読み始めて、私はページを繰る手が止まらなくなった。そこには、自分の故郷であるオークリッジを誇りに思う気持ちと、そのオークリッジで生産された濃縮ウランを使った原爆がヒロシマにもたらした悲惨な現実を知ったあとの葛藤が、率直に書かれていたからだ。さらに、新聞に発表された彼女のエッセイには、地元民の反発を恐れる気持ちや、自分自身の郷土愛と、「自分が広島の人だったらどう思うのか」を考えて葛藤する軌跡が綴られていた。
「私が幼かった頃、すべてに簡単に『黒か白か』とレッテルを張ることができました。すべての行動は『正しいか、間違っているか』しかありませんでした。『1つの物事に両方があり得る』などという考えは馬鹿げたことに思えました。人間には『良い人』と『悪い人』しかいなかったのです。悪者は牢屋に行き、良い人は天国に行く。人生は分かりやすく、簡単で、そして美しく思えました」
「しかし、すべては変わり始めたのです。私はより深く考えるようになりました。戦争には必ず相手があり、2者が戦うのだということを理解し始めたのです。そのうち歴史を書くのは勝者の側なのです」
「(第2次世界大戦の)向こう側に行ってみると、私が気づくことすらなかったオークリッジへの予断や偏見がそこにはあったのです。それは誇張されているだけではなく、想像を超えるほど複雑でした。両側からものを見るのに私は悪戦苦闘しました。ずっと私はアメリカ側の視点でした。そして反対側の視点を学ぼうと太平洋を渡ったのです」
「私は対話し、話を聞き、相手の立場に立って考えました。彼らの考えは彼らの考えで、筋が通っていました。それぞれが筋の通った物語を持ち、それが対立していました。私は気が狂いそうでした」
「オークリッジにいるとき、私は誇りを持ってこう言ったものです。『(原爆は)必要だった。間違いなく必要だった。果たすべき任務を優秀に果たした。そんな街の出身であることは何と素晴らしいことだろう』」
「しかし」とミッチェルは書いている。
「広島に我が身を置くと、こう思うのです。『こんなことは起こしてはならなかった。ここにだって同じ人間がいたのだから』」
ミッチェルはこのエッセイを「灰色の影と向かい合う」(Dealing with the Shades of Gray)と名付けていた。白黒のつけづらい複雑な現実を、安易に白黒をつけようとせず、悩みながら考え続けることに人生の意義はあると書いていた。
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