昨年から日系人会軟式野球大会の実行委員長を努めている。今年は100周年記念ということもあって意気込みも違う。懸案だった決勝戦をヤンキースの傘下1A、スタッテンアイランド・ヤンキースの本拠地リッチモンドカウンティーバンク球場で開催することも決まった。
「球場使用費とか経費もかさみますので、これからはプロフィットを考えながらやっていきたい」と話す。日系人会には「スポーツコミティー」があるが、収入になるイベントなど開催して収益をあげていくことが大切という。
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ニューヨークには、語学の勉強を目的に83年にやってきた。コロンビア大学に自費留学、レストランで働きながらの大学通い。その合間を縫ってボランティア活動にも精を出した。日系人会や「JASSI」という高齢者向けの社会活動があると知って積極的に参加した。身体の不自由な日系老人にために、家庭訪問ヘルパーをしたり、買い物、食事の世話などが主な仕事。
「社会奉仕活動」には強い興味を持っていた。大阪・京橋で生まれ、地元の蒲生中学を卒業し、レストランで板前修行。このあと、東京に出て車の整備工をしたり、札幌ではホテルマンとして働きながら札幌南高校定時制に通って勉学に励んだ。「何か世の中に役に立つことがしたい」と24歳の時、名古屋福祉大学に入学、2年間たっぷりと社会福祉を学んだ。
ニューヨークに来てからは幾つかのレストランで和食の職人としての腕を磨いた。特にビレッジにある「波崎」「銚子」で働いていた時、オーナーの八木秀峰と出会い、地域活性化のため、日本祭りを何年か続けた。八木の下で寄付金を集めたり運営資金の調達に大奔走した。
そんな時「公邸調理人にならないか」との話がきた。当時ニューヨーク総領事館で公使をしていた大久保基がジャマイカの大使に赴任することになり調理人を探しているという。「こんなチャンスはありませんからね」とこの話を受諾した。ただフランス料理は経験があまりないため、高級フレンチレストラン「フォーシーズン」と「シー・グリル」で3か月間修行、基礎知識を勉強した。95年から2年半「ジャマイカ大使付き料理人」として働いた。
忘れられないのは97年秋篠宮殿下、紀子さまが海外青年協力隊慰問のため訪問したメキシコの帰途立ち寄られた。「殿下は和食党でしたが、メキシコではあまり食べていらっしゃらなかったようでした。お腹がすいてます、とおっしゃいましたのでさっそく数品お出ししました」。
メニューは鳥とエビのすり身をマンゴチャツネとスパイスを混ぜたソースで味付けたもの。海老芋を煮てすりつぶし、ホタテの身を混ぜて揚げ、野菜のあんかけをかけて出したところ「おいしい、おいしい」と何度もいってくれたという。
「料理人になって本当に良かったと思いましたよ。でも、記念の写真はぶれてて一枚も撮れてなかったんです」と苦笑する。お礼に菊の紋の入ったスプーンを頂いた。
ジャマイカから戻って来た後独立、ビレッジに「AKI on West 4」をオープンした。「AKI 」の名前はジャマイカに「アキ」というフルーツがあること、自分の名前「茂秋」の「秋」、それに「秋篠宮殿下」の「秋」からとったという。「こんな縁起のいい名前は二度とありませんからね」と満足気だ。小さな店だが圧倒的にアメリカ人に人気で、午後11時すぎまで客が絶えない。
超多忙な中、しっかりとボランティア精神も忘れていない。
日系人野球大会を通して「ニューヨークに住む日本人がひとつの輪になっていければ」という。今年から20チームに増えた。最低200人以上の人がこの一大イベントに携わっている。「彼らをベースに野球だけでなく、バザーやゴルフ大会などイベントを増やして収益のアップを考えていきたいですね。皆さんの意識改革もしていきたい」と熱っぽく語った。
(文中敬称略)
(吉澤信政記者)
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