いまこそ国会へ」と呼びかけ、戦争への嫌悪感が強かった当時、国会周辺に学生など多くの人々が集まるきっかけになったといわれています。
そして、ベトナム戦争や沖縄返還があり、公害が社会問題化した1970年代にかけて戦後の論壇の一翼を担います。
しかし、日本が高度成長期から安定成長期に入り、東西冷戦が終結したあとの1990年代半ば以降、発行部数が減り始め、最近は終戦の年の創刊号を下回る6万部にとどまっています。
その「世界」の発行部数に変化が表れたのは、2年前の東日本大震災でした。
「生きよう!」をテーマに、震災の翌月に出した特集号は、2回の増刷を行い、これまでに8万部を発行したということです。
震災当時、「世界」の編集長で、今は岩波書店社長の岡本厚さんは「社会情勢の変化に伴って読者の求める情報も多様化しましたが、岩波書店では戦争への反省や民主主義をテーマに学術的根拠に基づいた記事を発信してきた。今後も社会に対し、さまざまな視点で『問い』を投げかけるとともに、知識や文化を読者に配達する役割を果たしていきたい」と話しています。

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