(平成10年11月20日)

第一勧業銀行 巨額 怪小切手事件

 第一勧銀が振り出したといわれる額面 2,500億円の自己当て小切手が西インド諸島に本拠を置く貿易会社に売却された。
 売却代金は額面の 10% の 250億円。

 10月25日、このビジネスの仲介者から売却グループ側に届いた通知では、代金の決済日は 11月18日だという。
 関係者のひとりがつぎのように証言する。
「売却代金は 250億円ですが仲介者側と折半なので、こちらの取り分は 125億円。でもここにきて仲介者側が高飛車な態度になり、かなり減額されると思う」
 この売却代金の決済方法は2段構造になっている。前出の関係者はいう。
「11月14日に代金の一部が売却側各メンバーに支払われ、残金は 18日、3ヶ所の銀行口座に分散して振り込まれることになっている」
 私の情報が正確ならば、仲介者が売却側グループに送金のため使う銀行は米国・ロス市内の W・F銀行だ。

 口座の名義人は同市サウスグランドアベニューに住所を持つ金融ブローカー 奥野正巳 です。彼は売却グループに一部金を支払った後残金の送金作業に着手することになっている。

 この 250億円の小切手については後で説明するが、これと同種の額面 250億円の小切手が6月に発覚した DKB 事件の裏で大きな役割を果たしていたという噂が、金融関係者や一部ジャーナリストの間で真実味を持って語られている。

 DKB が総会屋 小池隆一 に不正融資した金は総額 300億円になることが、東京地検特捜部の調べで明らかになっている。

 これまでの捜査で判明したところでは、92年9月、当時頭取、会長だった 奥田正司 と 宮崎邦次 (故人) は、総務担当常務の 田中賢二 から、小池隆一 への融資状況について詳しい報告を受けた。

 小池の担保株は担保割れしていて融資は困難だった。
 しかし、総務部案件で引き継がれてきた “特別な事情” を考慮の末、奥田らは迂回融資を了承した。

 9月4日に都内の料亭で小池の先生 木島力也 (故人、元出版社社長) と DKB 会談が開かれた。
 木島は右翼の大物だった 児玉誉志夫 のブレーンです。
 この直前まで審査担当役員だった 金沢彰 と 内田恒雄 は、田中たち総務部の要請に耳を貸さず、融資打ち切りを決めていた。
 そのため田中は奥田らトップに直談判、ゴーサインを取り付けた。

 小池が、DKB 本店・斎藤芳邦 業務部長(当時) の名で振り出された額面 250億円の自己当て小切手を複数枚所有していた、と証言する金融ブローカーが何人かいる。

 額面は違うが同種のカラーコピーを私は持っている。額面 9億7000万円、斎藤芳邦 名で 91年11月1日に振り出されたもので、奥田正司 頭取(当時) 名と印章が押されている。

 小切手番号は A150864B3 となっている。
 この小切手には社団法人・日本貿易振興公社が取り立てに回したときの裏書きがある。この社団法人の理事長は 沢津奈志 で、この一連の巨額小切手の出所はこの人だといわれている。

 今も沢と深い関係の金融ブローカー 滝口義男 は次のように証言する。
 「私は、沢と興銀の貸し金庫に行った。金庫ナンバーは 0001。並の人物じゃないと思った。引き出しには 1,000ドル札束が 2〜3束、それと DKB 小切手が1センチ程あった」
 沢に融資したことのある不動産屋、安井承二郎 も似た光景を 93年頃目撃している。小池は日本貿易振興公社の理事をしていた時期がある。
 金融ブローカー 滝口義男 は証言する。
 「沢が小池に 250億円の小切手を渡したことは間違いない。沢の口から直接聞いた。度重なる小切手の譲渡要求を沢が拒否すると、小池は沢を拉致した。その沢を助け出したのが武道家の 大文字三郎 です」
 政財界に親交のある大文字に聞いてみると、「沢のピンチを救ったことはあるが、誰からかは言えない」と言葉を濁す。

 私は、カラーコピーも含めて振出日が 91年11月1日付の小切手を何枚も見ている、額面は 9億7000万円、100億円、200億円、250億円。
 これらのうち複数枚は 沢から小池に渡り、巨額融資事件に使われた可能性は多いと私は思う。


100億円小切手の真贋をめぐる攻防

 DKB が振り出したという一連の巨額小切手はミステリアスだ。ここで触れる 100億円小切手も例外ではない。

 不動産屋、安井承二郎 が、融資の担保として 100億円の小切手(A150863A)を、日本貿易振興公社の理事、沢津奈志 から受け取ったのは 93年の秋だ。

 同年 11月、安井は、この小切手を東京・虎ノ門のスイス銀行に持ち込んだ。その時の模様を安井は次のように話す。
「スイス銀行支店長が DKB に真偽の確認をした。 DKB は “訳あり” と回答した。 結局、換金はできなかった」
 この回答に不満な彼は、その後 DKB 本店業務部、大蔵省銀行局銀行課、日銀考査局と日参するが埒があかない。
 翌年 94年1月末、安井は DKB に口座を開設、振込用紙に 100億円の数字を記入して小切手と一緒に窓口に提出した。
 この時の模様を安井本人が語る。
「業務部の次長と課長が来て、困る困るの一点張りで振込ができない。私は窓口の係員に、この小切手が偽造ものなら、はっきり偽造と書いてくださいと言うと、それはできないと言う」
 こんな押し問答が同年5月まで続いた。安井は続ける。
「誰も偽造とは言ってない。でも振り込みも認めない。疲れて2ヶ月入院し、退院後、健康も考えて、この件は財団法人・東興協会にゆだねました」
 同年 8月26日、東興協会は、この小切手を住友銀行青葉台支店から振り込んだところ、なんと同支店は受け付けた。 同協会の預金通帳には 100億円が記入された。
 この措置について住友銀行は顧問弁護士 須藤英章 を通じて、文書で次のように回答している。
「平成6年8月26日に当銀行青葉台支店が、あなたの依頼に基づいて行った銀行振り出し小切手の取り立て手続き (入金および交換持ち出し手続き) には何ら瑕疵も認められません」
 つまり、問題の小切手の、振込依頼を受けたことと、手形交換所に回した作業に一切ミスはなかったと明言している。 にも拘らず、3日後の 29日、問題の小切手は DKB によって “偽造” という裏判子を押され、東興協会に返却された。

 DKB の判断に強い疑念を持った東興協会は、96年2月1日、DKB を相手に “書証真否確認請求訴訟” を東京地裁に起こした。 つまり 100億円小切手の真贋裁判だ。

 6月28日、東京地裁は、東興側の請求を棄却した。
「この小切手が正しく成立したと認める十分な証拠がない」ことを理由にあげている。
 DKB にコメントを聞くと、裁判所の判断を引き合いに出して、次のように答えた。
「安井、東興協会が所有していた小切手を本物で未使用の物と対照すると、
  1.番号の構成が異なる
  2.ハートマークを打つ位置が異なる
 更に
  1.色が黄色っぽい
  2.印影が朱肉ではない
  3.小切手番号末尾のAがゴム印で押したらしい
と丸の内署の指摘を考えて、偽造であることは明白です」
 その上
「カラーコピーでしょう。金額の数字はチェックライターで打たれているが、当銀行のものとは違います。それに、裏面に支払証明書のようなものが書かれているが本物にはありません」
 これに対し東興協会はこう反発する。
「裁判所の判断は基本的なミスをしている。
 切手法の第7章は複本について規定している。私の持っている小切手は複本で、日常的に使われている正本とは違う。
 複本の真贋を確かめているのに、裁判所は、DKB の提出した正本と比較して、ここが違うあそこが異なるというのはおかしい」

 DKB を管内に持つため、この事件を捜査している丸の内署の山元副署長は言う。
「この小切手法はかなり古い時代にでき、現在では、どこの銀行も複本は出していない」


逮捕者が一人もでない不思議

 この 100億円小切手は、裁判終了後、安井に返された。 彼の DKB 通いが再開した。
 96年10月7日、DKB 本店営業カウンターで行員と言い争っている時、丸の内署に呼ばれた。安井の証言。
「同署5階で、顔見知りの警部補が、問題の小切手を科学捜査研究所で鑑定するから提出してくれと言った。
 鑑定後返すことを条件に渡した。
 鑑定結果の説明と同時に小切手は戻ると信じていた」
 1ヶ月後結果が電話で伝えられ、安井は言う。
「鑑定は偽造でした。小切手の返却を頼んだが、聞いてくれなかった」
 この件について山元副署長は言う。
「偽造がはっきりしたので、捜査上返せない。捜査の進行状況は、安井から話を聞いている段階です。
 安井に小切手を渡した沢は居所がわからないので安井が連れてくるといいと思う。類似のものが出回ってないので、専従捜査員もいません」
 しかし、今回の取材で DKB は「この小切手はある人物に渡した額面 9,700円の小切手 10枚のうち1枚をカラーコピーし、数字を改ざんしてつくられたものだ」と明言している。

 このある人物が 沢津奈志 であることは私の取材で裏付けが取れている。
 沢は重要参考人なのに行方を追っている気配はない。
 この小切手の存在が明るみに出て3年以上たつのに逮捕者どころか、沢の居所も確認できない、その上 類似の小切手は他にも出回っている。


闇に封じ込められたスイス事件

 私は DKB のもう一つのミステリアスな巨額小切手の一件を追った。

 1994年5月10日、同様に DKB から振り出されたといわれる 970億円と 200億円の小切手を、スイス・ユニオンバンクで換金しょうとした日本人とアメリカ人7人組がスイス警察特捜部に有価証券偽造、行使の容疑で逮捕された。

 捕まったのは金融ブローカー・滝口義男、富田博、金田ヨシユキ、武道家・大文字三郎 の日本人4人と 米国連邦判事・GEORGE、米国テネシー州弁護士・MORICE WITTMAN? の代理人・DUNLOP と スイス人通訳・GORDON。

 滝口の証言によれば 大文字は沢の代理として同行したのだという。

 大文字の略歴は、九州・長崎の出身。 空手と韓国の武道と沖縄の武道をとり入れた道場を東京と福岡に設立、日本と韓国に弟子が2万人。
 自民党の山崎拓・民主党の鳩山や財界人がサポートしている。

 沢が大文字に宛てた手紙のコピーの一部を紹介する。
 95年1月10日。
「先生との出会いは光明であり心から信じています。 指導してください」
 大文字は沢についてこう言う。
「90年2月私が経営する警備会社にガードを頼まれたのがきっかけです。
 滝口とスイスに行ったのは、彼のガードを沢さんに頼まれたためで、小切手の取り引きとは関係ありません。
 沢とは今も付き合ってます。家賃を払ったり、5月の北京行きも支払った」
沢の代理人かは不明だが二人は親密である。

 滝口のスイス事件の証言。
「銀行の応接室に行き 10分後に警官7人が来た。あまりのすばやさに罠にはめられたと思った」
 滝口はイタリア・ミラノ市の国境近くにある警察に連行され、大文字と富田はルガノ市にある警察、その他の人はルガノ本署で身柄拘束された。

 首謀者と見られた滝口は5月18日まで連日 体罰と取り調べをうけた。
 彼は日本領事館員立ち会いのもとでの取り調べを求めた。

 5月24日何の前触れもなく通訳を同行した弁護士が滝口を訪ねてきた。
「大文字が所有している原券からカラーコピーしたことと、富田にビジネスをもちかけられてスイスに来たことだけを認めてくれ」
と弁護士が言い、滝口は了解した。

 罰金と国外退去処分で決着した。
 滝口と富田が 7万5000円 大文字が5万円である。

 16日目 5月26日、滝口ら日本人4人は、スイス国際空港の強制送還室で釈放された。
 香港経由キャセイ航空で帰国したのは5月29日である。

 帰国後、日本の警察から事情聴取された者は誰もいない。勿論新聞やテレビも報道していない。つまり、このスイス事件は闇に封じ込められたままなのである。


提供された工作資金 1,500万円

 冒頭で話した額面 2,500億円の小切手に話を戻すと、売り手側と、仲介者の間で売買交渉が初めて行われたのは 96年12月下旬です。

 このビジネスの関係者を挙げておく。

 売却側は財団法人東興協会の理事・塩谷巌。 自民党 加藤幹事長の元秘書で日華交通システム社社長・大野泰弘 と 関東系広域組織暴力団の組長クラス3名。

 仲介者はUSレシビング・エージェント(米国デンバー在) の 菅野紀夫、ジェネラル・インベストメント・マネージメント社(バハマ在) の 奥野正巳、コンソーショントレーヂング・インターナショナル社(米国フロリダ在) の コンラッド・ハブナーら。

 買い受け側は、アイランド・トレーダース・インターナショナル社(西インド諸島のアンチグア在) の ポール・バイアン。

 この仲介3社は関連会社で、アイランド社とも人的繋がりがあると言われている。

 この日 96年12月下旬、東京新橋第一ホテルの2階に集まったのは売却側5人と仲介者の 奥野正巳 で、ポール・バイアンの代理人として秘書のジャック・ウェーバーが東京のインターコンチネンタルホテルに滞在、この交渉の経過を見守っていた。

 奥野が売却側に示した売り渡し価格は額面の 10% の 250億円で、この中には仲介料も含まれる。
 奥野はビジネスの条件としてその小切手に付帯する資料の提出が不可欠だと言った。それは、
 1. DKB が発行した事を裏付ける関係役員か発行に拘った関係者の証言書。
 2. この小切手の性質についての情報開示、等である。

 小切手と付帯資料の入手は 大野泰弘 が受け持った。 初商談後、彼らは中華で祝った。

 翌年つまり 今年 97年、1月下旬、大野は、帝国ホテルで塩谷と会い、2,500億円の小切手を届けた。 財団への寄付という形になっている。
 2月6日塩谷は四ツ谷駅近くの会館内で付帯資料の一部を 奥野正巳 に手渡した。

 奥野正巳 と 菅野紀夫 がアイランド・トレーダース社との売却交渉締結のため渡米することになった。
 3月17日、初会合のときのメンバーが再び新橋第一ホテルに集まった。
 この席で売却側が奥野らに 1,500万円の工作資金を提供することが決まった。

 彼らは、この金でジャック・ウェーバーの3ヶ月のホテル代を精算した。総額 433万円である。
 3月25日、奥野が渡米した。成田空港で彼を見送ったのは売却側のやくざ2人だった。

 菅野、奥野の会話の中に、“デンバーの本部” という言葉がしばしば出てくる。
 このことから仲介3社のトップにあるのが菅野の所属する USレシービング・エージェントであることが推測される。

 97年8月23日、私は身分を偽ってコンラッド・ハブナーに2度電話をかけた。菅野紀夫 との関係を知りたかったからです。

 彼は、私の質問に対して、国際業務の担当者だと職責を明かし、「菅野とは所属する会社は違うが長い付き合いで、一緒に仕事をしたこともある」 とフランス語訛の強い英語で話す。

「我々の会社の本社は米国ではなく他の国にある。でも米国政府とは密接な関係にある」と言う。
 私が、御社の会社概要が知りたいのでパンフレットがほしいと言うと、駐日米国大使館で聞けばすぐわかるはずだ、といなした。

 問題の小切手の買い受け会社のアイランド社と仲介3社は人的な繋がりがあると言われている。
 この情報とハブナーのコメントを重ね合わせてみると、この会社の実体がぼんやり見えてくる。

 もう一つ未確認情報がある。
 アイランド社の役員であるポール・K・バイアンは、ヨーロピアン・グローバルバンクの代表でもあるというものである。

 同行が、サウジアラビアの王家と密接な関係にあることは、金融関係者なら誰もが知っている事実である。 「ポールは、サウジ王家の三男だ」 と噂する人もいる。

 アイランド社を英語表記すると、EYELAND となり、関係者の一人が、こんな推測をする。
「本来なら ISLAND と表記されるのに EYELAND となっているのがこの会社の性格を表わしている。 EYE には私立探偵の意味もある。

 その上ハブナーの言う “政府機関と関係がある” という言葉から考えて、この会社は米国情報機関の関連会社じゃないのか」
の推測を裏付けるような情報がある。警察関係者の話である。
「各国の警察、情報担当者を集めたパーテイーが、毎年1、2回東京で開かれる。その時アイランド社の人と名刺交換しました。 東京駅近くの Mビルにオフィスがあるはずです」
 仲介者の 菅野紀夫 や 奥野正巳 の会話に、米国大使館という言葉がしばしば出てくることも、推測と符号する。

 アイランド社は、この小切手を買い取ってどのように利用しようと考えているのか。
 私が当事者から直接聞いたこの “ビジネス” の筋書きは、おおよそ次のようなものだ。
 ちなみに小切手の買い取り価格は額面の 10% の 250億円だ。

 96年12月下旬東京新橋第一ホテルで売却側は5人と奥野の会合の席上、奥野は言った、数年前に DKB から小切手帳3冊が紛失、これが回り巡ってアイランド社の手中にはいった。

 以前、私が売却側の 大野泰弘 から聞いたところでは、これは紛失したのではなく、退職した役員が持ち出したと言う触れ込みだったつまり、この件は大蔵省への届け出もなく、今日まで隠蔽されてきたもので、そこにアイランド社が付け入ろうというストーリーだ。

 この会合に出席した関係者によると、同社は、この小切手帳を DKB に返却する代償として、2,500億円の小切手と同額の DKB の7年物社債との交換を要求、10年物を主張する同行との間で調整が続けられている最中だという。

 この筋書きのポイントとなっている “小切手” と “社債” との交換について DKB サイドは次のように否定している。
「7年物でも 10年物でも、当銀行には該当する社債自体が存在しないし、まして交換の話なんかどこからも来ていない。

 それに小切手が持ち出された事実もない。

 一連の偽造小切手は額面 9,700円の本物の小切手 10枚のうち1枚をカラーコピーして、数字などを改ざんしたものが出回った物だ」
 4月9日 米国ロスアンゼルスのサウス・グランド・アベニューに滞在する 奥野正巳 から売却側の 塩谷巌 に第一報が入った。
 奥野が発信した FAX の要約を紹介する。
「日本を出発して2週間、本部より連絡がありました DKB に対する大蔵省保証手続きが4月11日までに完了すると、大蔵省からテレックスが入ったとのことです。

 これで全てが完了することになり、4月22〜24日には 日本でお金が受け取れるので安心してください。

 これから大事なことは、外部にこの件を漏らさないことです。 一番難しいことと思います。
 質問があればどうぞ。 私が移動するときは FAX します。
署名」


獄死した 岡田貞子 の極秘帰国

 4月15日 奥野正巳 から塩谷巌に第2信。その抜粋
「今、作業中です。
 本部よりバハマに4月18日に入るように指示があり、その後ジュネーブです。

 今の計画では、4月23〜25日頃帰国できます。
 現地の打ち合わせ次第なので、随時連絡します。 暫くまってください。
署名」

 そして4月23日奥野から塩谷への第3信。
「急遽、デンバーの本部から4月21日出てこいと指示があり、打ち合わせに行ってきた。

 結論は、私が、直接銀行に入って送金作業をするのは4月28日からです。取り扱い銀行はユニオンバンク・スイス、ルクセンブルグ銀行の各バハマ支店です。
 両方とも日本に支店があります。 私たちの組織が言うにはパリ銀行も使用するかも。

 どうして日程が最終決定しなかったというのは、DKB が 10年債を発行するというのを、大蔵省が期間が長いと難色を示しているため。
 私は、毎日苛々して、一体いつになるのか不安でしたが最終手続きが終わり、ほっとしました。

 会長はじめ皆さん安心してください。
 4月22〜25日までロスにいます。 26日にはマイアミ経由で現地に出発します、無論その前に連絡します。
署名」

 同じ日、奥野は、自分の身元保証人に次の FAX を送っている。
「4月21日 デンバーの本部へ呼び出ウれて最終スケジュールを指示された。
 4月28日 バハマに入る、
 4月29〜30日、作業に入る、
 5月1日 日本へ送金準備、
 5月2日 帰国予定、
 遅くとも連休明けには受け取れるだろう。
署名」
 本分中デンバーの本部とは、仲介者 菅野紀夫 が所属する USレシービング。 エージェントだろう。
 奥野が待機するロスからデンバーまでは3時間の距離だ。

 この頃、総会屋 小池隆一 に DKB の小切手を渡したとされる財団法人・日本貿易振興公社の元理事・沢津奈志 と親密な関係にあった 岡田貞子 がシンガポールの刑務所で獄死したという情報が 塩谷巌 ら売却側グループを駆け回った。

 岡田は、昭和天皇のご落胤を自称する女で一部マスコミに知られている。


彼女の逮捕容疑の偽造小切手詐欺未遂事件について

 96年2月15日、岡田貞子 は DKB 振り出しとされる預金小切手1枚持って、シンガポール市内の大手米国系銀行に行った。額面は 1兆2,700億円だ。

 彼女は小切手を窓口に差し出し、口座を開設して入金したいと係員に伝えた。
 銀行側は DKB に問い合わせた。その結果、偽造と判断された。

 その夏、岡田に懲役1年の判決が下り、服役した。でも、後で不思議な事が起こった。

 この判決の前、岡田貞子 は二人の男に付き添われて一時帰国、都心のホテルに二泊しているのだ。
 この事実は日本の警察当局も確認している。
 彼女が、自宅に保管している重要書類と引き換えに司法取引した噂もここに起因している。

 その 岡田貞子 が出所二日前の 97年3月11日、刑務所内で突然死した。死因は肝硬変となっている。

 実は私は岡田が台湾経由でシンガポールに行く直前長時間インタビューをしている。 少なくとも私には岡田が肝硬変には見えなかった。

 私の手元に 沢津奈志 から 岡田貞子 に宛てた FAX のコピーが有る。
 日付は 89年6月17日
「6月16日 DKB 訪問(本社常務第一号室) 陶山同伴(秘書役で) 127の件どうする」
書かれているこの数字は何を意味するのか。

 陶山勝郎 は、沢の主宰する国際プロジェクト事業団の理事です。
 陶山の証言から、沢が訪ねた相手は DKB の常務・飯盛正大 (のち子会社の中央不動産社長に転身) だった。
 私の質問に、飯盛は次のように答えた。
「沢が、訪ねてきた用件は、皇室関係者の写真が載ったカレンダーを買って欲しいということ。 127の件? 全然記憶にない」
 飯盛は DKB の出身で、後に頭取になる 奥田正司より、この時は、出世していた。でも、この沢との会談後 奥田に遅れた。
 91年には専務と副頭取と地位が逆転。

 この年塩谷が真贋裁判にかけた小切手が振り出されている。
 92年6月飯盛は DKB を退職。

 沢と飯盛の会談の切っ掛けも不思議だ。 飯盛の説明はこうだ。
「私が支店を担当していたときのパーティーで会って、名刺交換したと思う。
 沢はその縁で面会に来た」
 この程度の出会いで大手銀行の常務が自分の執務室に入れるのも不可解な話だ。

 岡田貞子 の獄中での突然死は、売却側グループに強い衝撃を与えた。彼らは息を詰めて 奥野正巳 の行動を見つめた。

 6月1日、奥野から塩谷へ FAX が来た。
「日本を出て 67日が過ぎた。5月30日バハマに送金された。
 あとは私が菅野と合流してバハマに行くだけ。
 6月1日出発予定だったが、菅野が子供と遊んでて、目を怪我したので3日遅れる。

 パートナーのコニーは、私がバハマに入り次第 作業が出来るように事前手続きを取る、と言ってる。
 帰国についてはバハマから FAX します。
 私自身トラブルが起きないように十分注意している。 ここで失敗は許されない。
 皆さんによろしく。
     Say hallow to everyone
署名」
 その2日後、売却側の一人が、奥野と電話で話している。
「ユニオンバンク東京支店への振込は 6月11〜12日の予定、金額はまず 5%(125億円)残りの 5% はすこし月日がかかる」
 6月7日奥野が帰国した。

 総会屋 小池隆一 に巨額の利益供与をした、いわゆる、“野村証券事件” が発覚したのは4月だ。
 奥野が帰ってくる頃は、この事件の発端ともなった東京地検の捜査が DKB の上層部に及んだ時だ。 それだけに売却側グループは、奥野の帰国に湧いた。


売却側の苛立ちと疑念

 工作資金を 1,500万円出資した売却側メンバーは、6月半ばを過ぎても金を手にできなかった。

 彼らから詰問される度に奥野は言う。 「外為審査に手間取ってる」 とか 「大蔵省の認可が遅れているので」 と弁解。
 奥野を指示する立場にある 菅野紀夫 は、終始彼の背後に隠れていた。

 売却側の苛立ちは沸点に達した。 そして菅野ら、仲介側への疑念に変わっていった。
「1ヶ月も前にウエーバーからユニオンバンクのバハマ支店に振り込まれているのに、日本に送金されて来ないのはおかしいと、皆仲介者に疑いの目を向け始めた」
 関係者の一人が言う。「ウエーバーとはブライアンの秘書だ、コンラッドと菅野が組んで米国市場で金を転がしてる」 という意見が有り。 二人が、売却代金を金や有価証券で運用し、利鞘稼ぎをしているというのである。

 6月25日 売却側5人と奥野がホテルニューオ−タニに集まった。 菅野は居なかった。

 奥野は、吊るし上げられた。
「奥野は、菅野の言うがままに動いて居るだけ。 奥野では正確な話が聞けないから、菅を出せと、俺はどなった」
と関係者の一人が言う。

 8月13日 売却側代表と菅野の会談が千葉・松戸で行われた。

 菅野は暴力団組長クラスの前でも卑屈な態度はしなかった。
 ある関係者が、菅野の話を再現する。
「あなた方と会う必要がないと思ったから会わなかった。 私はこのビジネスに 10億円を供託してる。

 感謝されても文句を言われる筋合いはない。

 私は、いつまでに仕上げるとか、何日に米国から送金があると、言った事は一度もない。

 送金が遅れ、迷惑は、認めるが、こちらの手落ちではない。
 日米高官の約束事項が、日本側の都合で遅れているだけ 」
 この後菅野は、コンラッドから送られた文書を近々、提示すると約束した。 送金期限を9月末日までと限定されていると言った。

 売却側は、一応満足を得て引き上げた。
 菅野のいう文書とは、ブライアンからコンラッドに宛てた書簡だ。
 日付は8月11日 内容は、
「コンラッド殿今迄の電話会談や数々の文書の他、私達があなた方にアドバイスできる事は、日本から公的な情報を8月8日に受け取った事だ。

 日本の大蔵大臣は契約2件に対する全額決済を 97年度第三期決算中に行う事を決定しました。
 従って、あなた方は少なくとも 97年9月30日を過ぎる事なく受け取れると期待できます」
 契約件数が2件と有るところから、2,500億円の小切手以外にもう一枚売却が行われていたことになる。 多分、仲介者の誰かが上乗せしたのだろう。

 しかし、9月末日を過ぎても約束は実行されなかった。
 10月3日、菅野と奥野は電話で話し合っている。
「昨日、すべての作業が終わったと、本部から報告を受けている。
 既にこのビジネスは本部の手を離れている。 あとは銀行のシステムの問題だ。

 あなたの (奥野) の口座は向こうに知らしてある。
 こちらから銀行に入金の問い合わせなどしないこと。
 あなたは銀行からの入金報告を静かに待っていればよい」
 10月31日、仲介者側から売却側に決済の通知が届いた。 代金の支払は 11月18日だという。

 売却側関係者の証言。「決済日の遅延に焦れて、こちら側から減額を申し入れましたので、契約時の 125億円から大幅に下回った金額になると思う」

 先の関係者が明かす。「11月14日に前払い金という形で代金の一部が支払われる。残金は 11月18日に3ヶ所の銀行口座に分散して振り込まれることになっている」



 俄には信じ難い巨額小切手、日本、欧州、米国、アジアにまたがる舞台、「大蔵省」 「米国大使館」 「情報機関」 など公的機関の関与を臭わせる筋書き。

 前後2回にわたってレポートした一連の金融怪事件の本質をどうとらえるかは、読者の判断に任せよう。

 ただ、日本版金融ビッグバンによって全面的な自由化が実現すれば、ビジネス機会の増大と表裏をなして、こうした国際的規模での事件や犯罪が激増する事は明らかだ。

 ちなみに、11月17日現在、件の前払い金は振り込まれていないという。



参考資料

Eyeland Traders Ltd.

有限代理人任命書

1996年 11月29日発効

 国際金融コンサルタントである、Konrad Hubertus Hubner氏はマイアミのドイツ総領事発行のパスポート No.323705701 (有効期間:1992年5月14日〜2002年5月14日) を所持し、以下の通り、当 Eyeland Traders 社により正式に承認された当社の代理人であり、FC:120496:YEN (これの FAXの写しを本人が所持している) と記された、または知られたビジネスの契約、および処理業務、その他 EyelandTraders 社からそのつど割り当てられた任務に関連する事柄について当社の 「特別代表者」 であることを承認する。

 Konrad Hubertus Hubner氏は FC:120496:YEN と称する契約の中に組み込まれた諸条件及び手続きに明記された通り、または下に署名した者によって変更、再定義、または修正された通り、または同氏に対して出された書面によるその他の指示や同氏に課せられた任務の中に記された通り、ビジネスの交渉、履行、必要な処置の迅速な完了に関連する事柄においてのみ全権を付与されている。

 Hubner氏は Eyeland Traders社に代わって契約の交渉にあたる全権を付与されているが、いかなる交渉も Eyeland Traders社取締役会の書面による承認を得なければならない。 すべての契約、約定、その他いかなる約束も Eyeland Traders社の会長、Paul K. Bryan によってのみ署名がなされなければならない。さもなければ、Eyeland Traders社の取締役会幹部によって承認されなければならない。

 Hubner氏の行為、行動、および代理人としての任務は常にその道のプロとして最高のものでなければならない、また、それは一重に Eyeland Traders社の利益を図るものでなければならない。

 Hubner氏は毎日、FAXで英文の報告書を当機関に、「注意:The Director 宛」 と記して提出すること。
 その報告書は常にこのうえなく率直で、また完全なものでなければならない。

 この任命はただ今より即刻効力を発し、下に署名した者によって撤回されない限り、完全に効力を発し続ける。
 またこれにより、すでに存在した書類はすべて無効となるか、または、これにとって替わられるものとする。

 この任命、及びこの書類の確認は FAX、Eメ−ル、または郵便で Director 宛に行うことが可能である。

 この書類は FAX の形式で充分信頼できると考え、1996年11月29日 本日、西インド諸島のアンティグアにおいて発行され、以下の者の手によって署名された。


Paul K. Bryan  Konrad H. Hubner
Director  特別代理人



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com


当社承認済み報道声明文

(Eyeland Traders社を代表して、私、Konrad Hubner が代読いたします。)


 報道関係の皆様方、Eyeland Traders社の会長である Paul K. Bryan に代わって、私が次の報道声明文を読むよう依頼されました。

 西インド諸島のアンティグアに企業登録された国際業務法人である Eyeland Traders社は、共に尊敬すべき日本人ビジネスマンである 奥野正巳、越智道明 の両氏と、1996年12月5日に、もしくは 1996年12月5日頃に、合法的な契約を締結いたしました。

 1996年12月5日に、もしくは 1996年12月5日頃に、両氏は東京にある第一勧業銀行から発行された、銀行小切手を Eyeland Traders社に提示されました。

 この銀行小切手は、現在 DKB の会長である 奥田正司氏が Eyeland Traders社に支払うよう個人的に裏書きした、250億円の小切手です。
 更にこの小切手には 奥田正司氏の印も押されています。

 1996年12月5日、もしくは 1996年12月5日頃に、当 Eyeland Traders社はこの小切手を取り立てにウェスト・インディーズのアンティグアに在る当社の取引銀行に提示しました。
 同行は同時にテレックスで第一勧業銀行に対し前述の小切手の回収を行う旨打電しました。

 第一勧業銀行は、そのテレックスに対して、1996年12月5日に、もしくは 1996年12月5日頃に、「当銀行はそのような小切手を発行していない」と返電してきました。

 今日まで、Eyeland Traders社は企業レベルで、また私は現在東京で当社を代表する立場で、さらにアンティグアの回収銀行は銀行対銀行レベルで、そして当社の大事な日本人クライアントである越智、奥野両氏も、奥田氏と連絡を取って、なぜ同氏が越智、奥野両氏の苦労して得たお金を受け取り、その受け取りとして前述の小切手を与えたにもかかわらず、今になってその小切手の存在を否定し 回収に回された小切手に対して支払いを拒絶することによって同氏の銀行、および同氏自身の名誉を傷つけてしまった理由を説明するようあらゆる努力を続けてきました。

 Eyeland Traders社は第一勧業銀行から支払い拒否の連絡を受けるとすぐ、調査を開始し、その結果、小切手の番号から、11枚もの同じような小切手が、同じような状況のもとで預金者に対して発行されていることが判明しました。

 さらに 11枚以上の小切手のことだけでなく、Eyeland Traders社に対して小切手が発行された事実、及びその有効性について知っている4つの銀行の幹部の姓名と役職名も分かりました。

 また、さらに 11枚の小切手の所有者達も同じく DKB から小切手の支払いを拒否されたことも明らかになりました。

 当社は、奥田氏、および第一勧業銀行によって個人的にまた集団的に、“詐欺” にあったというのが、Eyeland Traders社の取締役会の意見です。

 ゆえに、本日、当社は日本の警察に、これまで収集してきた調査資料をすべて提供するつもりです。
 これには小切手の番号、クライアントの名前、前述の銀行幹部の名前も含まれています。

 また、ここで奥田氏と第一勧業銀行に対して正式の告訴状にサインいたします。

 当社は然るべき調査期間中は、出来る限り日本の警察当局に協力する所存です。
 同時に、奥田氏が当社のクライアントに個人的に発行し、Eyeland Traders社に支払うよう裏書きした、現在当社所有の小切手の額面価額を回収する努力を続けるつもりです。


Eyeland Traders社 取締役会

Mr. Paul K. Bryan 署名


 皆様方の質問にお答えする場合は、事件の取り調べの妨げにならないよう、注意を払うよう指示されております。

 記者会見にお越しいただきましてありがとうございました。


(編集部:以下は原文3ページのうちの2ページ目から)

Eyeland Traders Ltd.

1996年12月10日

奥野正巳 殿、越智道明 殿

 本件は米国連邦捜査局、連邦執行官、アンティグア行政官、及び INTERPOL (国際警察) と協議した結果、全員一致で合意し、貴方方が 1996年12月11日、米国東部標準時 午前9:00 までに以下の方法で確認と支払いを行うことを許可します。

 万一ここに記載された通り4つの手順が 1996年12月11日、米国東部標準時 午前9:00 までに完了しない場合は刑事事件として捜査が本格的に始まります。

 もしこの小切手が正真正銘のものであるならば、以下の4つの手順はその誤解を解き、さもなくば開始されることになっている法的な処置を未然に防ぐたった一つの道であること、さらにこの方法によってのみ、本件に関わった人々の名前と名誉の回復が可能であることを貴方方は心に銘記しておくこと。


要件:

  1.  本日、米国時間 12月10日、日本時間 12月11日、会長、すなわち DKB の会長が 「誤解」 に対する謝罪、および小切手の信憑性の確認を Key Tested Telex で連絡すること。
     前述の KTTはヨーロピアン・ユニオン・バンク(Telex:0393-2136 EUBANK) に送信されること。

  2.  前述の KTTはさらに日本円で 250億円を以下の宛先に、1996年12月28日(東京時間) 12:00 までに速達電信為替で送金する旨を記し、それをもって送金の予告とする。

    Credit Lyonnais (Suisse) Geneva
    SWIFTCRLY CH GG
    口座番号CHF/GBP/USD 00-14819-7
    振込転送先 European Union Bank
    Nevis St. St.John's
    Antigua, W.I.
    当座振込口座90165615

  3.  前述の資金は円建てで(東京時間) 12:00 までに送金され、USドルで口座 90165615 に振り込まれなければならない。

  4.  前述の資金が口座 90165615 に振り込まれ、引き出し可能となった時点でヨーロピアン・ユニオン・バンクは民間の速達便で小切手を会長に返却し、本件は終了する。

 Konrad Hubner氏は 即刻今から速達電信為替による資金の振込が終了するまで、当社の利益を保護するというその目的のためだけに、この取引に関するあらゆる事態の現場に居合わせることになっており、同氏は契約権限を専一的に有する当社にいかなる事態も連絡しなければなりません。

 私はヨーロピアン・ユニオン・バンクから会長の KTT が正しく時間通りに届いた旨の確認を待っているところです。

Paul K. Bryan
Director

同文コピー送付先:記録弁護人
EUB
J. Zelcer
Lord Mancroft



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com

Eyeland Traders Ltd.

1996年12月13日

Mr. Konrad Hubner

口座番号USD 00-14819-7
当座の振込転送先 ヨーロピアン・ユニオン・バンク
Nevis Street
St.John's, Antigua, W.I
テレックス(0393)2136 EUBANK
受取人EUROPEAN UNION BANK
口座番号90165615


 もしこれらの手続きが設定された期限内に完了すれば、我々、及び、我々が接触してきた法執行部は小切手が拒否されたことを 「誤解」 だったと考えるつもりです。

 前述のアンティグアの口座にドル建てで資金が振り込まれ、引き出し可能となった時点で、当社は小切手の原本を民間の速達便で DKB の会長に戻すよう EUB に指示する予定です。

 しかしながら、

 万一いかなる形であれ、妨害にあったり、協力を拒まれたり、または丸山氏および DKB の会長が期限内に上記の手続きを完了しなかった場合は、貴方は即刻、次の指示に従う事。

  1.  日本国内、海外、及び自国内のあらゆるマス・メディアとすぐに連絡を取り、貴方が当機関を代表する人物で、当機関は、DKB 会長が “受け取ったローン” の支払いとしてサインした 250億円の小切手を手渡されている旨を告げること。

     DKB の会長は前述の小切手の支払いを拒絶している旨を告げること。

     記者会見を行う手筈を整え、すべてのニュース・メディアに、関係者全員の名前と役職名を含めて当方が保持しているあらゆる情報を提供すること。

  2.  貴方はまた同時に、当機関に代わって日本の警察に連絡を取り、詐欺事件について報告すること。
     記者会見場に警察を呼び、その場で当機関を代表してDKB、及び同行の会長を相手取って正式な告訴状にサインすること。

  3.  貴方はまた同時に、この詐欺事件を日本の大蔵省、及び銀行を取り締まる部署に報告すること。
 貴方が記者会見を開いているのと同時期に、下に署名した者はコロラド州、デンバーにある国際的なマス・メディアに対して同じ情報を流す予定です。
 米国での記者会見から 24時間以内にアンティグアでも記者会見が予定されています。

 私は今、貴方から出される予定の報告を待っています。
 もし報告が来ない場合、連邦執行官に連絡を取り、貴方が緊急に援助を必要としている旨、報告するつもりです。

 私たちは貴方を信頼し、尊敬しています。

Paul K. Bryan
Director

同文コピー送付先:記録弁護人
U.S.M.
FBI
IFMPOL
INTERPOL
EUB
U.S.Ambassadorial Corp.
USAG



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com

Eyeland Traders Ltd.

1996年12月17日
コンラッド・ハブナー 様

Eyeland Traders Ltd 代表


主題:
  1. 貴方の当社の代表としての地位の確認、および自由に発表してよい情報

  2. 新聞発表と DKB、および同行の会長を相手どった正式な告訴

拝啓 ハブナー様

 本状は当社の代表としての貴方の地位を確認し、自由に流してもよい情報を貴方に提供するためのものです。

 そしてさらに以下に署名した者の指示に従って 現在所有している新聞発表のちらしを配布し、当社に代わって東京の第一勧業銀行を相手取って正式な告訴状にサインするよう指示するものです。
 このコミュニケはファクシミリの形式で大丈夫でしょう。


自由に発表してよい情報:

 Eyeland Traders Ltd.は国際事業法人で St.John's Antigua, W.I.において正式に設立され、登録されている企業である。

 当社は国際的なベースで多方面にわたる合法的なビジネスを行い、主要市場、流通市場、及び民間市場において所有者本人、または取引依託者として外国為替、金融商品の売買、その他の金融債、社債の売買などを行っている。

 Eyeland Traders Ltd.に関するその他の情報、および貴方の代表者としての身分の確認はファクシミリ、または Eメールで当方に 「The Director に直接送付注意」 と記して要請がありしだい、U.S.Receiving Agent を通じて送付する。


Paul K. Bryan
Director



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com


 今回の第一勧業銀行本店発行 小切手 No.A1576024E/額面 2,500億円について、平成9年2月13日(木)東京四ツ谷のスクワール麹町という建物の4階にて証言者 大野泰弘氏より説明を受けたものである。

 立会人は 菅野紀夫、奥野正巳です。

 まず、この小切手がどうして発行されるようになったかということですが、昭和61年(1986年) 当時、中曽根首相、竹下大蔵大臣時代の香港での金属取引 (レアメタルという金属) に関連した事件が発生し、これに関与したのが、第一勧業銀行 宮崎邦次 頭取 (当時) 第一勧業銀行本店公務部、香港支店長 生山啓二郎 (当時) 達です。

 そして当然大蔵省理財局か国際・・局かは知りませんが、ある部署が関与していました。

 それから年月が過ぎ、平成3年11月18日からこの種の小切手が世間に出てくるようになったのです。

 この時、宮崎邦次頭取・奥田正司専務の時代です。

 今回の小切手の裏面に記載されている No.886 について説明しますと、奥田正司頭取が裏書きしてある小切手の裏面に記載されている No.851〜No.888 については奥田頭取自身の責任と権限で発行されたものです。

 そして、「大蔵省之印」 が割印してありますが前記しているように昭和61年のことでもあるために確認という意味で第一勧業銀行の担当者が大蔵省へ持ち込んで割印を受けたものです。

 従って、大蔵省のある部署が関与していることは間違いありません。

 表書に発行は平成7年7月7日となっているのは、平成7年7月〜10月までの4ヶ月間 山田隆 が第一勧業銀行本店業務部長を務めていた時に、奥田正司頭取の指示で作成したという証で今回持ち込んだ小切手 No.A1576024E (No.886) は奥田正司頭取が退陣前の平成8年3月28日までに切替え発行したものです。

 奥田正司頭取(当時)が関わり指示していたこと、使用されている用紙に矛盾は無いし全てにおいて問題ありません。

 そして、この発行手続きのセクションは、第一勧業銀行本店 19階で行なっていました。

 以上の内容について相違ない証として委任状に署名して提出します。

 今回の小切手 (No.A1576024E) に関する重要な部分のみをテープより抜粋して文章にまとめたものです。

(記録者)
奥野正巳
Passport(JP) No.MN7265658


Eyeland Traders Ltd.

1997年6月11日

DKB 決済の件

主題:支払いスケジュール

拝啓 ハブナー様:

 本状は 1997年6月10日の私たちの電話でのやりとりを確認するためのものです。

 要約すると、貴方はもう間もなく貴方の資金を受け取ることになっています。

 大蔵省が正確な期日をどうしても私たちに教えることが出来ないことは残念ですが、しかしながら、この前の月曜日、資金は手近に用意されていることは再度保証されました。

 貴方が要請したように、貴方に支払われることになっている資金は、私たちに入手可能になった同じ時期に貴方の口座に電信で振り込まれることになっています。

 更になにかお役に立つことがあれば、どうぞ遠慮なくご連絡ください。

敬具  


Paul K. Bryan
Director



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com

Eyeland Traders Ltd.

1997年6月25日
コンラッド・ハブナー様

DKB 決済の件

主題:最新の支払いスケジュール

拝啓 ハブナー様:

 1997年6月24日の私たちの電話でのやりとりに付け加えて申し上げます。
 当社は 1997年6月11日の手紙で述べたことを更にここで再確認することしか出来ません。

 貴方はもう間もなく貴方の資金を受け取ることになっています。

 貴方もご存知のように、私たちは先週、デンバーで開催された G8会議に出席しました。
 その折、日本の大蔵大臣と短時間ながら会う機会がありましたが、この時も、正確な期日はどうしても私たちに教えてもらえませんでした。

 しかし、書類手続きが、完全に終了していて資金は用意されている旨、再度、保証されました。

 貴方から要請のあったように、貴方に支払われることになっている資金は、私たちが入手可能になったその同じ日に、次の通り、貴方の口座に電信で振り込まれることになっています。

  1.  ドイツ、ハンブルグの Deutsche Bank A.G. の Konrad H. Hubner 名義の口座、No5212667 に、合計 US$ 2,000,000.00 を。

  2.  その後、銀行が受け取るとすぐに、貴方に支払われる資金の差し引き残高全額が Consortion Trading International, Ltd.に。
 もしなにかお役に立つことがあれば、どうぞ遠慮なくご連絡ください。

敬具  


Paul K. Bryan
Director



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com

Eyeland Traders Ltd.

1997年7月21日
菅野紀夫 様

DKB 決済に関する件

1. 契約 : FC:120496 : YEN
銀行小切手 A157602 3C
2. 契約 : FC:03139602 : YEN
銀行小切手 A157602 4E

主題:支払いスケジュール

拝啓 菅野様:

 本状は私たちの電話でのやりとり、および、貴方とハブナー氏やゼルサー氏との電話でのやりとりを確認するためのものです。

 要約すると、全ての資金はもう間もなく入手可能です。

 大蔵省が正確な期日を私たちに知らせることが出来ないのは残念ですが、しかしながら、資金は用意されつつある旨、再度、保証されました。

 皆様からの要請通り、支払われることになっている資金は、当方に入手可能となったその同じ日に当事者全員に電信で振り込まれます。

 貴方も、また貴方の協同者の方々もこの仕事は簡単なものではなかったことをご理解いただかなければなりません。
 しかし、すべてが確認されていること、そして全く問題はないことを貴方がたに率直に、また疑いなく、保証することが出来ます。

 私たちへの支払いは行なわれます。どうぞいらいらせずお待ちください。

 もしなにかお役に立つことがあれば、どうぞハブナー氏かゼルサー氏を通じて私にご連絡ください。

敬具  



Paul K. Bryan
Director
親展 回覧禁止




United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com

Eyeland Traders Ltd.

1997年8月11日
Consortion Trading International Ltd.
500 North Island
Golden Beach
Florida 33160

コンラッド・ハブナー 様宛

契約:FC:120496:YEN に関する件

契約:FC:03149602:YENに関する件

主題:決済

拝啓 ハブナー様

 これまでの私たちの電話でのやりとり、及び 私たちが出したさまざまな公式声明に加えて、当社が 1997年8月8日金曜日に、受け取った公式情報をお知らせいたします。

「日本の大蔵省は 1997年度 第3四半期中に、上記の2件の契約の決済を完全に遂行するよう指示が出されています。
 そのため、貴方は上記の決済で近々、すなわち遅くとも 1997年9月30日までには自分の資金を受け取れるとお考えになってよろしいでしょう」

敬具  


Paul K. Bryan
Director

同文コピー送付先:記録弁護人
添付書類のコピー



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com

Eyeland Traders Ltd.

1997年10月23日

コンラッド・ハブナー様、及びジャック・ゼルサー様宛

契約:FC:120496:YENに関する件

契約:FC:03149602:YENに関する件

主題:決済

拝啓

 昨日の朝、Walter Schumacher氏と Jack Zelcer氏のご両人との電話での話し合いに加えて、上記の業務処理状況、および来たるべき最終決済についての最新情報をお届けし、以下の点を貴方方に確認いたします。

  1.  1997年8月11日付けの私の書状の通り、日本側は 1997会計年度第3四半期末に債務を完全に支払ったことを確認いたします。 日本円の入金が私たちの口座に記帳されています。

  2.  本業務はだだいま、日本円の米ドルへの交換を管理している米国連邦準備銀行のダラス・デンバー・セクターの保護の元にあります。

  3.  日本円の対ドル交換およびその後の E.T.L.の口座への直接振込には連邦政府の業務処理番号が いくつか連続して振られています。

  4.  当方は米国連邦準備銀行から変換業務を迅速に行うよう、また支払いをなるべく早く行うよう出来る限り努力している旨、連絡を受けています。

  5.  当方は時間単位でこのドル変換業務に留意し、E.T.L.の口座にドルが振り込まれるや否や貴方に連絡いたします。

  6.  すでに申しあげましたが、どこか双方に都合の良い場所で、適切な銀行を呼んで緊急会議を開き資金を分配し、必要ならば口座を開設する予定です。

 すでにお聞きのように、この業務の規模が大きいために期日を前もってお知らせすることは出来ません。 これは明らかに、ドル交換の期日に関する情報が漏れれば通貨の市場操作という重大な結果がもたらされるからです。

 ゆえに、銀行家である私たちですら、私たちの口座へのドルでの最終的振込みはそれが行われるまさにその瞬間まで貴方方にお知らせすることは出来ません。

 確かに手続きが遅れているのは苦痛ですが、米ドルで資金が振り込まれるのはもう間もなくです。
 貴方方はこの資金の振込みにより、過去において当社がお二人に委託した経済的責務から開放されます。

 米国連邦準備銀行から日本円の交換が問題なく行われ、米ドルで E.T.L.の口座に制限を付されることなく振り込まれた旨の連絡があり次第、貴方方に連絡いたします。

敬具  


Eyeland Traders社を代表して
Paul K. Bryan
Director



United States Receiving Agent: 7777 Qulvas Street, Denver, Colorado 80221 USA
Fax 303 650 5241 Internet E.mail: specalro@ix.netcom.com