日本って、いまいち新しい時代の父親像が提示されていないような気がします。
国際調査に見る、日本人男性の古くささ
各種アンケートや統計においても明らかなように、日本において、相変わらず父親たちは昔ながらの「妻が家事をこなし、夫が稼いでくる」というモデルを固持しようとしているように思えます。あんたら、バブル期ですか。
たとえば「少子社会に関する国際意識調査報告書」では、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考え方に賛成する人の割合はトップを走っています(男性65%、女性56.8%)。
反対する人の割合も、国際的に見て圧倒的に低いです。スウェーデン男性は74.5%が反対しているのに対し、日本ではなんと8.2%!
国の文化によって相違点があるのはけっこうですが、さすがに「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」というのは時代遅れと言わざるをえないでしょう。
そういう人たちは、共働きについて考えるんでしょう?うちの世帯もそうですが、この低年収時代、共働きもはやデフォルトだというのに。サラリーマンの平均年収は相変わらず下がっていますし、「夫は外で働き、妻は家庭を守る」ことは、ますます難しくなっていくでしょう。
育児に「参加」する?
そういう時代遅れなマインドは言葉の端々からも醸し出されており、たとえば「男性の育児参加」なんて言葉もそれでしょう。
ここで、本来は違和感を抱くべきです。男性が育児をすることを、なぜ「参加」というのでしょう。女性が育児することは、「参加」といいますか。いわないでしょう。「女性の育児参加」という言葉を、ぼくは聞いたことがありません。
本来育児は自分の意思で「参加」するものではなく、「寝る」「食べる」といったレベルの生活行為です。男性が「参加」するという表現は、育児がまさに、生活行為となっていないがために出てくる言葉といえます。
これからの父親は、母親との「共同事業」として子育てをしていくという態度が求められるのでしょう。無論、育児は自分の意思で「参加」するものではなく、常に生活のど真ん中に位置するものです。「参加」と認識する時点で、距離があるのです。
とはいえ、今は過渡期ですし、かくいうぼくも「育児参加」という感覚を持っています。生物学的にも、社会構造的にも、父親は外部の人間であるような気もしてしまいます。母乳が出れば違うのかもしれませんが…笑
20年後の未来には、もはや「男性の育児参加」なんて言葉は死語になっているのでしょう。「お父さんが食卓にいるとおかずが一品増える」みたいな話が、もはや過去になっているように。父親のあり方というのは、変わっていくものなのです。
家庭を大切にする男性像を描いた作品としては、こちらがもっともリアルでオススメ。社会起業家として名高い、駒崎弘樹さんが書かれた一冊です。
共働き世帯の「戦略的」生き方を説いたこちらもおすすめ。