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2010年12月16日 | ||
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きょうの特集は、銭湯の壁面を飾る富士山などの「絵」を描いている職人=全国でもたった2人しかいない『ペンキ絵師』です。この2人に続いて、失われゆく伝統技術を守ろうと職人の世界に飛び込んだ1人の女性を取材しました。 中島盛夫さんは銭湯の壁にペンキで絵を描く絵師です。19歳で絵師になり、46年間描き続けてきました。中島さんは「お風呂屋さんに来て初めて絵を見てびっくりして『描いてみたい』と思ったのがきっかけ。(新聞の)求人広告で助手を募集していたので飛び込んでいった」と、絵師になったいきさつを話してくれました。中島さんが絵師になった頃は一般家庭に風呂が普及する前で多くの人が日々銭湯を利用していました。都内には2500軒を超える銭湯があり、中島さんも忙しい時には1日に何件も仕事を掛け持ちすることもありました。しかし銭湯の減少とともにペンキ絵師のニーズも減り、今では全国で中島さんと兄弟子の丸山清人さんの2人だけと言われています。このままでは近い将来、日本からペンキ絵師がいなくなってしまいます。中島さんは「僕だってあと10年ぐらいしかできない。そういうことを考えると、絵を描く人がいなくなる」と話します。 しかし5年前、ペンキ絵師の技術を引き継ごうという人物が現れました。田中みずきさん(27)です。小さい頃から絵を描くことが好きだった田中さんは大学で美術史を専攻し、卒業論文のテーマには『銭湯』を選びました。論文を書くために初めて銭湯を訪れた田中さんは、浴場に描かれていたペンキ絵にくぎ付けになったといいます。田中さんは「なんで銭湯のペンキ絵に富士山が描かれているのか。『当たり前になっているけど不思議』というのがあってひかれた」と当時を振り返ります。そして銭湯を巡るうちに、一見同じように見える背景画も描き手によって全く違うことに気が付いたといいます。田中さんは「中島師匠の絵が一番明るい色調で、1日の最後に見て癒やされるような感じがしたので、これは素敵な絵だ、習いたいなと思った」と弟子入り当時のことを語ってくれました。一方、中島さんは「なかなか生活も厳しいから本当は弟子は取りたくなかった」といいます。ペンキ絵の値段は1枚数万円から数十万円で、そこから人件費や材料費を引くと決して良い収入とはいえません。しかし、中島さんは田中さんの粘り強さに根負けしました。中島さんは「押しかけですよ。暇があるから手伝わせてくれ、と。それからずっと(彼女は通い続けた)」と当時のことを振り返ります。一方の田中さんは「絵が習えるんだと思ったのですごくうれしかった」と弟子入りした当時の喜びを語ってくれました。 しかし“職人の世界”では技術を自分のものにするために学ばなければならないことが山ほどあります。師匠の中島さんはおよそ3年で独り立ちしましたが、田中さんはしばらく空を塗る作業だけを手伝い、4年目から松なども描くようになりました。厳しい指導も愛情があってこそです。中島さんは「男でも女でもやる気があればできる。彼女は結構やる気があるから伸びるでしょう」と田中さんに大きな期待を寄せ、あと2、3年で田中さんを独り立ちさせたいと考えています。 師匠の期待を背負う田中さんは絵師の仕事の傍ら、銭湯の魅力を伝えようと銭湯好きの仲間2人と一緒に『銭湯振興舎』を立ち上げ、ライブペインティングから広告看板の設置まで幅広く手掛けています。銭湯振興舎メンバーの今井健太郎さんも「社会的に珍しいので受け入れられるというところもあるし、お風呂屋さんも旦那さんがいるところもあるので女性だとかわいがっていただける面はあると思う」と話し、田中さんに女性ならではの特長を生かして頑張ってほしいと期待を寄せます。 もし他に弟子入りを希望する人が現れなかった場合、田中さんは1人で何十、何百ものペンキ絵を守っていくことになります。田中さんは「プレッシャーみたいなものはちょっとある。でも、銭湯でしか出せない不思議な人間関係だったり空気感があって、これがなくなってしまうのは惜しいなという気持ちがあるので、動いていくしかないと思っている」と語ります。 “できることを1つ1つやっていく”――。田中さんはまず独り立ちすることを目標に、師匠の背中を追い続けています。 |
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