2人の兄とは違う道のりで頂点に立った。2008年北京五輪出場を目指したが、日本ボクシング連盟から独特の髪形にクレームがつくなどアマでの活動を断念。父の勧めで15歳のときに単身、メキシコに渡った。日本とは違う言葉、文化、食事、練習法…。メキシコ市のマンションの周辺は治安が悪く、銃声が響くことが頻繁にあったという。「日本に帰りたい」と興毅に毎日のようにメールを送っても、「お前はメキシコでがんばるんや」という返事だけ。遠く離れた異国の地で炊事や掃除、洗濯まで1人でこなし、スペイン語も習得した。
「つらかったけど、いろんな面で成長できたし精神的に強くなった。言葉も分からん国に1人で行って、練習して、ブーイング浴びながら試合もしたけど、続けたことが自信になった」
4年に及んだ武者修行が結実した。