資料庫


日本軍中央の政策、指示、関与


Adobe_PDF_Icon.svg陸軍省 陸達第48号「野戦酒保規程改正」1937.9.29

陸軍省は、第一条において「野戦酒保に於いては前項の外必要なる慰安施設をなすことを得」という条文を加え、軍慰安所を軍の施設として設置できる改正を行った。慰安所は軍の正式の施設として認められたことになる。

アジア歴史資料センター(レファレンスコードC01001469500)
この文書の解説は、永井和「日本軍の慰安所政策について」参照
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC6


Adobe_PDF_Icon.svg陸軍省副官通牒 軍慰安所従業婦等募集に関する件 1938.3.4

陸軍省が、慰安婦の「募集等に当りては派遣軍に於て統制し、之に任ずる人物の選定等を周到適切にし、其実施に当りては関係地方の憲兵及警察当局との連携を密に」するよう指示。


Adobe_PDF_Icon.svg台湾軍 南方渡航者に関する件1942.3&42.6

南方軍が、台湾人「慰安婦」50名をボルネオへ派遣するよう要求してきたので、台湾軍司令官は、1942年3月12日付で、憲兵が調査選定した業者3名の渡航許可を陸軍省に要請、陸軍省は3月16日にこれを認可した。さらに1942年6月13日には、50名をボルネオに送ったが「稼業に堪へざる者」が出るなどの理由で20名を追加で送りたい旨を陸軍省に打診している。


Adobe_PDF_Icon.svg金原節三(陸軍省医事課長)日誌摘録 1942

陸軍省の局長会報・課長会報(「会報」とは会議のこと)の内容をメモした日誌。陸軍省の局長課長たちの会議において、慰安所の設置について報告議論されていたことがわかる。1942.9.3の会議からは、陸軍省が把握している限りでは、400ヶ所に慰安所を設置したことがわかる。

鈴木裕子、山下英愛、外村大編『日本軍「慰安婦」関係資料集成』上、明石書店、2006年、308-309頁、より採録させていただきました。


Adobe_PDF_Icon.svg陸軍省 支那事変の経験より観たる軍紀振作対策 1940.9

陸軍省は、「五 事変地に於ては特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる考慮を払ひ、殺伐なる感情及劣情を緩和抑制することに留意するを要す」として、「性的慰安所」にも言及している。同時に「掠奪、強盗、強姦等極めて悪質なるもの多発しあり」と軍紀の乱れについて認めている。

 


外務省・台湾総督府などの統制、関与


Adobe_PDF_Icon.svg外務大臣 南方方面占領地に対し慰安婦渡航方の件 1942.1.14

太平洋戦争開戦後、軍の要求により南方に慰安婦を渡航させる際には、外務省が旅券を発給することは「面白からざる」ので、「軍の証明書」で渡航させるように、外務大臣が指示。


Adobe_PDF_Icon.svg台湾拓殖株式会社史料 1939

左記史料から三頁分を抜粋。台湾拓殖会社とは台湾総督府が中心になり、1936年に作られた国策会社。創立時、総株数の半数を台湾総督が所有しており、台湾総督が役員の任命権を持っていた。台湾総督府から台湾拓殖会社に海軍慰安所のための女性を集めて派遣するように依頼されたこと、ただそのために資金を台湾拓殖会社が出すことは「面白からざる」ので、子会社である福大公司に出させることにしたことがわかる。「三省連絡会議」とは陸軍省、海軍省、外務省の三省のことである。この三省連絡会議の申し入れを受けて海軍慰安所を建築したことがわかる。

 


内務省警保局、警察の統制、関与


Adobe_PDF_Icon.svg山形県知事より内務大臣、陸軍大臣宛  北支派遣軍慰安酌婦募集に関する件 1938.1.25

業者が、軍からの依頼と言って酌婦(慰安婦)を集めようとしている(前借金の1割を軍が出すということも)ことを報告、「悪影響」があるとしている。このころ、同じような報告が各県知事から内務省になされており、県・警察が対応に困っていたことがわかる。次の和歌山県知事の文書も参照。


Adobe_PDF_Icon.svg和歌山県知事より内務省警保局長宛 時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件 1938.2.7

皇軍慰安所のために慰安婦(酌婦)を募集している業者を誘拐容疑で取り調べた。ところが長崎や大阪の関係当局に問い合わせたところ、在上海日本総領事館の陸軍武官室と憲兵隊の合議の上、軍慰安所のためにその業者を派遣したことを示す総領事館の文書を持って来たことが判明した。
山形県や和歌山県などからのこうした一連の報告を受けて、内務省は、軍慰安所のための慰安婦渡航を認める通達を出したのが、1938.2.23付の「支那渡航婦女の取扱に関する件」になると考えられる。つまり、こうした女性の海外渡航を禁止し、そうした業者を取り締まっていた従来の内務省・府県・警察の方針を放棄し、軍慰安所のためであれば認める方針を打ち出したのである。

この文書の解説は、永井和「日本軍の慰安所政策について」参照
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC6


Adobe_PDF_Icon.svg内務省警保局長  支那渡航婦女の取扱に関する件 1938.2.23

内務省は、慰安婦の渡航は「必要已むを得ざるものあり」と承認し、内地からの渡航は「現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営み、満二十一歳以上且花柳病其の他伝染性疾患なき者」に限って「黙認することとし」、身分証明書を発給するよう、各府県知事に指示。内地から渡航する「慰安婦」は①満21歳以下は渡航を認めない、②満21歳以上は「現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営」む者以外は認めない、というものだが、このような制限を課す通牒は、朝鮮・台湾では出されなかった。明白な差別的取扱いがなされていたことになる。
この内務省警保局の通牒に対応して軍から出されたものが、陸軍省副官通牒「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938.3.4 になる。


Adobe_PDF_Icon.svg内務省警保局  支那渡航婦女に関する件伺 1938.11.4

内務省は、1938年11月、中国派遣の第21軍と陸軍省の要請を受け、大阪(100名)・京都(50名)・兵庫(100名)・福岡(100名)・山口(50名)に人数を割り当て、警察が業者を選定して集めさせるよう府県知事に指示している。業者選定の際には、「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」と注意している。なお、この文書には、台湾総督府もすでに300名の女性を手配済みであるとも記されている。

 


現地軍の管理・統制


Adobe_PDF_Icon.svg北支那方面軍参謀長通牒 軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件 1938.6.27

日本軍人の強姦事件など不法行為によって反日感情が醸成することを危惧し、北支那方面軍参謀長が、「成るへく速に性的慰安の設備を整」えるよう指示。


Adobe_PDF_Icon.svg第35師団司令部  営外施設規定 1943?

歩兵第219連隊所属警備隊第7中隊「昭和18年度諸規定綴」に含まれている文書。第12軍(仁集団)指揮下の第35師団(開封に駐留)が作成したものと思われる。営外施設の一つとして特殊慰安所が定められている。

アジア歴史資料センター(レファレンスコードC13010769700)


Adobe_PDF_Icon.svg波集団(第21軍)司令部 「戦時旬報(後方関係)」1939年4月中旬

第21軍司令部は、「慰安所は所管警備隊長及び憲兵隊監督の下に警備地区内将校以下の為開業せしめあり」と報告。管下の慰安婦は1000名とも報告。


Adobe_PDF_Icon.svg森川部隊特殊慰安業務に関する規定 1939.11.14

警備隊長が「慰安業務を監督指導」、「慰安婦の外出に関しては連隊長の許下を受くべし」と規定。連隊長の許可なしには外出できないということは外出の自由はなかったことを意味する。


Adobe_PDF_Icon.svg独立攻城重砲兵第二大隊  常州駐屯間内務規定 1938.3

第9章が「慰安所使用規定」。慰安所の「監督担任部隊は憲兵分遣隊」。


Adobe_PDF_Icon.svg独立歩兵第13旅団中山警備隊  軍人倶楽部利用規定 1944.5

独立歩兵第13旅団中山警備隊(中国広東) 部隊副官が「軍人倶楽部の業務を統轄監督指導し円滑確実なる運営を為すものとす」という規定。なお第一軍人倶楽部は食堂、第二軍人倶楽部は軍慰安所。


Adobe_PDF_Icon.svgフィリピン パナイ島イロイロ慰安所 検梅成績に関する件 1942

イロイロの陸軍慰安所の慰安婦の性病検査の結果報告。16,17,18歳などの未成年者が多数いたことがわかる。内務省警保局は1938.2.23の通達において、日本国内で慰安婦を徴集する際には21歳以上に限定するように指示していたが、フィリピンにおいては未成年者であることがわかっていたにもかかわらず、軍は慰安婦にしている。これは明らかに差別である。


Adobe_PDF_Icon.svgセレベス民政部第二復員班長  南部セレベス売淫施設(慰安所)調書 1946.6.20

インドネシアのセレベス島における海軍慰安所について、戦後にまとめた報告書。部隊が経営、つまり直営していた慰安所と邦人に経営させていた慰安所の両方があったことがわかる。いずれも海軍の軍政機関である民政部が許可・監督していた。

 


【文書の出典について】
ここに掲載した文書は、注記のないものは、政府公表資料です。これらは、「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」内の「慰安婦関連歴史資料」に掲載されている、女性のためにアジア平和国民基金編『政府調査 「従軍慰安婦」関係資料集成』①~⑤ にも収録されており、http://www.awf.or.jp/6/document.html のページから、同資料集成の全文を閲覧することができます。なおこの国民基金の資料集成に収録された史料は、多くは、アジア歴史資料センターのウェブサイト http://www.jacar.go.jp/index.html でも閲覧できます。