ハンバーガーから世界が見える
企業とコラボで環境学習
先月の環境学習に引き続き、今月も環境学習のお話をしよう。
先月はホタルだったが、今月はごみである。
当社は、広島市教育委員会と連携し、小中学校で環境学習の出前授業を行なう
「企業とコラボで環境学習」というCSR活動を推進している。
この事業は、各社が出前授業が行なえるテーマを市教委に提出し、
市教委が市内の全校に希望を募る。
昨年度までは、自然系、社会系を問わず、あらゆる環境のテーマに対応していたのだが、
今年度は、学校での授業の協力を申し出てくれた廃棄物処理業者さんがあり、
テーマを廃棄物に関するメニューに絞ってみた。
すると、幸か不幸か例年に比べ応募が非常に増えた。
6月下旬から7月上旬にかけて、わずか10日の間に3校の出前授業を行なった。
これまでもうすうす感じていたのだが、
企業を活用した「ごみ」に関する学習について、
学校側には潜在的なニーズがあったのである。
ハンバーガーから世界が見える
「ハンバーガーから世界が見える」は、
環境学習に関する本に掲載されていたものに改良を加え、
いろいろなバリエーションを生み出し、研ぎ澄ましてきた、
知っている人は知っている(ほとんど誰も知らないか・・・)
小生「おはこ」の学習プログラムである。
授業は、いきなり市販のハンバーガーセットを取り出し、
小生が食べようとするところから始まる。
「あ~、ずる~い」「ぼくも食べた~い」などと子供はさっそく大騒ぎである。
「みんなにはあげんけんね」とあしらいながら、
ハンバーガーの包み、ポテトの入れ物、紙ナプキン、紙コップ、紙コップの蓋、
ストロー、ストローの包装、包装袋などなどを机に並べていく。
用意した皿にちょこんとハンバーガーとポテト、コッブにドリンク。
机の上にはたくさんの容器包装のたぐい。
これだけの中味のために、これだけの容器包装、ということを実感してもらう。
そして、これらはみんな「ごみ」になるのである。
たったこれだけのために、こんなに包みや袋が・・・
これらのごみは何でできているんだろう。
紙とプラスチックだ。
では、その紙とプラスチックは何からできているのだろう。
木と石油だ。
その木と石油はどこから来たのだろう。
木を切られたところはどうなるんだろう。
あのね、世界では毎年、北海道ぐらいの面積の森がなくなっているんだ。
日本からは遠い遠い南米や東南アジアのジャングルの森。
その森の木はどこへ行ったんだろう。
遠い日本に運ばれて、そう、紙になったんだ。
大事な資源なのに、みんなは平気でごみにしている。
石油だって、あと40年しかとれない(と言われている)んだよ。
みんなが大人になる頃には、電気もない、自動車も走らない、洋服もない、
プラスチックでできているものは何もない(かもしれない)。
どうする?じゃあ、どうしたらいい?
といった話を、クイズやグループワークを交えながら進めていく。
そして、いよいよ授業は佳境に入る。
一方通行の講義だけではなく、作業を伴うグループワークを織り込みます。
ごみの実物に接するということ
今回のプログラムの目玉は、廃棄物処理業T社さんの協力による、
中間処理物やリサイクル製品の実物の体験である。
ごみとして出された紙や缶やプラスチックが、
どのようにしてリサイクルされるかパワーポイントでの説明を受けた後、
学校までもってきてもらったこれらの中間処理品を実際に目で見、手で触って体験する。
紙や缶やプラスチックは、圧縮して固めた「ベール」を作り、
これがそれぞれ再生工場に運ばれる。
このうちプラスチックは、さらに選別、粉砕、洗浄、成形され、ペレットが作られ、
これが再生工場に運ばれる。
これらのベールやペレットの実物を間近に見て触ってもらった。
ベールはごみをそのまま固めたものである。だから臭い。
ペレットはごみが原料だが、洗浄、成形されたもので汚いものではない。が、匂う。
多くの子供たちが、鼻をつまんで「臭い、臭い」といっている。
何人かの子供たちが、手洗い場で手を洗い出したら、手洗い場に子供たちが殺到した。
臭いよね。汚いよね。
でも、そのごみは誰が出したの?みんなじゃないの?
ごみを出すとき、ちゃんと洗わないから臭いんだ。
今日、家に帰ったら、おうちのひとに今日の授業のことを話そう。
ビンや缶やプラスチックの容器はちゃんと洗ってごみに出すよう、お母さんに言おう。
そうじゃないと、ごみを処理する人が大変だろ?
ごみを選別する人は、手作業でやってるんだ。
みんなもパワーポイントでさっき見ただろう?
もし、ごみを処理する人がいなかったら、どうなるの?
この人たちが仕事をしてくれているから、みんなが暮らしていけるんだ。
この人たちは、僕たちの社会を支えてくれているんだ。
この人たちは、なくてはならないとても大切な仕事をしているんだよ。
缶とプラスチックのベール。普段あまり見ることのできないものに子供たちは興味津々、先生たちは大興奮。が・・・
「わがこと」とするために
小学校4年生の社会科では、「ごみの処理と利用」という単元があり、
自治体の廃棄物処理施設の施設見学に行くのが定番である。
広島市では、施設見学を想定されて作られている最新施設の中工場(ごみ焼却場)と
西部リサイクルプラザに行くことが多い。
この単元を学習する梅雨時には、小学校の見学が施設に殺到する。
これらの施設は安全に配慮され、ガラス越しにごみ処理の実際の現場を見ることができる。
但し、そこには臭いも音もない。
数年前、これらの施設の見学の予約が取れなくて困っている小学校から依頼があり、
T社さんの廃棄物処理工場を紹介した。
「リサイクルプラザに行けないのでどうしようかと思いましたが、行かなくて大正解、
ここに来てほんとよかったです」
見学後、担任の先生は大満足だった。
目の前で、生身の人間が、
ごみに手を突っ込んでごみを分別しているのを目の当たりにするのは
正直、ショックだ。
そこにはさえぎるガラスはない。
臭い。うるさい。汚い。
この実物の臨場感、訴求力、それが学習に必要なものだ。
ごみ処理施設の空調の効いた研修室に座ってビデオを見、
ガラス越しに「見学」するのは「学」ではない。
それではごみのことなど分かるわけがない。
環境学習は、「実物」が大事である。
特に、「ごみの処理と利用」では、実物を、現実を見、
五感で感じることが非常に重要である。
五感で感じて、はじめて「わがこと」として考えることができる。
その質感や量感を実感して、はじめて自分のこととしてとらえることができるのである。
環境問題の中でも、ごみ問題とエネルギー問題は、
「わがこと」として考えることが必須の分野である。
「わがこと」とは、「ひとごと」の反対語である。
「ひとごと」とは、自分は関係ないと思う心である。
ベールを前に鼻をつまんだ子、手を洗った子。
その子供たちに罪はない。
必要なのは「わがこと」と思う気持ちと、そこから生まれる思いやりである。
そこを子供たちにしみ込ませることが重要なのである。
「わがこと」と思う気持ちと思いやりがあれば、
それに従事している人たちの前で、そんな行動はとれないはずだ。
必要とされる灯は風前の灯
今年度から始めた、このごみの実物付「ハンバーガーから世界が見える」は、
どうやら大好評である。
なぜなら、こんなことやっている企業は他にないから。
これを世間では自画自賛というが、お許しあれ。
「来年は中工場をやめてT社さんに見学に行きます」
「教師である私自身、初めて知ることが多く、とても勉強になりました」
「子供も全く飽きることなく集中していました」
・・・なにせ、先生の受けがいいのである。
それが困ったものなのである。
来年以降、もしこれがどんどん増えるようなことになったら・・・
やってほしいという要望があれば、できるだけ、いや、すべて応えたい、のだが。
で、思うのである。
これがビジネスにならないかと。
いえいえ、潤沢な利益をいただこうとは思ってはいない。
まずは多少の対価、できれば半日動く人間の人件費ぐらい出れば大変ありがたい。
この「企業とコラボで環境学習」という事業は、ボランティアである。
かっこよく言えばCSR活動である。
だが、企業に余裕があるうちはいい。
コンサル業界は今、どの会社も大変な経営環境の中でやっている。
業務価格のはてしない下落、競争だけが高まる厳しい受注環境の中、
経費は削りに削り、仕事は受けるだけ受け、
というギリギリの状況でやっているのである。
ボランティアなどやっている余裕はないのである。
もう、いいかげんボランティアなどやめろという声が遠く(実は近く)で聞こえる。
という、社内の批判に応えていかなければならないのである。
例えば、仕事に結び付けていかなくてはならないのである。
幸いにもここ数年、時代の要請もあり、
省エネや再生可能エネルギーなど、まだエネルギー分野だけだが、
環境学習が業務として行政から発注されるようになってきた。
環境学習は、私たち環境コンサルタントの専門技術が大いに活かせる新しい分野である。
そして、自分はその技術を磨いてきたちっちゃな自負もある。
僕たちを必要としている人がたくさんいるのに・・・動けない。
なんとかならないものだろうか。
先月の環境学習に引き続き、今月も環境学習のお話をしよう。
先月はホタルだったが、今月はごみである。
当社は、広島市教育委員会と連携し、小中学校で環境学習の出前授業を行なう
「企業とコラボで環境学習」というCSR活動を推進している。
この事業は、各社が出前授業が行なえるテーマを市教委に提出し、
市教委が市内の全校に希望を募る。
昨年度までは、自然系、社会系を問わず、あらゆる環境のテーマに対応していたのだが、
今年度は、学校での授業の協力を申し出てくれた廃棄物処理業者さんがあり、
テーマを廃棄物に関するメニューに絞ってみた。
すると、幸か不幸か例年に比べ応募が非常に増えた。
6月下旬から7月上旬にかけて、わずか10日の間に3校の出前授業を行なった。
これまでもうすうす感じていたのだが、
企業を活用した「ごみ」に関する学習について、
学校側には潜在的なニーズがあったのである。
ハンバーガーから世界が見える
「ハンバーガーから世界が見える」は、
環境学習に関する本に掲載されていたものに改良を加え、
いろいろなバリエーションを生み出し、研ぎ澄ましてきた、
知っている人は知っている(ほとんど誰も知らないか・・・)
小生「おはこ」の学習プログラムである。
授業は、いきなり市販のハンバーガーセットを取り出し、
小生が食べようとするところから始まる。
「あ~、ずる~い」「ぼくも食べた~い」などと子供はさっそく大騒ぎである。
「みんなにはあげんけんね」とあしらいながら、
ハンバーガーの包み、ポテトの入れ物、紙ナプキン、紙コップ、紙コップの蓋、
ストロー、ストローの包装、包装袋などなどを机に並べていく。
用意した皿にちょこんとハンバーガーとポテト、コッブにドリンク。
机の上にはたくさんの容器包装のたぐい。
これだけの中味のために、これだけの容器包装、ということを実感してもらう。
そして、これらはみんな「ごみ」になるのである。
たったこれだけのために、こんなに包みや袋が・・・
これらのごみは何でできているんだろう。
紙とプラスチックだ。
では、その紙とプラスチックは何からできているのだろう。
木と石油だ。
その木と石油はどこから来たのだろう。
木を切られたところはどうなるんだろう。
あのね、世界では毎年、北海道ぐらいの面積の森がなくなっているんだ。
日本からは遠い遠い南米や東南アジアのジャングルの森。
その森の木はどこへ行ったんだろう。
遠い日本に運ばれて、そう、紙になったんだ。
大事な資源なのに、みんなは平気でごみにしている。
石油だって、あと40年しかとれない(と言われている)んだよ。
みんなが大人になる頃には、電気もない、自動車も走らない、洋服もない、
プラスチックでできているものは何もない(かもしれない)。
どうする?じゃあ、どうしたらいい?
といった話を、クイズやグループワークを交えながら進めていく。
そして、いよいよ授業は佳境に入る。
一方通行の講義だけではなく、作業を伴うグループワークを織り込みます。
ごみの実物に接するということ
今回のプログラムの目玉は、廃棄物処理業T社さんの協力による、
中間処理物やリサイクル製品の実物の体験である。
ごみとして出された紙や缶やプラスチックが、
どのようにしてリサイクルされるかパワーポイントでの説明を受けた後、
学校までもってきてもらったこれらの中間処理品を実際に目で見、手で触って体験する。
紙や缶やプラスチックは、圧縮して固めた「ベール」を作り、
これがそれぞれ再生工場に運ばれる。
このうちプラスチックは、さらに選別、粉砕、洗浄、成形され、ペレットが作られ、
これが再生工場に運ばれる。
これらのベールやペレットの実物を間近に見て触ってもらった。
ベールはごみをそのまま固めたものである。だから臭い。
ペレットはごみが原料だが、洗浄、成形されたもので汚いものではない。が、匂う。
多くの子供たちが、鼻をつまんで「臭い、臭い」といっている。
何人かの子供たちが、手洗い場で手を洗い出したら、手洗い場に子供たちが殺到した。
臭いよね。汚いよね。
でも、そのごみは誰が出したの?みんなじゃないの?
ごみを出すとき、ちゃんと洗わないから臭いんだ。
今日、家に帰ったら、おうちのひとに今日の授業のことを話そう。
ビンや缶やプラスチックの容器はちゃんと洗ってごみに出すよう、お母さんに言おう。
そうじゃないと、ごみを処理する人が大変だろ?
ごみを選別する人は、手作業でやってるんだ。
みんなもパワーポイントでさっき見ただろう?
もし、ごみを処理する人がいなかったら、どうなるの?
この人たちが仕事をしてくれているから、みんなが暮らしていけるんだ。
この人たちは、僕たちの社会を支えてくれているんだ。
この人たちは、なくてはならないとても大切な仕事をしているんだよ。
缶とプラスチックのベール。普段あまり見ることのできないものに子供たちは興味津々、先生たちは大興奮。が・・・
「わがこと」とするために
小学校4年生の社会科では、「ごみの処理と利用」という単元があり、
自治体の廃棄物処理施設の施設見学に行くのが定番である。
広島市では、施設見学を想定されて作られている最新施設の中工場(ごみ焼却場)と
西部リサイクルプラザに行くことが多い。
この単元を学習する梅雨時には、小学校の見学が施設に殺到する。
これらの施設は安全に配慮され、ガラス越しにごみ処理の実際の現場を見ることができる。
但し、そこには臭いも音もない。
数年前、これらの施設の見学の予約が取れなくて困っている小学校から依頼があり、
T社さんの廃棄物処理工場を紹介した。
「リサイクルプラザに行けないのでどうしようかと思いましたが、行かなくて大正解、
ここに来てほんとよかったです」
見学後、担任の先生は大満足だった。
目の前で、生身の人間が、
ごみに手を突っ込んでごみを分別しているのを目の当たりにするのは
正直、ショックだ。
そこにはさえぎるガラスはない。
臭い。うるさい。汚い。
この実物の臨場感、訴求力、それが学習に必要なものだ。
ごみ処理施設の空調の効いた研修室に座ってビデオを見、
ガラス越しに「見学」するのは「学」ではない。
それではごみのことなど分かるわけがない。
環境学習は、「実物」が大事である。
特に、「ごみの処理と利用」では、実物を、現実を見、
五感で感じることが非常に重要である。
五感で感じて、はじめて「わがこと」として考えることができる。
その質感や量感を実感して、はじめて自分のこととしてとらえることができるのである。
環境問題の中でも、ごみ問題とエネルギー問題は、
「わがこと」として考えることが必須の分野である。
「わがこと」とは、「ひとごと」の反対語である。
「ひとごと」とは、自分は関係ないと思う心である。
ベールを前に鼻をつまんだ子、手を洗った子。
その子供たちに罪はない。
必要なのは「わがこと」と思う気持ちと、そこから生まれる思いやりである。
そこを子供たちにしみ込ませることが重要なのである。
「わがこと」と思う気持ちと思いやりがあれば、
それに従事している人たちの前で、そんな行動はとれないはずだ。
必要とされる灯は風前の灯
今年度から始めた、このごみの実物付「ハンバーガーから世界が見える」は、
どうやら大好評である。
なぜなら、こんなことやっている企業は他にないから。
これを世間では自画自賛というが、お許しあれ。
「来年は中工場をやめてT社さんに見学に行きます」
「教師である私自身、初めて知ることが多く、とても勉強になりました」
「子供も全く飽きることなく集中していました」
・・・なにせ、先生の受けがいいのである。
それが困ったものなのである。
来年以降、もしこれがどんどん増えるようなことになったら・・・
やってほしいという要望があれば、できるだけ、いや、すべて応えたい、のだが。
で、思うのである。
これがビジネスにならないかと。
いえいえ、潤沢な利益をいただこうとは思ってはいない。
まずは多少の対価、できれば半日動く人間の人件費ぐらい出れば大変ありがたい。
この「企業とコラボで環境学習」という事業は、ボランティアである。
かっこよく言えばCSR活動である。
だが、企業に余裕があるうちはいい。
コンサル業界は今、どの会社も大変な経営環境の中でやっている。
業務価格のはてしない下落、競争だけが高まる厳しい受注環境の中、
経費は削りに削り、仕事は受けるだけ受け、
というギリギリの状況でやっているのである。
ボランティアなどやっている余裕はないのである。
もう、いいかげんボランティアなどやめろという声が遠く(実は近く)で聞こえる。
という、社内の批判に応えていかなければならないのである。
例えば、仕事に結び付けていかなくてはならないのである。
幸いにもここ数年、時代の要請もあり、
省エネや再生可能エネルギーなど、まだエネルギー分野だけだが、
環境学習が業務として行政から発注されるようになってきた。
環境学習は、私たち環境コンサルタントの専門技術が大いに活かせる新しい分野である。
そして、自分はその技術を磨いてきたちっちゃな自負もある。
僕たちを必要としている人がたくさんいるのに・・・動けない。
なんとかならないものだろうか。
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