しあわせのトンボ:「面白い」ということ=近藤勝重
毎日新聞 2013年08月02日 13時59分(最終更新 08月02日 14時02分)
小林秀雄氏が正宗白鳥氏との対談でこんなことを言っている。
「事実に対する興味、これは人間どうしようもないものらしいですね。作りものではない、事実だというだけで、どうしようもない興味が湧いて来る」
氏の「対話集」を再読し改めて印象に残ったくだりだ。続けて氏は、こうも言っている。
「僕の家内なんか文学にはおよそ縁のない人間ですが、太宰事件にはたいへん興味を寄せる。やれ、すべった跡があったとか、なかったとか。女房だけじゃないですよ。僕だってそうですよ」
太宰事件とは、1948年に太宰治が女性と玉川上水で入水死した事件のことで、要は事実の持つ強さをいうわけだ。
ぼくら新聞記者は取り上げるニュースに対して、「面白い」という言葉をよく口にする。「原稿、面白いのか」「はい、面白いと思いますよ」といったデスクと記者のやりとりは、ほとんど日常的な会話である。手元の辞書によると、「面白い」の古語は「おもしろし」で、目の前が白く開け、心が晴れ晴れする感じを表すが、それが原義となって、「興味深い」「楽しくて夢中になる」「おかしい」などの意味を持つ言葉となったようだ。とりわけ「興味深い」が、ぼくらの使う「面白い」にぴったりくることを思うと、小林氏の言う事実の強さを抜きに、面白い記事など書きようがない気がしてくる。
しかし面白くなければ売れない即売の週刊誌と違って、新聞は主として宅配だから、面白さの度合いは直ちに数字には表れない。その点で新聞記事の面白さは、記者一人一人の自覚によるところが大だが、といってぼく自身、偉そうなことを言えた義理ではない。
四十数年の記者生活を振り返ると、至らぬ数々のことが思い出される。関係者に対する配慮と言えば聞こえはいいが、ついつい当たり障りのない話にした記事もあれば、こういう事実があれば、隠された真実も浮かび上がり、もっと面白い記事になると思いつつ、その努力を怠った記事もある。
今さらながら、小林氏の言葉を心して受け止めたいと思う。(専門編集委員)