①から続き
先日の記事の通り、11/8から11/9にかけての夜に長野市民病院に入院しました。
HCU(高度治療室)は子供の面会も禁止で、入れたのは妻だけでした。私自身は絶対安静で、トイレは尿器とポータブルトイレ(おまるのような感じです)で、チューブを付けて鼻から酸素を吸入していました。
治療は、心臓の働きを強くすることの他は、利尿剤の点滴と服用によって体内の水分を排泄して、肺にたまった水(血液中の水分)を抜くというものでした。ですので、水分摂取にも制限がありました。私もストイックな性格なので、水分に制限があると言われると、食事の際に出されたお茶以外は飲みません。
順調に回復していき、11/10(土)には一般病棟に移れました。
11/11(日)には酸素の吸入も無くなりました。その前からずっと血中酸素の値は良かったので、バスケをやっていたことや、震災後の電池が手に入らなかった時期に10日間ぐらい、スピーカー無しで地声で街頭演説を続けていたことで、肺活量が鍛えられていたのが良かったのかもしれません。
11/13(火)には、次の週の月曜日にカテーテル検査をしたら退院と言われ、トイレまでは歩いて良くなり、点滴も外れました。
順調に回復しているのと思っていましたが、11/14(水)に超音波検査をしたところ、左心室内に2cm×3cmの大きな血栓が見つかり、またHCU(高度治療室)に戻ることになりました。この血栓が心臓から出てしまうと、血栓塞栓症になります。脳梗塞の可能性もありますし、手足に詰まってマヒする可能性もあります。来週には退院出来ると楽しみにしていたのが、一気に絶望に変わりました。
追い打ちをかけたのが、それまでの治療内容でした。心臓の動きが悪くなっていると血栓が出来やすい、利尿剤で血液中の水分を減らしているから血栓が出来やすい、というのは私も簡単に想像出来ますし、実際に先生からそう説明されていました。でも、抗凝血治療は施されていませんでした。また、11/9(金)から11/13(水)まで4日間、超音波検査は行われませんでした。落差が大きかっただけに、誰のせいでも無いのですが、血栓が出来るのは防げたのではないか、防げなかったとしても、もっと早期に発見出来たのではないか、との思いが私にも家族にもよぎります。それが一層、精神的なつらさを激しくしました。
それからしばらくHCUにて点滴と服用で抗凝血治療を受けて、11/16(金)に先生から長野赤十字病院への転院を告げられました。手術で血栓を取り除くとしたら、市民病院では手術が出来ないからとのことでした。そして同日、救急車で市民病院から日赤に運ばれました。精神的には、もう何が何だか分からない、という感じでした。
③へ続く