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【転載歓迎】「JAPANデビュー第2回」全内容-Part.4

第3部 「国体論」の暴走

語り・濱中博久:
天皇機関説論争の舞台となった東京大学です。大日本帝国憲法発布から23年後、1912年、憲法の解釈が二つに分かれ、大論争が起こりました。

憲法講座を持っていた上杉慎吉博士は、「天皇は国家そのものであり、天皇の意志によって国家は動かされる」という天皇主権説を説いていました。

一方、同じ法学部で、主に行政法について講義していた美濃部達吉教授が、天皇機関説を唱えました。美濃部が著した『憲法講話』です。この中で美濃部は、国家は沢山の機関から成り立つ組織である。天皇もその機関の一つで最高機関であると記しました。

東大で起きた天皇機関説論争とは、何だったのか。近現代史でも数多くの著作がある評論家、立花隆さんです。

評論家・立花隆:
「あの、と、東大だと思ってるでしょ、東京帝國大学なんですよ、これは。帝大なんす、こっちも帝大。こっちも東京帝國大学ですよ、ね、へへへ(マンホールの蓋を指差しながら)」
「天皇機関説ってのは、あの、別の言い方をすると、あの、国家法人説と言ってもいいような立場ですよね、えーと、要するにその、国を統治する、統治する主体、要するに主権、保持者は何者かというね、えーと、結局はそこの論争になるんですが、主権そのものは、えー、要するに国家という法人の中にあるんだという、それで、天皇は、その中で何者かというと、あのー、えーと、あの、国家全体を、あの肉体に譬えれば、あの、要するに頭の部分が天皇であると、ね。だから、あの天皇も一つのオーガン、あの器官ってのはね、“きかん”きかんってのは、機関車の機関じゃあなくてですね、あのオーガンなんすっよ、あのオルガンなんすね、それが美濃部の天皇機関説なんですが、そういう流れに沿って書いた、あの美濃部の論文に対して、あの上杉というのは、あのー、東大で、えっと憲法講座を、まあ20年もずーっとやってきた人ですから、で、その人は元々、天皇中心主義者で、天皇中心主義こそ、日本の国体そのものであるというね、非常に強い考えを持っていた人ですから、まさに萬世一系の天皇が、あのー、日本を支配しているというね、えっと憲法一條そのものを、その通り、あの、要するに、言葉通りに解釈するっていうか、受け取るというかね」

美濃部、上杉、両者の論説の違いは、憲法の解釈にあります。
上杉は、憲法に記されていると、天皇こそが統治権を持ち、日本の主権者であると主張します。これに対し美濃部は、天皇も国民と同じく、国家機関の一つであるという考えから、統治権は国家そのものにあると唱えたのです。上杉と美濃部は、お互いの意見を、当時の雑誌「太陽」の誌面で、激しくぶつけ合います。

上杉:「美濃部博士は、天皇が統治権の主体でないという。では統治者は誰だというのか。私は天皇が主権者であるとするが、美濃部博士は人民全体の国体を以て、統治権の主体とする。私は我が国を君主国とするが、美濃部博士は民主国という」

美濃部:「私は、憲法講話の如何なる場所においても、帝国を民主国であるとしていない。また天皇が、国を統治する大義を無視する言を為したことはない。統治権は、君主一身の利益の為でなく、全国家の利益の為に実現するものであるので、その権利は国家にあると考える」

上杉:「美濃部博士は、天皇が機関だという。国家の機関であり、団体の役員だという。団体とは人民全体のことであり、天皇は人民の為に働く使用人として存在するというのが、美濃部博士の説である」

美濃部:「法律学で、通常使われている団体の機関という語を取って、他人の使用人と解釈するとは、全く想像さえしていなかった。機関という言葉は、国家を人体に譬えることから起きた言葉で、君主が国家の機関というのは、人間の頭脳が、人間の機関であるのと同様の意味でいうのである」

評論家・立花隆:
「国体に関する異説という、その上杉が書いた、ね、あのー美濃部に対する、その、糾弾の文章ね、この糾弾の文章そのものが、完全に、要するに曲解なんです。あの、ねじ曲げると、こう、そういう論理も成り立つのかなという、やね、あのー、そういうことを言っている、わけで、こりゃね、えーと美濃部が、あの、もう完全圧勝という形に読めるんです」

論争の結果、この時は、美濃部の説が、他の憲法学者や法学者からも支持され、それまで東大で一つしかなかった憲法講座が二つ設けられました。学生がどちらかの講座を選ぶことになったのです。

評論家・立花隆:
「で、学生が、現実にどっち取ったかっていうと、あの、相当多数が、あの美濃部の方を取っちゃうんです。ですから、あのー、東大生の主流が、そっちを取っちゃうってことになると、要するにそのー、それから以後の、その司法試験の、試験の内容も、何もかも、今度は美濃部の考えに従って、あの、なるというか、だから、憲法の世界を完全に支配していた上杉憲法は、そこで、あの、完全に美濃部に敗北するということが、事実上起こるわけです。これは上杉の生涯、あのー、何ていうか、一番大きな恥辱の経験として、ずーと彼のトラウマになって残っているわけですね」

語り・礒野佑子:
第一次世界大戦後、世界では新たな政治思想が拡がっていきます。社会主義革命が起こり、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生。その波は日本にも押し寄せ、共産主義運動や無政府主義運動が起こります。東京帝国大学でも、経済学部の助教授であった森戸辰男が、無政府思想を日本に紹介します。同じく東京帝国大学の吉野作造は、民主的な思想の拡がりから、議会や政党を中心にした国家の有り様、民本主義を説きました。また、各地で労働組合が結成され、労働争議が起こるようになっていました。

語り・濱中博久:
こうした新しい思想や活動に、大きな危機感を抱いたのが、元老・山県有朋でした。1920年、大正9年に、山県は時の原敬内閣の閣僚に、極秘の共産主義運動防止の意見書を配布していました:

「世界の思潮が急激に変態をきたし、今やその勢いはほとんど全世界を風靡している。新思想は陰密の間に各部に浸透し、その状況は驚きに堪えない。教育制度を改善し、新思潮を食い止めなければならない」

天皇機関説論争で破れた上杉慎吉も、山県同様、新しい思想や活動は、国体、国の在り方を大きく揺るがすものとして、強く反発します。特に、民本主義を説く吉野作造を激しく非難します。

『我が憲政の根本義』より:
「我が立憲政体は、天皇親政を基礎とするものである。議会中心の政治というのは、即ち、天皇親政を排斥する政治である」

評論家・立花隆:
「彼はね、やっぱりね、あの、論争達者なんすよ、ね。そりゃ議論はうまいんです。あの、彼の文章だけを読んでいるとね、なるほど、なるほど、と思います。上杉の文章ってのはね、非常に独特の熱気を持ってるんですね。だから、大衆の心を、あの、この、マインドを、この引き込んで、そちら側に惹き付けて、こう、乗せちゃう。上杉は、扇動家の能力があるんですよ、ね。攻撃性が物凄く強いの、ね。だから、ちょっとでも上杉的なマインドがあったらね、もう、そりゃもう、上杉絶対正しいわ、みたいな感じになって、だから上杉の周りに集まった学生がね、みんな上杉の熱狂的な支持者になるんですよ、で、そういう熱狂的な支持者が、あの時代の、あの若い右翼学生の、あの運動の中心になってるわけですね」

東大では、上杉の教えを信奉する学生達が「七生社」を結成。七度生まれ変わっても、国に尽くさんとする者の集まりとされ、国体活動を繰り広げます。

『七生社誌』より:
「今や大日本帝国は、実に多事多難。非常の時には非常の事を為すべし。深刻痛烈なる覚悟を以て、共に死生を誓って切磋琢磨しよう」

1932年、大蔵大臣を務めた井上準之助、三井財閥の団琢磨が、相次いで暗殺される血盟団事件が起きました。この暗殺団の中に、四人の東京帝国大学の学生が居ました。何れも七生社のメンバーでした。上杉に深く傾倒していた四元義隆。懲役刑に処せられますが、服役後は、近衛文麿首相の側近となります。この後、四元は政界に深く関わり、戦後は、歴代総理大臣のブレーンとなっていきます。

★上杉慎吉の写真(1929年、昭和4年、死去)

上杉の死後、その門下生達が、テロやクーデター事件に、身を投じるようになっていました。この血盟団事件の前後、国内では血生臭い事件が相次ぎます。

1930年 浜口首相 狙撃事件
1931年 三月事件
      十月事件
1932年 血盟団事件
      五・一五事件
1933年 神兵隊事件

日本は、急速に右傾化していきました。
更に、天皇中心国家を目指す過激な変革思想が生まれていました。国粋主義者、北一輝が『日本改造法案大綱』を著します。

★日本改造法案大綱(1923年出版)の映像

この本は、直ぐに発禁処分になりますが、一部を伏字にすることによって、出版が許されます。冒頭から削除された三十四行には、何が書かれているのか。これは、当時の司法省刑事局が、危険思想を研究する為に作成した極秘文章です。ここに削られた三十四行が記されていました。最初の項目、天皇。その冒頭には、憲法停止と書かれていました:

「天皇は全日本国民と共に国家改造の根基を定めんが為に、天皇大権の発動によりて、三年間憲法を停止し両院を解散し、全国に戒厳令を敷く」

政治腐敗を打破し、貧困から国民を救うには、明治維新と同じく、再び天皇親政による国家改造しかないという議論が浸透します。不況や不作に喘ぐ民衆。国家改造の空気が拡がった背景には、政治家や財閥など特権階級に対する強い不満がありました。

犬養毅を暗殺した五・一五事件では、被告達の命を救おうという嘆願書が寄せられ、その数は百万を超えたといわれています。
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JIF-情報統括

Author:JIF-情報統括
すべての拉致被害者の
 生存と救出を祈って…

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