家入さんの口座晒し祭り、ぼくも少額を振り込んでみました。
【出家】家入一真氏は、次世代の「托鉢僧」である – ihayato.書店 | ihayato.書店
実名で寄付をするか否か
振込をする際にちょっと悩んだのが、実名にするか匿名にするか。「イケダハヤト」名義で振り込むこともできましたが、結局匿名で振込することにしました。
ぼくが振込をしたのは、色々あって生活に困窮している方でした。卑下する意味ではなく、生活環境からいって「社会的弱者」と呼ばれておかしくない方です。
そういう人に対して、個人が実名を出してで支援をするのは、彼・彼女にとって、大きな心理的負担になりかねません。「イケダハヤトさんから施しを受けたんだ」という事実は、彼・彼女のなかに埋め込まれ、後の心理や行動に影響を与えるでしょう。
ぼくは変に恩を売って縛られたくないので、そういう弱者支援をするときには匿名で行うようにしています。
なお、これは「寄付は匿名で行うから美しいんだ」といった話ではありません。もっと実際的な、支援者と支援を受ける人との間の、権力関係の話です。
生活保護という「公助」
この話は、バッシングを受けがちな「生活保護」にも通じます。生活保護(公的扶助)のすばらしい点は、「誰が支援してくれたががわからない」点にあります。
「そうなったら(貧困状態になったら)、とりあえず『隣りのあなたの世話になっているわけではない』ということが必要なんです。そのほうが、生きやすいわけですから。
『生活保護の受給者になる』『被保護者になる』ということは、『隣りのあなた』、ご近所の誰かのお世話になると言うことではないんですよね。社会の『再分配』という仕組みとして、どの人も、生活が一定のレベル以下になったら底上げをするということなんです。
支えられた人も、支え手に回ることもあるし、それは入ったり出たり、流動性のあるものなんです。これは、社会保障という仕組み、制度の非常に優れたところです」
公的な支援、いわゆる「公助」の価値を端的に示した文章です。
顔の見えるコミュニティベースでの支援関係、いわゆる「共助」の場合には、このようにはなりません。まさに『隣りのあなた』の世話になっている状態なので、困窮の状態によっては、大きな負担になりかねません。
ぼくは「顔の見える支援」に高い可能性を感じていますが、それは「顔が見えない支援」である公助が、しっかりと機能している上においての話です。あくまで「共助」は「公助」を補完するものにすぎません。
この順番が狂ってしまうと、社会の権力関係が強く立ちあらわれ、一度弱者の身分になってしまうと、経済的・精神的に這い上がるのがむずかしい社会になってしまうでしょう。
相手が弱者ではない、または弱者であっても自らの弱さに打ちひしがれていない場合は、「顔が見える支援」は効率的な支援となるでしょう。
公的扶助はもろもろのコストも掛かりますしね。今回ぼくは少額を直接支援したわけですが、これを公助でやろうとしたら、採算が合わないと思われます。
こんなサービスあったらいいな
最後に余談ですが、この切り口でウェブサービスも作れると思います。
困窮した人が、可能なかぎり自分のプロフィールを出して、直接支援を求める。支援金を提供してくれた人が誰であるかは、当初はわからない。無事に自立ができたときに、誰が支援してくれたかをボタンひとつで明らかにすることができる…なんて仕組みとか。これなら、公助と共助における関係性の良いところを、両方回収できます。誰か、作ってください笑