ヒバクシャ広島/長崎:’13夏 朴南珠さん 若者に話の一滴

毎日新聞 2013年08月01日 西部朝刊

 <核兵器の廃絶を documentary report/155>

 「原爆でやられた命は虫けらと同じだった」。広島で被爆した在日韓国人、朴南珠(パクナムジュ)さん(80)=広島市西区=は、日本と韓国の大学生らが企画した講演会で、日本語と韓国語で交互に語りかけた。

 路面電車に乗っていて、爆心地から1・8キロ地点で被爆した。13歳だった。家に帰ろうと、妹と弟の手を引いて土手を駆け上がると「広島がなくなっていた」。多くの人が鳥が羽ばたくように両手を広げて土手に倒れ込んで亡くなった。数日するとあたりにウジがわいた。死んでゆく子どもたちのウジをひたすら手で振り払った。

 戦後、17歳で結婚。夫と2人で鉄くずを拾って売ったり、どぶろくを造って売ったりして必死に生きてきた。

 「外国人として日本に生きて差別もあった。しかし、それ以上に優しさをもらった。人をいたわる気持ちをなくしてはいけない。それが戦争をなくすことにつながる」。講演を終えた朴さんは、学生らの顔を見渡し、優しくほほ笑んだ。

 朴さんの父は1929年、日本の植民地だった現在の韓国・晋州から広島へ出稼ぎに来た。朴さんは広島で生まれ、被爆時、家族7人は全員無事だったが、当時のおぞましい記憶は封印した。ただ、どんなに生活に追われても、刻まれた記憶は忘れられなかった。

 体験を話すようになったきっかけは11年前、広島市の平和記念公園で、大阪から修学旅行で来た小学生に「被爆者ですか。体験したことを教えてください」と尋ねられた。子どもの真剣なまなざしに、封印を解いた。数カ月後、担任教諭から手紙が届き、子どもたちが朴さんの被爆体験を授業参観で発表し、母親たちが涙を流したと書かれていた。

 「私の話にこんな力があるのかと驚いた。大やけどをした被爆者たちに、水の一滴もあげられなかった私だけど、何かできるかもしれない」。今では年に40回以上、被爆体験を語る。韓国の若者に話すことも多い。

 最近、ショックを受けた出来事がある。中学校で体験を語った後、1人の生徒が「竹島についてどう思うか」と厳しい口調で質問してきたのだ。10年以上語り部をしてきて初めてのことだった。恐怖すら感じ、少し沈黙した後、「私は在日だから本国とは立場が違う。何も答えることができません」と言うのが精いっぱいだった。

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