2011年3月アーカイブ

11/03/31 Thu 09:32

企業組織の一員に終止符


  サタデースペシャル編集長は基本的に順風満帆で、その後、ニュース面とは性格を異にする企画面のデスクに就き、やがてサタデースペシャル時代に培った裏原感覚を活かす新興勢力・個性派勢力の動きをくくる面のデスクを勤めて私の新聞記者時代は終わる。その後、再び人生を変える決断をするきっかけになった業務局での仕事を2年弱経験して、私のサラリーマン生活に終止符を打った。企業組織の一員としての私の人生はこれで全てだ。

 

最終回1.jpg感謝、感謝、感謝


 このシリーズを始めたのが10年2月18日からでした。そもそも08年12月から木曜日更新で私は延々と「和」を掲げて書いてきたものです。書いている本人が、よくも飽きもせずと思ったし、おなじような話をしょーもないとも思って綴ってきてしまったほどです。私のサラリーマン生活を綴るのがメインになってしまって、本当にきものや和を学ぼうと思って読んでくださった方には、申し訳ない思いでいっぱいです。

 いずれ私が継承しなければならない和やきものの知恵をまとめる機会も作りたいとは願っているのですが、今日で一旦終了とさせていただきます。ご愛読を続けてくださった奇特な方がいらしたら心から感謝。私の人生がまた、明日からガラリと変わってしまうもので・・・・。


本日、卒業致します


 このシリーズ終盤にはお気楽・不真面目サラリーマンの私でさえ、気がふさぐ毎日を送る経験をしたことをズルズル書かせていただきました。それは特殊な例ではないはずです。
 これから働く若い方々にも教訓となるように書けたかどうか分かりませんでしたが、私が過ごした企業はもちろん、日本国中の大半の企業が当時より良くない雰囲気になっていると思うのです。繊研新聞のコンペティターだった業界紙もずいぶん舞台から降りていきました。中小零細に止まらざるをえない業界紙はもとより、新聞はじめマスコミそのものが存立基盤を疑いなおさなければならない局面を迎え、昔の仲間・同士が苦しむ様をたっぷり見聞きしてきましたから、つい昔語りをしたくなってしまったのです。
 何とか明るい結末でとりあえず終了できましたが、このシリーズを終えた後のサラリーマン生活でもウツ病に陥る体験をしています。

 今日の不満を抱き、明日の不安に震え、将来の恐怖に慄き・・・、でも未来に何が起こるかわからないからこそ人生は面白いしやりがいがあると今の私は言い切りたいし、次の世代に呼びかけたいのです。そのあたりの経験も整理してみたいですし、バブル崩壊後の働く条件を、働く立場で冷静に総括する必要も抱いています。

 

 企業組織の一員としては6年前に卒業したので会社員の身分は無くなりましたが、大組織と契約し、仕事の大半は企業組織と折り合いをつけつつ仕事をしてきたわけで半分サラリーマンでした。本日はその完全卒業の日。明日からは本当の一匹狼として多数の企業組織の方々と接していくことになるはずです。新しい立場は新しい物語を生み出すに違いありません。
 しばらくは新しい環境条件に慣れるために不定期になるでしょうが、気持ちが整ってきましたら、装いを整えて再開いたします。それまで今しばらくの時間の猶予をいただきたくお願い致します。(このシリーズ了)

 

(繊研新聞で育ったことは感謝の言葉だけでは言い尽くせない。繊研新聞の誇るべき精神は「目・手・耳」。業界の目となろう、手となろう、耳となろうだ。そして購読収入と広告収入を常にフィフティフィフティに保っていることも私はプライドを持っていいことだと思っている。「広告を取れない」力足らずではあるのかもしれないが、偏った広告主におもねらずに主張、報道ができるということだ。現下、喫緊の課題では巨額な宣伝料や研究費を注ぎ込んでいる電力会社とマスコミ・教育機関の力関係で浮かび上がりつつある問題点もあるわけだから。ファッションの一般誌と話していると収入構造は彼らの方がギョーカイ紙ではないか!といつも叫んでいたものだ。企業体としては「金持ち」を実感できなくとも、現場はいつも心豊かに働き続けて欲しいと願っている。愛すればこその憎しみも抱くのが凡人ゆえ、このシリーズでも繊研の評価を貶めるような文章を綴ったと受け止めた方がいらしたら陳謝して、このシリーズを閉じさせていただきます)

11/03/30 Wed 10:17

 テレビ、新聞は「復興」を見出しにし始めている。明るいニュースは良い。しかし私は昨夜、岩手県田老町で親戚がようやく「発見され」て、悪路で暗い福島県付近の高速道路を走っている近所の知人の電話を受けた心の痛みを拭い去れないままの朝を迎えた。

 

 今は個人ブログ、ツイッター、フェイスブックと草の根の情報網に触れられる時代だ。ちなみに災害を機に私はツイッターに登録した。そこにはマスコミとは異なった現実が描かれたりしている。支援が届かない避難所、壊れたコンビニから半分溶けかかった冷凍食品を探さざるを得ない人々・・・。受け取る側に情報リテラシーといった能力が要求されていると迫られる思いがする。少なくともマスコミのみの情報では真実は描かれきれないと私は判断することにしている。で、今の段階で「復興」を高々と掲げるマスコミには、いぶかしげな眼差しを注がざるを得ない。


 原発、放射能の不安が国際的に広がり、FBではこの側面から被害が拡大している。さいたまに避難している青年に福島原発メンテナンス業者から日当40万円で仕事の誘いがきたとか、彼らは雑魚寝、1日2食生活を強いられているとか、この規模の災害にはそもそも今の現場担当者の数では圧倒的に少ないとか・・・。

 原子力・エネルギーに関わる法人(ヒトはこれらを天下り法人と呼ぶ)は、ザッと数えただけでも40を越える。今こそ、貴方たち専門家が蓄えた知恵と力と金を出す時だろうと叫んでも謗りを受けないでしょう。ネットに飛び交う情報に触れると、テレビで微笑みながら「ただちに影響はない」と語った専門家たちが「非常に憂える事態」と語りはじめた今週のニュースに神経が逆撫でされる。
 明るいニュースに触れたい、歓迎する。だが、同時に事実報道も!と声に出したくなるのだ。

11/03/29 Tue 09:55

 音楽の専門家でもある文化出版局の鈴木佳行さんと話をしていたら近年、音楽ライブより「ロフトプラスワン」をはじめとしたトークライブが人気なのだと伺った。

 そんな刺激もあり小島宣明君(09年10月29日付け参照)の誘いで何年ぶりかの寄席に入った。27日の日曜日の人っ子ひとりいないくらいの昼下がりの街・日本橋「お江戸日本橋亭」。が、中は熱気に満ちていた。

 傘寿(さんじゅ)を迎えた川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)さんの戦時下の歌の数々に聞き惚れ、力漲る「ガーコン」にも痺れた。が、私にとっての当日の一番の収穫は「元気いいぞう」さんをライブで聴けた(観られた?)ことだ。奇才は近寄りがたい存在だが、いいぞうさんはハイタッチで接近したい奇才だ。

 人類は言葉より先に歌う能力を獲得したとか。今は言葉より音楽が必要なのかもしれない。


まあ、生きていれば良しとする(元気いいぞう)
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/761a68b70136bca53b8ec5909f8e321b?p=YouTube%20%E5%85%83%E6%B0%97%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%9E%E3%81%86&b=1&dr=&pd=&st=&s=&ma=&of=&from=srp&rkf=1&r=12

 

もうひとつ心が奪われる。


千と千尋の神隠し 主題歌(ナターシャ・グジー)
http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds 

11/03/28 Mon 09:34

3.28.jpg

 

 

 

 

 

 不真面目に茶化していると受け取られると本意ではないが、エステ業態などTVコマーシャルを活発に行う会社は潰れるというジンクス?もある。いや潰れそうになると宣伝が派手になるとも言われ、結構実証されてきた。派手に「今こそ専門学校が強い」と情宣されるとへそ曲がりの私は逆に考え込んでしまう。

 専門学校有利の論拠は「資格が取得できるから」あたりにある。受講すればほぼ例外なく取れる2級ヘルパーの受講料が9万ナニガシなどと聞くと「センモンガッコーは永遠です!」と白旗を掲げたくなってしまうほど営業は巧みだ。が、我が繊維産業・FB産業に水戸黄門の印籠に匹敵する資格などあろうか。

 良いのか悪いのかは別にして、技能検定はあるにしても国家資格を創ってこなかった産業・業界の怠慢は指摘しておきたい。これは腹いせの逆恨みで横紙破りに過ぎない発言。だがねぇ「コンクリート破砕器作業主任」だとか「レストランサービス技能士」などという国家資格を眺めると言いたくなる。ビジネスとしては新参者(失礼!)の介護事業に「介護福祉士」、あれよあれよという間に国民的アイドルにもなってしまう「気象予報士」など、ファッションビジネスの一員としてはいささかのルサンチマンの感情を抱え込むじゃありませんか。

 が、角度を変えて見れば、キャリア教育を巡る議論ですでに決着がついていることで、近代型能力として「与えられた課題を迅速かつ効率的に遂行する能力」が求められてきたが、ポスト近代型能力は「創造性、問題発見能力、コミュニケーション能力」あたりである。資格とは、ある意味「ま逆の能力」を先進社会は希求しているのではなかったか。専門職業訓練学校であっても、資格獲得ノウハウより、ポスト近代型能力開発、充足のカリキュラム、教授方法の開発、学校運営をこそ模索しなければならないのではなかろうか。


私も卒業いたします


 何事にも言えることだが「これでいい」「これこそが真理」と決め付けた時点で成長は止まる。哲学者カントのいうように「哲学は学べない、哲学することを学ぶだけ」にならって、教育も学校も不断の議論こそを大切にして、一気に理想郷を追い求めないことだ。立場として余所者の眼を持っている私には、学校関係者の論議は「頭で考え」「あらかじめ理想を描こうとし」「出来ない理由から出発し」過ぎる・・・・などの特徴が際立つ。実証過程やその努力なしに裏づけを提示しないで、それぞれが自説=仮説にしがみついて論争しているとも見える。現実から出発せよというと、すぐにアンケートや統計に頼り、そこから論拠を導きだそうとしがちだ。平均50点と出たとしても100点と0点の二人と60点と40点の二人の場合もあるわけで・・・。
 学校関係者には特に、生身の全身全霊で過去と現実にぶつかることをお勧めしたい。まずは1人で籠らず、学校内に籠らず、他の学校の範を盗むこと、そして業界から虚心に学ぶこと、さらにマーケットから貪欲に先取りすること・・・・それを論争の種と土俵にしてほしいのだ。固有観念・特殊環境・専門矜持で空中戦ばかりする論争を避けることではないだろうか。一般企業に比べて頑迷なヒエラルキーに押し潰されることは少ないと思われ、一番良く知っている現場が一番良く改革案を描け、遂行できるのではないだろうか。書いている私自身が上から目線の無責任提言をぶちまけ中途半端に止まっていることをお詫び申し上げ、今年度で私も卒業し学生の就職現場から離れ、このシリーズに終止符を打たせて頂くことに致します。感謝。 (了)         (artwork by Keiichi Masuda)

 

 

 このブログは就職アドバイザーの役割に慣れ始めた頃に、文化出版局の鈴木佳行さんの発案と導きでスタートできたものです。また同スタッフの兼間哲郎さんのテクニックの支えで続けることが出来ました。
0328b.JPGのサムネール画像のサムネール画像 そして月曜日シリーズは当時の文化服装学院の就職アドバイザーチームのリーダーであり、現在は広報プレスリーダーを勤めておられる増田恵一さんの献身的な協力があって続けられることができたものです。彼のアートワークは私となぜか波長が合い、私の文章は幸いなことに彼の共感を得られ、お互いにネットに載せる前の最初の読者としてリスペクトし合ってこられたと思います。学生はもとより、既知の友人、未知の方々から反響をいただけることも、この上ない喜びでした。

 

 このブログに関わっていただけた全ての方々に感謝申し上げて、私は今月31日をもって就職アドバイザーの仕事から退くことに致しました。

 

 来月からは何にでも使える便利で無責任な肩書き「コンサルタント」を引っさげて、引き続きFB業界を中心に巣くってまいります。たぶん、毎日が事件というくらいに騒ぎを巻き起こすことになるでしょう。それほどに私はスガ目でモノを見て、ヘソを曲げて受け止め、何かの悪口を言って噛み付かないと元気がでない問題児であると、齢60歳にして自覚を新たにしております。
 そんな仕事のことどもがブログにも反映できればいいなと夢見ております。今後ともよろしくお願い致します。

11/03/27 Sun 08:19

  喋ったり書いたりする仕事をしてきたこともあって言葉や文字表現に引っかかる。「●●は見えないけど○○は見える」などとオスティナート(音楽的なパターンを何度も繰り返す)のように繰り返されると『放射能は見えないけれど放射能被害は見える』『嘘は見えないけれど嘘をつく人は見える』『愛は見えないけれど愛の押し付けは見える』 『親切は見えないけれど親切の押し売りは見える』などというフレーズが頭に湧いてきて困る。
  今は「計画停電」。予告はされているとはいえど、突然バシッ!と電気が消えると大半の為事が出来なくなる訳で「誰にとっての計画なのか」、この用語の使い方のオカシさ、胡散臭さがグルグルと頭を駆け巡る。特に菅首相の元秘書で武蔵野市議とかいう人物が「私の尽力でこの地域の計画停電は回避されました」などと自慢しているというニュース知るとその思いは募る。
 知り合いの会社は所沢市にコールセンターを構えている。コールセンターの重要性は「ザッポスの成長」でも証明(11年1月27日付け参照)されていると思うが、ここに突然停電が襲うと「信用・信頼」が根底的に損なわれてしまい、甚大な被害を感じると言っていた。『挨拶するたび友達増えるね』かもしれないが、停電を計画して告げるたびにお客様は引いていく構図が瞼に浮かぶ。

  さらに『水道水は控えた方がいいが、飲んでもかまわない』『避難勧告と自主避難』・・・こうなると同じ日本人と日本語なのにコミュニケーションが何にも成立していないことになる。


  「復興」とか「立ち直ろう」という掛け声は未だ私には違和感がある。間接被害は『ただちに影響は無い』と信じたいが、ジワジワと広がっているからだ。

11/03/26 Sat 10:21

    「モノ書き」としての私の過去のアイコンは竹中労さんだった。そこまではできない、書けない劣等感と畏怖を抱いてきた対象だ。今は辺見庸さんだ。畏敬の方ゆえ、著作を読むのが怖いといつも思わされる。

  辺見さんの3月1日のブログで告知していた「標なき終わりへの未来論」を読んだ。朝日ジャーナルという私の世代にとっては一種のアイドル、現代ではマイナー極まりない雑誌だからキオスクやコンビニでは手に入れられず、昨日ようやく書店に寄る時間がとれて求め、喫茶店で頁をめくった。

 

  『・・・・・すさまじい大地震がくるだろう。それをビジネスチャンスと狙っている者らはすでにいる。富める者はたくさん生きのこり、貧しい者たちはたくさん死ぬであろう。階級矛盾はどんどん拡大するのに、階級闘争は爆発的力をもたないだろう。性愛はますます衰頽するだろう。テクノロジーはまだまだ発展し、言語と思想はどんどん幼稚になっていくだろう。ひじょうに大きな原発事故があるだろう。労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。おおくの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう。・・・・・』

 

 旧約聖書やヨハネの黙示録に触れた思いがして、かつ現実論として読んでしまった。

11/03/25 Fri 07:27

  島根県の友人から米、レトルトカレーなどが送られてきた。さっそく電話で話してみると首都圏では余震と放射能で全員不自由な生活を強いられているという感じがするというのだ。温かい心遣いに感謝しつつ、「もう大丈夫」と語ったとたん余震がきて、友人はさらに「まだ大変だね」と確信をもったようだ。

  おびただしい報道がなされている日本国内でさえこうなのだから、外国からは日本はどう見られているのだろう。今は特に外国からのメッセージを読みたい、聴きたい。

 

  ブログ仲間の「FJPスタッフ」はいち早くヴィヴィアン・ウエストウッドのメッセージを紹介してくれて私はとても励まされた。

 http://fashionjp.net/creatorsblog/fjpstaff/2011/03/pray-for-japan-2.html

 

  同じく「鈴木清之君」の連日のレポートは業界が確かに足を踏み出しているリアルタイムの姿を知らせてくれている。

 http://fashionjp.net/creatorsblog/suzuki/

 

  繊研新聞は海外からの支援メッセージを掲載し始めている。

 

 文化学園の大沼淳理事長は今の段階を「復興」と位置付ける危険性を語り、現実に要請されている課題に着実に取り組むことだと、ご本人の体験も踏まえて提唱してくださっている。

 

  今日はフリーの日。まずパソナ本社に訪問する。社会的に半歩以上前を歩んでみせる企業だけに今回の災害をどのように受け止め、提言、実践しているのか肌で感じてきたい。

  そして、まさに被災の現場の生の話を伺う予定だ。「まだ」なのか、「もう」なのか・・・。緊張は未だ続く。

11/03/24 Thu 09:38

新しいことを面白がる体質


 私の迷いを見て取って、ドンと肩を押してくれたのが石川社長だった。石川さんをそう動かしたのも私を追い出そうとした力学(勢力)からかもしれないが、私にとっては救いだった。カレーライス!を食べながら(ご馳走が似合わない人だった)何をしゃべったのかは覚えていないが、彼は私が傷つかないように配慮して、前向きな職場内移動を提案してくれた。

サタデーS1.jpg 出版局を離れる。つまり長年親しんだし、局内で誰よりも愛し実践してきたと自負する「和」と「きもの」から離れることだ。

 その寂しさと挫折感は大きかった。新しく和ときもの以外の世界に飛び込んでいく心細さは大きかった。こうした葛藤はすざまじいものだったが、一旦決めたら私は無節操なくらいに新しいことを面白がる体質だ。


サタデースペシャル編集室


 いくつかの選択肢はあったのだったかもしれないけれど、私は繊研という経済新聞では「文化欄」にあたるサタデースペシャル編集室に所属した。経済紙だから土曜日も日曜日も関係ないはずなのに、日曜日は休刊で、土曜日に仕事の話題は読みたくないだろうというスタンスだった。で、中面の4ページをサタデースペシャルと命名して、普段の話題ともレイアウトとも異なる企画編集をしていた。

 私のキャリアを生かせる部署はそれくらいしかなかったとも言えるのだ。半年ほどは1編集記者の立場で、ルーティンワークを引き継いだが、ラッキーなことに私が編集長になって、二人のフリー記者と共に全面的に責任を持つという立場になった。私の色に染める企画と編集コンセプトをうちだすことができたのだ。

 こんな幸せな「左遷」はない。


私のいささかの誇り


 人生の経験というものは、ムダになることはひとつもない。私が主力雑誌の仕事=きもの分野をホサれたため、ブライダルそれに派生してジュエリー、ビジュアルマーチャンダイジングそれに派生して商店設計建築・・・と、もがきながら自分の専門領域を広げていたことが、全面的に新しい部署の企画として生きたのだ。

 きものや和を生で出してはアパレル業界読者には支持されないだろうと私は図ったから、唯一の「苦労」は、いかに読者全てに違和感なく情報を加工・処理できるかということだ。もともと京都は長い歴史に侵略を含めて異文化が押し寄せた都であり、外国のモノコトも消化して独自文化に修練してきた力を持っているわけだから、京都がファッションビジネス全般の興味関心に応える構造をそもそも持っているということだろう。
 例えばある有名企業が別会社で店舗に2点しか飾らないジーンズショップを作った。試着室は贅沢なしつらえをして、ストックスペースにはありとあらゆるサイズ対応ができるキャパを持って。これの1号店が京都で、いつしかキョートジーンズのブランドを冠され話題をさらった。私がいち早くこの業態をキャッチし、報道できたのはいうまでもない。さらに幸運なことにやがて裏原勢力?が京都に進出する時期とも重なったし、エイプが呉服の老舗・千總とコラボして友禅技法で迷彩柄を表現するなどのムーブメントも起きる時代局面とも平行することができた。
 私は何かを収穫する畑としては和を失ったが、表現する舞台としての和を獲得したのだ。しかもそれは繊研新聞記者の中では私にしかできない技で、業界・経済・マーケティング新聞紙面に固有の貌をつくる原動力になっていったのだ。マッド・アマノさんも紙面構成技法を評価してくれて、私の誇りをくすぐってくれた。私のサラリーマン人生、和に感謝してもしたりない。

 

(10年弱続けた「サタデースペシャル」。フェアトレードを見つけたり、VMDを面白がったり、商店建築を訪ね歩いたり楽しい仕事ばかりやった。当時の編集室メンバーは私以外は全員、嘱託という身分。彼女らに経費の心配をさせずに伸び伸びやりたいことをやって貰ったと自分では自負している。その当時の仲間、マキコは朝日新聞で奮闘しており、リカは現在最も優れたトレンド把握をしつつ編集リーダーとなり、ナオミは母の介護をしなければならない年代になって繊研を離れるという。最後のメンバーのカズミは夫を亡くし、アイメイト協会に協力しつづけ、心理療法士?の勉強をするなど皆、今の私にとっても気にかかる存在だ。サラリーマンを辞めてたった6年間なのに、それぞれの人に激烈な変化がある。・・・・たぶん・・・・・3・11は日本人一人ひとりが変わる契機になるだろう)

11/03/23 Wed 11:18

 皆、誰もが何かしなくては、何かしたいと焦ってる。私も同じだが、頭で考えるより体から動くタイプであって、話し合いの場にしゃしゃり込んだり、誰彼掴まえて過剰なハイタッチでしゃべりかけてきた。

 

 で、どうも会話下手、会議に慣れていないことを自覚もしたし、少なからぬ人々が空回りする論争に傾きがちだと気付いた。つい議論のための議論に陥ってしまうのだ。会議と論争との区別がつかず、テーゼにアンチテーゼをぶつけて、課題の精度を高めたり最大公約数の合意点を求める・・のが会議であると頑なに思い込んでいる感じ。今のような非常時で瞬時に動かなければならない時には、役立たないばかりか、害をもたらす場合も。


 お役にたつかどうかわからないが、私がコンサルティングしているマニュアルを掲げておきます。(続きはお暇な時にゆっくりどうぞ)

11/03/22 Tue 11:48

 そもそも緻密な思考ができるタイプでないので、こんなキャッチフレーズ、コピーライティングを考えてみました。

 

 岩手、宮城、福島の人口は570万人強、被災者は50万人強。10人に1人が被災したことになる。私のコミュニティ、職場の1割が被災者になったとイメージしよう。日本国民の200人が1人の被災者を支える運動だとイメージしよう。世界の1万4千人から1人に応援メッセ-ジが届き始めているとイメージしよう。

 

 日本の製造・製造卸・アパレル・卸は3万軒あると私は推定している。3県にとりあえず797軒の縫製加工業があるというデータを見つけた。1割が被災して、緊急な援助を求めているとしたら、375社で1社を支援する体制を組めばいいとイメージして動き始めよう。

 

 日本の小売FBは11万社あると私は推定している。3県に衣料品店、婦人服店、洋品店、呉服店は3300軒ある。1割が被災しているとすると330社で1社を支援する体制を組めばいいとイメージして動き始めよう。

 

 でもこの統計、数値には出てこない被災も沢山あることをイメージしよう。FBの仲間、3県の美容室は8000軒強、理容室は5300軒もある・・・・。精密で具体的な支援が求められていることをイメージしたい。

 

エクセレントカンパニーは良い企業風土、企業文化を持っていると思わされたニュース
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2791039/6970255

11/03/21 Mon 08:34

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 日本の公的文書(文科省)にキャリア教育という用語が使われたのは1999年のことだ。ということはそれ以前には専門学校=キャリア教育とは認識されていなかったのだろうか。私塾を含めて日本の専門教育というのは社会的にはバラバラな捉え方をしてきたともいえるだろう。

  アメリカの社会科学者・パーソンズらの見解として「大学教育は教養ある市民の育成に照準を置いている」が「大学院教育や専門職訓練は、特殊な能力の発達に向けられる」と早くに定義している。つまり「大学教育は職業上の有効性の促進という一般的な狙いをもっているとはいえ、職業参加のための訓練と解釈することはできない」と明瞭に区別している。

  大学院教育と専門教育が同列同次元に置かれていて、専門教育に携わる私は何やら単純に嬉しくなってしまうのだが、そろそろ私たちは専門学校教育≒職業訓練教育≒キャリア教育を再整理し、再統合する作業が必要になっているだろう。
  そこで21世紀の専門学校の生き残り策の一つは「専門職能訓練」に立脚し、徹底することだという方針も生まれてくるのではないだろうか。過去40年間ほど私たちの繊維産業、FB業界はアパレルという職能を機軸に充実充足してきた。専門学校はアパレル業態にタレントを送り込む使命を果たしてきた。その変形としてデザイナーメゾンへの就職が憧れのアイコンになったりし、専門学校の入学動機の大半が「クリエーター指向」に包まれていると思われる。その弊害として日本の本来のモノづくりを支える繊維工業への人材供給を怠ってきた。繊維工業に分類される企業も自らの変革を怠って、魅力ある業態をもって若者を受け入れ得なかった。


メイドインジャパンの土台


  20世紀前後から国内需要の充足で拡大してきた反省も巻き起こり、海外市場を射程に入れた試みが重ねられて「外の眼」で我が国のFBの優位性を分析できるようになった。現在のところメイドインジャパンの品質とその安定性が最大の賞賛といえよう。その功労者はどこか。ファイバーメーカーであり、テキスタイルメーカーであり、ソーイングメーカーであることは論を待たない。私は露骨にカタカナで記したが、こうでもしないと若者の耳目を惹きつけられないのだ。
  必要なスキルを研鑽させ素材開発機関、撚糸機業、生地織・編工場、縫製工場に有能な学生を就職させることが21世紀の繊維産業がグローバルコンペティションに打ち勝つ土台になる。あえて旧式の機械を導入し、効率を度外視して手作業も含めてプリミティブな工程を積んで創作したものなどが、オバマ大統領夫人やセレブ・スーパーブランドに取り入れられている時代相を見つめれば、おのずと導かれる方向ではないか。そうすれば教える側も、臥薪嘗胆40年のキャリアに全幅の自信を持って、21世紀の若者に教え、継承できるではないか。
  ここで力を籠めて主張しているのは、もう一つワケがある。4年制大学指向の強まりと専門学校の大学化指向が見られ始めているからだ。先のことは分からないが、縷々述べてきたように目的の鮮明でない中等教育修了者は高等教育を志望したとたん簡単に「よりカッコ良く見える」大学へと雪崩をうつはずだからだし、すでにそうした例が出現し、専門学校の存立基盤を失いつつある情勢に慄く人々も見られ始めたではないか。

  が、就職難の時代だから専門学校が有利というコマーシャルが一方で目立つのは何故だろう?


(artwork by Keiichi Masuda)
  スタートから「挿絵」を担当してくれている増田恵一さんは、そもそもこのブログを始め続ける牽引車になってくれた方だが、震災支援・復興でも組織の先頭に立とうとしてくれている。そして忙しいのに、震災直後すぐさまイラストを描き直してくれた。この気配り心配りが今は、決定的に大切なのだと思う。感謝。

11/03/20 Sun 14:29
 老夫婦では足手まといになるかなと心配しながら、さいたまスーパーアリーナにお邪魔してきました。ボランティアは十二分、物資も捌き手不足なくらい集まっているということでした。ここは31日までですが、私のような者は長期化の中で構想準備をしておこうと考えました。行って、心を揺さぶってもらい、励まされ、やる気を頂いてきました。
11/03/20 Sun 08:38

  今日も明日も休み。放射能に怯えつつも、恙無く(つつがなく)惰眠をむさぼる後ろめたさを抱える。が、どう言い訳しようと私は私の生活に埋没している。


  今日も身内の話で申し訳ない。私の末っ子は不動産賃貸管理会社のソフト提案コンサルタントのような企業に勤めている。震災後、会社はディズニーランドやジュピターショップチャンネルと同じく原則として「営業停止」、勤務形態は「自宅待機」になったそうだ。が「いろんなつきあいもある手前」ただ待機しているわけにはいかないのだそうで、大車輪で動き始めた。
  そうして息子は別会社に毎日出社して被災者に提供できる空き住宅を確保すべく汗をかいている。「今現在ようやく・・・たかが・・・4万戸まで確保できそう・・・」だそうだ。シロウトの私は短期間に4万戸も!よく確保できたものだと感心するが、今回の被災規模からみてまだまだ十分には満たせないレベルだと気付く。
  震災直後、ヘリコプターを飛ばして同業者の仲間に物資を届けることもしているという。所属する会社規模は小さくとも、不動産業界という巨大ネットワークのダイナミックな活動に驚嘆させられるし、羨ましくも思う。それほどの大組織なのに、素早い指揮命令体系、リーダーシップにも瞠目させられる。我がFBは・・・。


  さらに息子のボランティアを頼もしく見ながらも、私個人は孤独な個人事務所としての4月からの落ち穂拾いのようにささやかな仕事の営業準備をオロオロしている。利己的で人非人と言われてもしょうがないと思いつつ、私だって生きるためにメシのタネが必要だと、醜く吐息をつきながら・・・開き直る・・・・・。


  息子が紹介してくれたブログ。「おちまさとオフィシャルブログ」の14日、17日付けが考えさせてくれる。
http://ameblo.jp/ochimasato/page-1.html#main

11/03/19 Sat 08:22

  日常の思考が奪われた日々を経て、ようやく週末。今日は完全に日常仕事から解放されよう。で、私に近い人々の話を書かせてもらいたい。


萩の月1.jpg  命に別条はなかったが、従兄が経営する本社は製造設備に損傷を受け、宮城県を中心に要所に設けられた販売店にはシビアな被害を被っている。なによりも数名の社員の行方が分からない状態が続き、1名の命も奪われたと伺っている。営業を停止する辛さもさることながら精神的に耐え忍ぶ従兄、従姉たちを思うと胸が痛む。


萩の月2.jpg  また父の兄一家も仙台に居住していた。歳の離れた私は従兄や従姉とはほとんど交流がないのだが、やはり穏やかではいられないのだ・・・。

 

  今回の災害は地方大都市の人口がそっくり避難所に身を寄せているわけだし、横浜アリーナやさいたまアリーナに収容できる人数の命が丸ごと奪われたことになる。だから沖縄や北海道に住んでいようと、かならず繋がりのある方が被災者となっているだろう。だから誰にとっても他人事ではあり得ないし、過去の災害とは次元の異なる強大なコミュニティを再度構築し直して共に生きなければならないのだ。(続きは、個人的な思い出にすぎません。お忙しい方は後日ゆっくり?クリックしてください)

11/03/18 Fri 13:20

文化学園・文化服装学院は長野にもゆかりが深いのですから。

 

栄村ネットワーク(被災情報ブログ)

http://sakaemura-net.jugem.jp/

 

  本日は自宅事務所でたまってしまったお仕事を処理・・・と構えていたらバシッと停電。少しのおまけもなく、あぁ無情の3時間を過ごしました。電気が無いと手足がもがれた感覚。現代人は無力、無能かもしれないと痛感し、根源的な恐怖(大袈裟)も抱きました!そう、私も「不幸中の幸い」な被災者の1人にすぎないのです。日常に溺れ、平伏し、負けて・・・はいられない。

11/03/18 Fri 07:50

停電前に至急。
「6すけの裏けむり日記」

http://rokusuke.blog3.fc2.com/


17日付け、コメント欄の情報を繊維産業、FB業界に拡散してください。


久慈市には12社の縫製企業があるようです。


「頼母子講」「無尽」など私には分からないのですが、先人の知恵に学んで資金集めができないものでしょうか。こういう勉強をしてこなかった反省をしつつ、詳しい方のアドバイスと行動をお願いします。

11/03/18 Fri 04:02


 日本で服飾専門学校としての最長の歴史を持つ文化服装学院は、国内にも海外にも巨大なネットワークを構築している。宮城県の宮城文化服装専門学校と仙台青葉服飾・医療福祉専門学校は連鎖校だ。21世紀初頭にブカレストで日本ルーマニア友好100周年記念文化イベントを催したが、宮城文化服装専門学校の学長さんとはルーマニア・ブルガリアツアーにご一緒していたのではなかったかと思う。定かな記憶ではないが。


宮城文化服装専門学校の緊急・災害用掲示板
http://www.miyagibunka.ac.jp/m_bbs/pcm_main.cgi


は見事だ。刻々と変化する緊迫した事態が記録されているし、情報集中の見事さ。これは日常の団結・連帯がうまくいっていなければ機能しない技ではないか。「全員の無事を心から祈っています」という文字が、音声をともなって叫んでいるような錯覚に捉われる・・・・。


 どうぞ、皆さん遠慮しないで私たちに要求してください。被災された方々はもとより、宮城県のファッションビジネスに携わる全ての企業・人々の一日も早い復興に何かお役に立てると思うのです。文化学園、文化服装学院は巨大なコミュニティのパワーを発揮してくれるはずです。もちろん私個人も非力であり微力を自覚せざるをえませんが知恵と力を惜しみません。

 

あなたたちはひとりじゃない
http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc&feature=youtu.be

11/03/17 Thu 13:45

16日付けで紹介した中で「6すけの裏けむり日記」にモリヤさんの消息を問い合わせましたところ、丁寧なドキュメントを綴ってくださいました。

http://rokusuke.blog3.fc2.com/

再度紹介します。15日付けが、そのやりとりです。ITを使いこなせないオヤジは、こんなコミュニケーションもできるのかと、感動しっぱなしです。6すけ君ありがとう。

11/03/17 Thu 10:46

新人の罵りにブチ切れる


 大きなイベントには反動もある。ブライダルショーは宣伝効果としては数億円に匹敵する成果を上げたといえるが、会社に現金として利益をもたらすものにはならなかった。コンテストだけでは赤字のところにプラス公演を入れて黒字にならなくとも赤字拡大をしたわけではなかったから、私は何ら責任を問われるいわれはなかった。が、そこはサラリーマン社会。大掛かりであればあるほど目に見えた「成果をだしていない」と叱責の対象にもなる。
 そうした外野席からの揶揄や中傷は気にしないことにしたし「そんなに非難するならオマエがやってみろ!」と心の中では毒づいていた。哲学上のルサンチマンの定義が分かったような気もした。が、入社1年もしない新人から「アンタの趣味で勝手にやったイベントで、大勢が巻き込まれて迷惑を受けた」と宣言されてブチ切れた。


逃避の道を探る


 私はいい加減な仕事をし、自分のためだけに動き、不正も働き、人倫にもとる行為をする奴というレッテルが貼られていて、それは新人にまで浸透していると思い知らされた一瞬だった。さらに形式上の出版局リーダーは石川さんからNという役員に代わっていた。彼は新しく就任した部署だから張り切って、現場のアラを探して、私のささいな校正ミスや小さな経費をしつっこく指摘し、私のダメぶり?に日々確信を深めていったようだ。
 さらにいつの間にか雑誌取材には大量のフリー記者が組織されていた。フリー記者に依拠することはいいこと(11年1月27日付け)と私は考えているが、問題はプロパー記者に余剰人員がでてしまうということだ。誰が余るのだ? それは私だと自覚せざるを得なかった。
 が、私は厄年。長男が中学生でこれから3人の天文学的な子育て教育出費が始まる時期。別な企業でゼロからスタートするなど華厳の滝から飛び降りる覚悟がいる。賢明なる第三者は環境・条件を変えるために主体的に闘えとアドバイスをくれるだろう。でも、それがにっちもさっちも行かなくなったから、悩み身体を壊し逃避の道を探るのだ。では、どうすれば・・・。


消費税導入で自覚した経済シロウト


 もうひとつ呉服業界が嫌になっていたというか、業界とズレ始めていた私の感覚の問題もあった。それは何と消費税導入を巡ってだった。消費税は様々な名前や体裁を変えては政治の争点にだされそのたびに国民の反感をかっていた。そのニュースの積み重ねで私のスタンスは絶対反対に凝り固まっていた。が、政治は思わぬ「どんでん返し」もするものだ。何があったのか勉強不足の私にはわからないが、有名量販店経営者がそれまでの反対から賛成に回ることをひとつの象徴に風向きが変わり、消費税は導入された。そして私も企画実行した消費税導入後の呉服店経営のセミナーを緊急実施した。その勉強会では私は導入を憤っていたが、参加者の大半はウキウキと鼻歌交じりの感じだったのだ。どう免税するかのノウハウを期待して参加してきていた人が大半だったのだ・・・!。売上高が少ない企業は免税、ということは消費者から預かった税の行方は・・・・。

 一市民としての視点でしかみておらず、マーケティング記者として私は失格だったのだと嫌というほど思い知らされた。もともと経済のフィールドからものを見たり考えたりすることの苦手だった私は、ベテランの肩書きが付くキャリアにあっては、もはや経済記者としては成長できないという自覚もせざるを得なかった。

 

P.S

                                                         
本日も通常ブログを出してよいものか躊躇しながらアップさせていただきました。


110317_0821~0001.jpg 早く前向きなメッセージをださなければと焦るのですが、高く飛ぶためには一度、屈まなくてはならないように、前向きになるために哀しみや怒りを吐き出したくなります。

 世界から略奪が起きていないことに賞賛が届いていますが、残念なことに食品倉庫から奪われたりする哀しい映像などを見てしまいました。

 が、それ以上に株式市場や為替市場は、売り浴びせ買い漁りを繰り返しダッチロール。おそらく巨利をせしめる千歳一遇のチャンスとして襲い掛かる勢力があるのでしょう。これを略奪といわずして!・・・!!

    日本の株式市場は海外資金にコントロールされているといわれますから、日本の政経リーダーは先頭に立って守らなければならないはず。が、数時間に2円以上の為替変動があっても、何もしない。この乱高下に参加している日本人にはもう二度と「愛国」などという言葉を使わせたくない非国民という用語を復活させたいくらいだ
 今の危機局面に責任を問うて怒鳴りつける(だけの?)首相、何も騒ぎたてることではないと弱弱しく掠れた発声もおぼろな財政政策に関わる大臣・・・。
 終戦の年、1945年の晩秋に石川達三は「いまや日本に政府はないのだ。すくなくとも我々の生存を保証する政府はどこにもみあたらない。(中略)経済的に無政府の状態にある今日、我々の命を守るのは我々の力だけだ」と朝日新聞に載せたという(「ルポライター事始」竹中労 ちくま文庫)。私もそんな心の臨界を迎えている。


(我が家には早咲きのサクランボが満開を迎えました。自然は牙をむくけど、癒してもくれる。人間が自然の一部だという謙虚さを失ってはいけないという戒めでしょうか。超最先端科学で構成されたと信じられていた原発に放水車で水をかけるという漫画みたいなアナログ行為を脱力の思いで読んで聴いて眺めている・・・。真のリーダーとは何かが試されるのが戦時だ)

11/03/16 Wed 21:25

 1月の末に行われたIFF(インターナショナルファッションフェア)でのシンポジウムで久慈市の縫製企業の岩手モリヤの森奥信孝社長の発言は日本のFBに自信をもたせてくれる発言でとても啓発されました。どうなさっているのか心配でネットを探っているうちに、とても伝わるブログにたどり着きました。

 

NeTownshiKuji

http://kujicity.blog.ocn.ne.jp/kujicity/2011/03/

 

6すけの裏けむり日記

http://rokusuke.blog3.fc2.com/

 

TwilighT

http://twilight2010.blog108.fc2.com/blog-entry-91.html

 

柴犬mix ふくまるらいふ

http://ameblo.jp/fukumaru-smile/day-20110314.html

 

ashぶろぐ 岩手県久慈市

http://ash322.blog112.fc2.com/blog-entry-883.html

 

まだまだ沢山あります。

 読ませていただいた私が逆に励まされる思いになりました。ぜひ読んで、共生と連帯のメールを送りましょう。

 本日付けの繊研新聞の報道によりますと、モリヤさんは設備に大きな被害を受けたようですが、無事だったもよう。ホッとしました。

 

 私は震災当日、自宅から離れていました。居住地に帰れず、かつ家族と連絡がとりずらく強烈なストレスを抱えました。そして原発事故も報道され始めた翌12日から歯が過敏になり痛みを覚えるようになりました。恥を申し上げれば4日間ほど茫然自失してしまっていたのです。

 私が弱いのかもしれませんが、直接被害が無く、しかも60歳の百戦錬磨のオヤジでさえこういうトラウマ、PTSDに見舞われるのですから、直接被害を受けた方々、柔らかな心をもった子供・若者の精神的苦痛はいかばかりでしょう。明日、いや一瞬後に私自身が被災者になる可能性もあるのが現況です。いつまでも打ちひしがれるのではなく、とりあえず今現在、直接被害を受けていない私たちは頭のスイッチを切り替えなければなりません。今動ける私たちは被災された方々に何ができるでしょう。

 TV報道も、そろそろ津波が襲ってくる映像は一旦封印して、前向きになる報道、政府・行政さらにひとりひとりがなすべき提言に切り替えてほしいものです。阪神淡路大震災の地元新聞の教訓を学び直して。

 世界から続々届けられる応援メッセージを何とか避難所の皆さんにこそ見ていただけるようにTVで流す英断もできないものか。まずはスカイプ機能も備えたパソコンを避難所に配備するのも必要でしょう。

 知恵と力を出し合い、寄せ合い動けることから動きたいものです。 

11/03/15 Tue 10:26

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 いま少しファッションの専門学校に即して変革を模索させていただこう。ファッションのプロフェッショナルを目指すための専門学校といっても、その方法・技巧、さらには着地点も時代と共に変化するものだ。
 戦後、いわゆる花嫁修業としての成果を期待された時代には家庭洋裁を習得し、良妻賢母の資質を身に付けるのが目的であり手段だった。女性の社会進出や工業化への対応の時代にはアパレル生産様式に相応しい技量を習得し、企業人・組織人としての資質を身に付ければ人生設計を優位に描くことができた。今日の服飾専門学校はこれらのメソッドを積み重ねて現在に至っている。
 乱暴な分析ではあるが、バブル崩壊を象徴とした90年代以降、産業構造、業界流通は全く変貌した。SPAという業態が席巻したり、OEMという機能でビジネスが成立したり、海外交易の中で従来にない業務も現れた。ウィンドウズ95発売以降、創造ノウハウ・情報インフラは革命的に変わった。ここのテーマではないから深められないが東西対立から南北矛盾、宗教対立・民族紛争などの従来とは主因の異なる国際緊張の高まりなどもファッションの価値観変化、生産構造変化の重要なファクターになっている。
 そして今は2011年だ。観念では2000年か2001年に新世紀に入ったが、実質は去年・今年から21世紀だという説もある。前世紀のロジックでは新しい世紀のクリエーションもビジネスも生み出しえないというのはロマンが勝ちすぎる見方だろうか。少なくとも20世紀後半に確立したファッション教育のメソッド、カリキュラムは根本から疑い直す冷徹な作業が求められている。

 

手作りは価値論として学ぶ?


 小さな事象を挙げるなら「おしゃP」と定義?される職能?がファッション創造の核になったりしている。「?」と付けざるをえないくらいに今現在は不安定な存在規定だが私はトム・フォードが代表格だと理解している。これまでの創作リーダーだったデザイナーやMDやパタンナーなどの専門職種は相対的に地位を低下?させ、職能は微妙に、いやドラスティックに変わる。この変化に対応できているアパレル企業は少数派だし、専門学校では1校も無いと断言できる。
 デザイン画1枚にしても手描きが重宝されることは企業活動の中ではほとんどなくなっている。パターンにしても平面も立体も原理原則として理解できていればよく、企業活動の中ではCADこそ根幹になっている。コンピューターワークに精通していなければ、デザイナーもパタンナーも生産管理もMDも・・・・企業の現場では使いモノにならなくなっている。これをしっかり認識できている専門学校は残念ながら少数で、変革を遂げている服飾学校は1校も無い。
 縫製でも例えばボタン付けでさえ、特殊ミシンが手縫いよりはるかに機能的にも物性的にも優れていることを産業レベルでは知っているが、学校教育で素直に認める教員は少数派だ。手描きや手縫いは技術として充実させる課題ばかりではなく、創作あるいは商品の価値論と業態論を巡って充足させる方向で教えなくてはならないと私は考える。
 たったこれだけの例証では説得力はないが、現実とズレまくって専門教育が展開されていることには気づいて欲しいのだ。

 

(artwork by Keiichi Masuda)

 

P.S

 震災の直後に日常のブログを載せるのは躊躇もありますが、早くに平常心を取り戻すのも必要かもしれないと判断し掲載させていただきました。

 震災の直接被害にあわれた方々には心を寄せ、微力ながら応援させていただこうと思います。日に日に全容が明らかになるにつれ、ひとりひとりに繋がる被害者は増えることと覚悟せざるを得ないでしょうから余所事ではありません。「明日は我が身」の出来事ですし、揺れや津波の直接被害が無くても、全ての生命にとって今これからは核・放射能問題で、深刻かつ冷静に対処しなければならないのですから私・貴方自身の問題になってきます。

 昨日までは外出もかなわず、ネット情報につながっていましたら、台湾から掌に励ましの言葉を日本語で書いて次々と大量にとどける動画を見て嬉しく涙もでました。日本人があまり使わなくなった「平安」という言葉に、なぜか深い共鳴をしてしまいました。

 

http://www.youtube.com/watch?v=eKduLvFwGGw

 

  世界から言葉・文字を含めた豊かで巧みなコミュニケーションが届けられつつあります

 惜しむらくは被災された方々にこそ届けなければならないのに、その場所には電気も機器も足りないのです。長期に構えざるをえないでしょうから、古くてもいいからパソコンを大量に避難所に設置する術を考えなくてはなりません。それが過去の震災とは異なり、整えるべきインフラではないかと、まず考えました。

 

 今朝の電車は待つ時間も混雑も耐えに耐えなければなりませんでした。が、わずかな小競り合いが起きると、どこからか「止めよう!」と声がかかりあいましたし、皆整然と秩序を大切にしていて私は感動すらしました。

 混乱に拍車をかけるような事態をなんとか阻止し、心がすさむような場面を皆の知恵と力で回避したいものです。団結、連帯という概念を実際に体感することを積み重ね、ささやかなことであっても心が前向きに揺さぶられる瞬間を大切に思いたいものです。刻々と伝えられる原発のニュースを受け止めつつ追伸させていただきました。

11/03/14 Mon 10:08

私に繋がる方々にも、辛い事態が多発しています。

ツィッターなどが情報伝播・拡散に大きな力を発揮しているようですが、混乱を拡大しないように、一方で冷静な対処もしなければならないと考えます。

これからのFBと小売店の生き方を提唱している「あるっくじゃぱん」(増本利宏代表 http://www.alook-japan.com/ )から以下の呼びかけをいただきました。

 

===引用開始===

 

私たちにできることは何かを考えましょう。こんな時にこそ「人間力」を・・・
困難に立ち向かう「元気」こそ、私たちが差し伸べられる「手」なのだから。
 
例えば、節電
例えば、むやみな電話をしない
例えば、不安を煽らない
例えば、少しでも募金する
例えば、経済活動をしっかり応援する
例えば、商売上で出来る限りの優遇処置をしてあげる
例えば、復旧・復興支援をする
そして、
弱みに付け込んだイタズラや悪意には乗らず、正しい情報で動きましょう。

 

===引用終了===

 

本日は電話もつながりにくく交通もマヒ。とりあえずの呼び掛けをさせていただきます。

11/03/10 Thu 06:26

繊研の歴史にひとつのエポック


 ファッション業界紙記者であっても私はパリコレはごく一般的な関心しか寄せていなかった。伝統的な体面をとりつくろう呉服業界では極く一般的なスーツスタイルしか着れなかったことも私がコレクション作品を熱心に見なかった要因だろう。
 が、イッセイさん、ヨージさん、川久保さんはきもの記者でも一目も二目も置かざるをえない存在だった(09年5月14日付け参照)が、毎シーズンに発表される作品をマメにチェックしていなかったし、パリコレ担当記者のように評価もできなかった。

 ギャルソンマリエ 1.JPGそんな私が強烈に一人のデザイナーとその作品が刺さりこんできた。川久保玲さんが1990年秋冬に発表した真っ白な不織布で造形されたウェディング・ドレスだ。これもブライダル業界を歩き始めていたから、キャッチしたものだと思う。


不織布とドレスの組合せ


 鯨岡阿美子さんが昔「コムデギャルソンは一番高級なものを合繊とドッキングさせた」と定義していた(08年12月18日付け参照)から、不織布と結婚衣装という組み合わせは私には、尽きぬ興味を駆り立ててくれた。パリから帰国した織田記者に、この作品を教わりに行ったはずだ。その時織田さんは「後ろに手を組んだモデルもコケティッシュな歩き方で可愛らしく、会場から拍手が巻き起こった」と教えてくれたと記憶には刻まれている。
 その頃は、かなりなブライダルメーカーを回り、衣装についても一家言もてるようになっていたから、川久保さんのドレスは私にとっては衝撃的な価値に感じられた。1年後くらいだったろうか、麹町のワコールで展示された時は、万難を排して初日に見に行ったほどだ。


きものから出る決意で


 繊研新聞は新人デザイナーを発掘するコンテストを行っていた。コンテストの前後には会場を効率的に使うために若手デザイナーのショーも催していた。そこで私は、ウェディングでショーを企画したいと提言した。いくつかのブライダルメーカーと交渉して、当時から破竹の勢いで成長していたワタベがこの提案に乗ってくれた。
 私の頭にも、その舞台に川久保さんのドレスを乗せたかったし、織田記者は繊研が行うからには凡庸なウェディングコレクションにはしたくないと張り切ってくれた。結果はスポンサーになってくれたワタベに大きな負担をかけたが、世界の20名ほどのデザイナーのドレスと、このショーのために比嘉京子さんら3名の新作(この制作もワタベが担ってくれた)を並べる豪華な舞台となった。パリコレレベルのデザイナーらが一つの舞台に乗るウェディングショーという当時は世界に類をみない試みと期待され、前評判は日に日に高まっていた。私が一番燃える仕事で、チケット印刷から会場誘導マニュアルまで、死にそうに緊張はしたが、やりがいこのうえない至福の準備期間だった。インファスはもとより地上波すべてのTV局から問い合わせが殺到し、取材陣でごったがえした。新聞雑誌はもちろん、テレビニュースにも取り上げられるという繊研の歴史にひとつのエポックを刻むイベントになった。
 なぜ、それほどこのイベントに力を注いだのか。私はきものの担当として出版局から自ら弾き出される覚悟を固めたからだ。取材記者は外部ライターに発注する体制に移行しつつあり「フジタは無能キャンペーン」は日々強まっていた。

 だからこのイベントをしていなければ私はきもの記者として出社しても毎日することが無くなっていた。つまりホサれていたから・・・。

 

(泡ドレス=バブルドレスという愛称もついた川久保さんのマリエ。デビューが黒やボロのキーワードで問題提起しただけにドレスやマリエは似つかわしくないが、日本の打ち掛けのようなドレスをパリコレに出したこともあり、いろんな角度から評価・評論されたものだった。写真は「ファッション 18世紀から現代まで」=京都服飾文化研究財団 TASCHEN=より転載させていただきました)

11/03/07 Mon 09:38

 

0307.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 業界紙記者の立場で東大はじめ多くの高等教育機関にお邪魔してきた。その中でもやはり専門学校に一番多く、親密に接してきた。その経験からひとつのエピソードが蘇る。キャンパスの一隅に喫煙所があって私はそこに腰掛けていた。午前11時をまわっていて、学生は教室で学んでいる時間、シーンとしていた。そこへ1人の男子学生が現れた。タバコをふかし、なにやらパンらしきものをかじっていた。不良大好きな私は、目の端に入れずにはいられなかった。
 しばらくして年端の変わらない女性が勢いよく彼に近づいた。「今何時だと思っているの」「今何やらなければいけない時間か分かっているの」と甲高い声で叱り始めたから、おそらく彼女は副担任くらいの立場で、教室からエスケープした彼を迎えに来たとわかった。

 私は期待した。教育実践を巡る教師と生徒の感動のドラマが展開されると。が、彼女は一方的に汚い言葉を立て板に水のごとくまくしたてるのみだった。彼は不貞腐れた表情を保つばかりで何の反論もしない。3分か5分か・・・、彼女は最後に「バッカじゃない!」と彼をののしって、彼をその場に置いて!ひとりで!去っていってしまった。

 私は腰が抜けるくらいに驚き、落胆した。「オイオイ、金八先生みたいな感動のドラマを見せてくれないのか」と。彼から言葉を引き出し、肩か背中に手を触れて、目を見つめて彼の行動の誤りを気づかせ、修正させる教育実践は見られないのか・・・と。せめてお互いに叫びながら泣きながらもがきながら共に教室にまろびこんでいく葛藤のシーンは出現しないのかと・・・。ドラマの見すぎでステレオタイプの実践現場を期待する物見高い野次馬のオヤジに過ぎなかった・・・、私は・・・。


支払う側をバカとののしるなど・・・


 おそらく副担任?の彼女はその専門学校で敷かれたカリキュラムを立派に遂行し、成績優秀と自他共に認め、そのまま教員採用されたのであろう。だからその専門学校のメソッドを伝える能力はあったが、それから外れたケースでは無力だったのだ。教育哲学も教育方法論も、溢れるほど蓄積されている教育実践記録にも触れずに先生に就任してしまったのだろう。服作りを学ぶ意義と目的の確立した子には継承させられる十分な技を持っているだろうが、ナゼ学ぶ、ナゼ働く、ナゼ生きるなどのテーマでは学生と同じ土俵に立って共に格闘するしかないという己の力量の限界を知らず、かつ謙虚さを忘れているのだ。
 日本の高等教育には父母と子に「学生消費者論」思想が強烈にあり、学校側には問題意識すら無いか、意図的に排除しているというアンバランスがあり過ぎる。が、少なくとも学生の支払う授業料で圧倒的に構成される基金から教職員は生計を賄うことができるのであって、学校の主人公あるいは主役クラスの学生に向かってバカとののしるなど(訓練の現場では認めざるをえない場合を考慮しても)原則ありえないことではないか。
 礼儀、言葉遣いがなっていないと若者を嘆く教員自身が、学生にむかっては命令言葉しか発せず軍隊調の規範行動を強いているという不条理に満ちた漫画のような日常が繰り広げられる。教える側の反映であることに全く気づかずに権力でもって教える側を一方的に憤るという、にわかには信じられない姿をさらす日常が繰り返されている。

 「業界の常識は世間の非常識」を改めようと努力している一般社会に比べ、学校の常識は内部にあっては疑いすらもたれていないのではなかろうか。

 

(artwork by Keiichi Masuda)

11/03/03 Thu 09:48

また私の世界が広がった


 サラリーマンの強さでもあり弱さでもあるが、私は居場所を固めるためにありとあらゆる新規仕事に首を突っ込んでいた。ウェディング業界に興味ある!となると、ずうずうしくいつの間にかそのプロジェクトの一員になったりした。きもの業界とウェディング・レンタル業界は際を接しているので、雑誌にどしどし記事を書いたり、新聞記事にして入り込んでいくようにしていた。


ブライダルサミット09年桂さん.jpgのサムネール画像 またウェディングの業界は白無垢・打掛の伝統ある和装をルーツとしているから京都が生産流通拠点で、きもの業界を取材する同じ呼吸で、仕事ができたのだ。ウエディングドレスの第一人者の桂由美さんとも積極的にお付き合いした。ちょうど彼女が日本の和装挙式スタイルの再興を願って、国際的な運動も始めていた時期であり、きもの記者として接しやすい時期というラッキーもあった。

 

業界にも改革の波

 

 私は大学卒業くらいに先輩の結婚式の裏方を張り切って勤めたことがある。決まりきった披露宴演出を壊したくてLPレコードを持ち込んで、サウンド・オブ・ミュージックの曲を流したりした。が会場は由緒あるホテル・ニューオータニ。その場でにがにがしく「雰囲気に合わない」とクレームが出て、後にプロの私たちにお任せいただくべきでしたと、こってり怒られた経験がある。が、ウェディング業界にも改革の波が起こり始めていた時期だった。ハウスウエディングのハシリのような業態が出来たり、席順でも両家の両親を花嫁花婿の前の真ん中に一緒に座らせるなどという試みも始まっていた。こうした企画やソフト開発は大好きだったから、業界取材はとても楽しく、かつ業界と話が噛み合ったと思う。


陶芸に導いてくれた酒屋


 そこで再び京都に足しげく運び、私はまた新しいステージを得る。例えばブライダルショーを演出されているプロと知り合ったり、今はなくなったが舞踏集団・白虎社の方を知ったりした。ブライダルプロデューサーが企画演出した若いカイロプラクティック士の店はとてもおしゃれな感じがいっぱいで、京都出張のたびに寄ってくつろいだし、この医院長が教えてくれた京都のアーティスト達も後の私に多大な影響を与えてくれた。
 特に祇園の酒屋さんなのに店の奥に若い陶芸家を応援するギャラリー「八源」は、陶芸に眼を向けさせてもくれたし、我が家の食卓を飾る数々の陶芸家作品を手に入れる拠点にもなった。祇園という場所柄、夜12時まで開いているので、ほろ酔いで覗いたりもできる嬉しいギャラリーだ。
 京都造形大学周辺のユニークな本屋さんとか、レトロモダンなアパートの再生活用とか、きもの記者としての範疇を越える話題にめぐり合ったのもブライダル業界、レンタル業界に入り込んだからだった。本人は意識していたわけではないけれど、きもの記者という肩書きにとらわれていると、情報を見逃したり、気づかなかったりしていただろうと思う。
 きもの記者から追い出されそうな気配があったからこそ私の世界が広がったわけで、これまた感謝しなければならないのかも知れない。
 ブライダルはやがて世界のデザイナーズウェディングショーというデカいイベント企画へと私を誘っていく・・・。

 

09年ブライダルサミット.jpgのサムネール画像 

(ブライダルを巡る桂由美さんの業績は多大なるものがある。お付き合いして彼女のどんな条件・場面でも前向きに立ち向かう姿勢に感動させられっ放しだった。日本ルーマニア友好百周年を記念する文化イベントでブカレストで桂さんのブライダルショーを催すことを提案したときも、ほとんど瞬時に「やりましょう」とご返事いただいたときは圧倒された。桂さんと同世代の繊研新聞デスクとの会話を伺っていると戦後の日本の経済復興と先進諸国に互角に闘う文化振興を担ってきた先輩達の迫力に心打たれたものだった。彼女の功績の一つが「アジアブライダルサミット」だ。各国の民族衣装を大切に伝承しようという呼びかけで16年前から行われてきた。95年の第1回の催しは小規模なものだったが、各国の衣装に籠められた誇りを感じさせてくれた感動が甦る。今年は中国の海陽で行われる予定だ。写真は09年に静岡県で開かれたサミット=同ホームページより転載させていただきました)

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