上原は初回、先頭のジーターを四球で歩かせたものの、二死を奪って松井氏を打席に迎えた。カウント2―2からの5球目のフォークで二塁ゴロに打ち取った。「どんな内容やったか? 覚えていないですよ」と話した上原だったが、深呼吸をすると記憶がよみがえってきたようで「ショートライナー、それから(左翼への)フライアウトでしたね」とつぶやいた。第2打席はカウント2―2からフォークで遊直。第3打席はカウント2―2から直球で左翼へ飛球を打たせ、3打数無安打。上原に軍配が上がった。上原は5回5安打1失点、86球で初登板初勝利を飾った。
2度目の対決は約1か月後の5月10日だった。場所は同じくオリオール・パーク。松井氏は5番DHで先発した。第1打席、フルカウントから外角の沈む球で大きな当たりだったが中飛。第2打席はカウント1―2からフォークで空振り三振。第3打席はカウント2―2からフォークで三飛。この日も3打数無安打だった。上原は6回6安打1失点と好投し、勝ち投手の権利を得て降板したが、7回に救援陣が逆転を許し3勝目はならなかった。
6打数無安打1三振。2人のメジャーでの対決はこの2試合の計6打席が全てだった。上原が同年5月と6月に故障者リスト入りしたことと、松井氏が10年から3球団を渡り歩いたことで、マッチアップの機会が訪れなかったのだ。
上原はしみじみと話す。
「まあ、6回の対戦じゃね。10回、20回とやっていれば、また別の感情が出ただろうけど、6回だけじゃなんとも言えない。やっぱりもうちょっとやりたかった。(松井さんと)同年代のジーターとかまだやっているわけやし、去年引退したのは残念。でも、それは本人の気持ちやからね」
その6回の対戦、今は客観的に振り返ることができるのか。上原から「楽しかった、という気持ち、ですね」という言葉が返ってきた。そして現役選手らしく、こう続けた。
「打たれたくないという気持ちはジーターだろうが、A・ロッド(ロドリゲス)だろうが、松井さんだろうが同じです」
巨人で4年間一緒にプレーし、日米野球ではメジャーリーガー相手に戦った。そしてメジャーではライバルとなった。だから松井氏との思い出は「たくさんあって、順位とか付けられない」という。
「一緒にご飯を食べに行ったり、(日本では)一緒のチームのユニホームを着て、アメリカでは敵同士になって、もう、全てが思い出ですよ」
松井氏との思い出は上原にとってかけがえのない財産だ。
東京スポーツ新聞社が運営する携帯サイト「東スポ芸能」で、AKB48の研究生・峯岸みなみ(20)が連載コラム「AKB48峯岸みなみの研究生じろじろリポート(略称じろリポ)」を担当。昇格を目指す研究生たちの素顔を紹介します。