対談 漂白される社会
【第14回】 2013年7月29日 開沼 博,磯部涼

ネットの陰謀論は社会を動かしたのか?
行き過ぎた被害者意識で届かない主張
【音楽ライター・磯部涼×社会学者・開沼博】

売春島や歌舞伎町といった「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、クラブ規制で注目を浴びる風営法の問題に正面からぶつかり、発信をつづける、音楽ライター・磯部涼。『漂白される社会』(ダイヤモンド社)の刊行を記念して、ニュースからはこぼれ落ちる、「漂白」される繁華街の現状を明らかにする異色対談。
第4回では、厳格化する取り締まりによって進む脱法化の現状、なくなることのない陰謀論の実態、加害者性が失われた運動の真の課題へと話は深まる。対談は全5回。

地下に潜った問題をさらに取り締まる警察

開沼 クラブのようなダンスの場が、理性ではなく情念を原動力としていて、その場所に暴力や性といった社会の周縁的なものが集まるのだとするならば、そこを警察が狙い撃ちしていることもあると。

磯部涼(いそべ・りょう)
音楽ライター。1978年、千葉県千葉市生まれ。1990年代末から商業誌への寄稿を開始し、主に、日本のマイナーな音楽の現場について執筆してきた。著作に、『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)、『プロジェクトFUKUSHIMA!2011/3.11-8.15 いま文化に何ができるか』(K&B)、『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)がある。
近年は、日本のクラブ業界においてタブー視されてきた風営法の問題解決に取り組み、同問題をテーマにした『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)と、その続編『踊ってはいけない国で、踊り続けるには』(同)の編著者を務めた。
撮影:植本一子

磯部 そうですね。ただ、警察の狙いが正しいのかどうかは別の話で、例えば、<VANITY>の摘発のトリガーは路上で騒ぐ酔客に対する苦情でしたが、実は、<VANITY>が入っていたロアビルの向かいの通り、外国人の客引きが縄張りにしているエリアのほうがより治安が悪いようにも思え、実際、ケンカのようなトラブルも日常茶飯事です。

 これは、歌舞伎町の現状にも近いものがあります。迷惑防止条例の下に風俗店の声かけを徹底的に取り締まったことによって、結局、逮捕覚悟で執拗に絡む、外国人や半グレの客引きが増え、より悪質化しましたよね。彼らは、「風俗店ではなく、飲食店なので問題がない」という言い逃れをすることが多いため、新宿区では風俗店以外も対象にした「客引きの防止に関する条例」を9月から施行予定ですが、効果があるのかどうかは疑問です。

 これまで話してきたように、問題の解決には、長期的な目標と短期的な目標の両輪で走ることが必要なわけですが、警察のやり方は後者に偏っているが故にいたちごっこを煽ってしまっているのではないでしょうか。

開沼 禁止することによってトラブルがなくなるのではなく、先鋭化した別のトラブルが生まれる構造ができてしまう。

磯部 歌舞伎町では街並を浄化するため、違法の店舗型性風俗を徹底的に摘発し、無店舗型へと誘導したことで、不過視化こそ達成したものの、従業員の女性の労働環境が悪化したという面もありますよね。

開沼 しっかりとした規制をかければ問題が解決するかというと、かえって地下化していきます。売春合法化のように、普通の規範を持った人からは理解し難いと思える議論も、そうした文脈から生まれてきています。

 にもかかわらず、規制当局は地下化を促進するようなこと、少なくとも、そう見えることを続けています。この点については、「彼らがナイーブな正義感を持っているからだ」と、「権力は愚かだフレーム」で解釈を行なって済ませてきた部分もありますが、それだけでは足りないと考えています。

 つまり、「ナイーブに見えるかもしれない方針だけれども、それによって仮に地下化が進んだとしても、その地下化すら止めるまで、徹底的に規制強化し続けてやる」という意気込みのもとで進められている方針であると。

 ただ、その方針がいかなる帰結をもたらすのかは見ものです。フリードリヒ・ハイエクは、あらゆるものを政治的な枠組みのもとでコントロールしようとする「設計主義的な方針」は、多くの共産主義国家がそうであるように、当初の目的を達成し得ずに破綻する、と指摘します。

 そうではなく、市場などが作り出した、すでにそこにある「自生的な秩序を活かす方針」の中でこそ持続的な秩序が形成されると。その意味では、「自生的な秩序」も、しらみ潰しに無効化していくことがいつまで続き、どのような社会を作るのかは興味深い。

磯部 最近の警察は、半グレ対策等に象徴されるように、地下化した問題を把握しようと躍起になっていますよね。それがどうなっていくかはまだ見えないですが。

開沼 見えないですね。そこを今から語っておくことのほうが、「権力は愚かだフレーム」で物事を語り続けるよりも建設的だと思います。

磯部 これは非常に興味深い話です。街並を浄化した後に地下さえ洗おうとする警察と、したたかに逃げ続けようとする風俗のいたちごっこはどこに行き着くのか。

シェアハウス、闇カジノ、ドラッグ…脱法化の進む社会

開沼 「規制強化と脱法のループ」は様々なところで起こっていますよね。例えば、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)でも扱ったシェアハウスの負の側面が、ここ数ヵ月、毎日新聞が繰り広げる「脱法ハウス」追求にも現れています。貧困層に向けたシェアハウスに調査が入ったら、様々な点で脱法的な居住の実態があったと。

 ただ、これを規制強化しても、そう簡単に「脱法ハウス」自体はなくなりません。そもそも、ネットカフェ難民問題以来、他に住むところがない人のニーズに応えて「住まいのあり方のイノベーション」が起こってきました。今取り沙汰されている「脱法ハウス」はその1つの形態にすぎず、これもダメとされたら、また別な形態が生まれるだけです。

磯部 <VANITY>の摘発のときも脱法クラブと書かれていました(笑)。

開沼 博(かいぬま・ひろし)
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

開沼 何でも「脱法、脱法」と言って、騒いで潰す対象にするパターンができ始めてますよね。シェアハウスにはいろいろな問題があり、それがいつか規制の対象になるだろうと運営者も認識していることは『漂白される社会』でも書いています。

 当然、別な脱法方法を用いたシェアハウスもすでに試され出しています。脱法ドラック、脱法クラブ、脱法シェアハウス…「脱法シリーズ」からは今後も目が話せません。

 脱法ドラックについて言えば、お金のない人がクロコダイルのような安くて質の悪いドラッグで廃人になってしまうような現状もあるし、脱法ハウスの場合では、そこがなくなってしまうと路頭に迷うしかない人たちにとって、闇のセーフティネットになっていることもあります。

磯部 セーフティネットとしての脱法すら許されなくなってくると。

開沼  結局、「脱法シリーズ」を漂白していくと、闇のセーフティネットすらも壊してしまい、周縁的な人たちを唯一飲み込める場所、カッコ付きの「包摂」、良いとは言い切れない包摂をなすものが消されていきます。

磯部 『漂白される社会』では、脱法ドラッグに関して、日本人はドラッグに対してアレルギーを持っているからこそ脱法側に逃げ込んでいくと書かれていましたが、僕は、すでに違う段階に入っていると思っています。とある脱法ドラッグのヘビー・ユーザーに言わせると、脱法ドラッグ業者は、これまでの、指定薬物が増えるたびに新たな近似成分を開発するという脱法方法から、今年3月の包括指定以降は、指定薬物を複数混ぜることで検出のコストを上げるという脱法方法へと戦略を変えているそうです。脱法というか、完全に違法なんですが。

 そして、化学構造をいじったり、混ぜ合わせたりといった脱法を繰り返した末に、ピュアな違法薬物では得られないような効果を獲得する。結果、脱法ドラッグを、「捕まらないならやってみよう」と試した素人が、意識障害を起こして救急搬送され新聞沙汰になるような、違法ドラッグの代替物としての段階は終わり、むしろ、「より強烈だからやる」という、脱法ドラック・アディクトが次々と生まれている。

開沼 なるほど。

磯部 ちなみに、先にその傾向があったのがアメリカなんですよね。ドラッグに対するリテラシーが高いという表現が適切かどうかはわかりませんが、アメリカでは、例えばマリファナが合法の地域もあるわけです。それでも、なぜ、脱法ドラッグに手を出すのかというと、単純な話、脱法のほうが強烈だからですよ。日本もその段階に進んでいるのではないか。

 脱法ドラッグ・アディクトの治療を終えたばかりの作家の石丸元章さんにお話を伺った際、「最初は捕まらないことが魅力的だったが、徐々に脱法ドラッグ特有の効果に魅せられていった」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 石丸さんがハマっていたのは「a-PVP」という覚醒剤の数倍の効果があると言われるもので、現在はすでに麻薬に指定。俳優の清水健太郎が7回目に捕まったのも尿検査でa-PVPが検出されたからです。彼は、つい先日も脱法ドラッグのオーバードーズで搬送されており、脱法ドラッグ・アディクトになっている可能性があります。

 つまり、違法ドラッグを潰し、続いて、脱法ドラッグを潰していった結果として生まれたのが、新たなアディクトだと。薬物犯罪は再犯率が高いと言いますが、捕まえるだけで、アディクトを治療をしないのだから当たり前です。果たして、根本的な対策を取ろうとしない警察が、地下すら浄化することは可能なんでしょうかね。

開沼 一歩引いて冷めた目で見れば、おそらく、それはそれで多くの人が満足できて、安心できる社会になっているということでもあるのでしょう。ただ、文化を語る者は、「それでいいのか?」という疑問を問い続けなければならないとも思います。

磯部 歌舞伎町の話に戻ると、先ほど、話したような客引きが多い東通りや区役所通りは治安が悪くなったとも言えるものの、中央通りは明らかに低年齢化しましたし、さくら通りに出来た<ロボットレストラン>のようなスポットのおかげで、外国人観光客も増えた。コマ劇の跡地では、それこそ、ダンス・イベントが開催されて、健全に盛り上がったりもしている。

 この傾向は、その跡地にシネコンとシティホテルが入るビルが建つことでさらに進むでしょう。文化を語る者は猥雑さこそ豊かなものとして評価しがちですけど、浄化が生む新たな展開もあるかもしれないということは忘れてはいけないと思います。

開沼 その通りですね。見方によって是か非かは変わります。そうであるが故に、この流れが簡単には止まらないということに自覚的であるべきでしょう。それに対して、磯部さんはどういう立ち位置をとっていますか?『漂白される社会』の中では、もう少し見るしかない、つまり、判断を保留しています。

磯部 僕も判断を保留するしかないのかなと思いますし、あるいはそうすることで、両義性を担保しているとも言えますよね。文化は批評家や運動家が考えるよりもしたたかで、いたちごっこというメカニズムの中でこそ発展していくという面もある。「権力による規制が文化を殺す!」というような真っ当な批判も大切ですが、それだけでは現実を描写することはできないでしょうね。

どうして偏った議論が展開されてしまうのか?

開沼 磯部さんのようなフレームで語れる人、自分自身の「正しさ」を認識しつつも、そうではない正しさもあり得ることも視野に入れようとする言葉は、どうすれば育っていくのでしょうね。

 結局、ある問題があったときに、その議論がいくら盛り上がったとしても、両義性を見られる書き手・語り手が一定量いないと、誰も調停しなくなるわけです。反対派も賛成派も、廃止派も推進派も、互いのタコツボの中で議論をし続けることになります。

 両者の構造を見えている人がいて、仕方なくその調停のポジションに身を置くことによって、議論がうまく進むことがある一方で、そうした存在が一切いないなかで、盛り上がっているようで、実質的な議論は何も進んでいないという部分もあると思うんですよね。

磯部 ええ。

開沼 例えば、オウム真理教による地下鉄サリン事件があったのが1995年。それから18年が経っています。けれども、森達也さんの『A3』(集英社)では、オウム真理教をひたすら叩いて叩いて、叩き潰してきた結果、何がわかったのかというと、何もわかってないとういことを言及されています。

 国松長官狙撃事件をはじめ、オウムに関わるあらゆる解決すべき課題が解決されない一方で、あらゆることの元凶が「麻原の頭はおかしかった、以上」という点に回収されるばかりになってしまう。

 両義性を担保する語り手をなかなか生産できないことに、磯部さん自身も悩みながら、ご自身の立場を置いているんじゃないかなと勝手に想定しているんですが、いかがですか?

磯部 風営法改正と運用レベルの改善の両輪で進むという今のスタンスも、左派的な運動の限界も、コミットしたからこそ見えてきたというのはあります。例えば、最近、クラブ・ミュージックのアーティストたちとミーティングをしているのですが、当初に話したとき、彼らは「FUCK風営法!」「FUCKバビロン!」みたいな、いかにも反権力的な意見を持っていた。

 それが、問題に深くコミットして、警察や事業者や近隣住民といった様々な人の意見を知ることで、「やっぱり、クラブ側も改めるところは改めないと……」みたいに理解が進むんですよね。彼らを見ていると、やはり、コミットするということ大事なのかなと。ただ、それで陰謀論に進んで行く人もいるからなぁ。

開沼 陰謀論に進むとは、コミットすることによって、複雑性を体感して新たな思考を始めるのではなく、少しコミットしただけで、当事者意識の権威性をまとって思考停止してしまうということですか?

磯部 まさにそうですね。

開沼 原発でも「俺は福島行ったんだ!」と、何度か足を運んだ、何人かの知り合いができたことを根拠に、ちょっと聞きかじった話を何回も使いまわしながら、「社会の裏側にあるからくりを解き明かしたんだ」とでも言わんかのごとく、酷い陰謀論に走る人は一定数います。

陰謀論者の豊かすぎる想像力

磯部 本の感想を知りたくて、書名でエゴサーチをしているんですが、例えば陰謀論系反原発派のひとたちには、開沼さんに参加してもらったことをこう見るか!と驚かされます。

開沼 何に見えているんですか?

磯部 「あいつらは原発問題から目を逸らさせるために風営法問題を取り上げているんだ」と(笑)。

開沼 すごいですね。それはいくら考えても出てこないアイディアだ。相当な陰謀、とてもクリエイティブですね(笑)。

磯部 想像力が豊かですよね。野間易通さんもそういう人たちにとってはもんじゅくんの中の人で、広告代理店と繋がっている隠れ推進派なので、「やはり、あいつらは原発問題から目を逸らさせるために(ry」みたいな。

 開沼さんと野間さんは対立とまでは言わないまでも、異なった意見を持っているわけで、その2人に参加してもらうことで幅広い意見を聞こうとしているとは考えてくれないんですよね。

 あるいは、ネトウヨも引っかかってきます。「クラブ事業者には在日が多いらしい。そんな業界についての本に野間が参加しているということは、風営法改正運動とは在日特権を守るための運動だ」とか(笑)。

開沼 それもまた、すごい想像力ですね。

磯部 彼らはどんなところにでも陰謀を見出します。それは、両義性を理解することとは真逆な行為ですよね。陰謀論とはすなわち関係妄想。複雑な現実に耐えられなくて、安易な答えを導き出しているに過ぎません。現実は彼らが思っているよりも複雑で、あるいは、単純だとしか言いようがないんですけど。

開沼 その通りですね。とはいえ、彼らはそれなりに良かれと思って、思い入れが強いが故に、そんな妄想を始めてしまうところもある。陰謀論を持ちがちな方々に「関わってくれ」と言ったほうがいいのか、関わらないでくれって言ったほうがいいのか、難しいですよね。復興支援を職とする者として、その悩みは常にありますよ。

磯部 開沼さんが社会学者の立場から考える、彼らに対する処方箋を伺いたいです。いま、社会に対する問題意識が高まっているからこそ、陰謀論者が生まれてきてしまっている面もありますよね。つまり、先ほど述べたようなコミットメントの弊害です。

開沼 繰り返しになってしまいますが、僕の処方箋は、かつては良くも悪くも共同体に包摂され、そのしがらみの中で思考をしてきた人々が個人化されてしまい、1人ひとりに目の前の不可解な事象、コントロールしきれない事象についての判断が任されてしまっている状況があって、そのなかで、突然、とてもきれいな1つの物語が提示されてしまうと、そこに少なからぬ人が吸引されてしまう状況は必ず出てくると思っています。

 これは、橋下徹現象をはじめ、ポピュリズム政治的なものが再生産されてきたことにも反映されていると思います。では、そこをどう抑えるかというと、健全な中間集団をつくることで、みんなで考えよう、定期的に、持続的に考えよう、一面しか見えておらず極端な考えを持つ人に「まあまあ」と言い合えるようにしよう、という前提をつくること。そのうえで、いろいろな意思決定や情報を摂取する方向だと思っています。

 それは、古い保守主義者が主張するような、「かつてのような規範的な家族の再構築」「国家・郷土への愛」につながるほどナイーブではありませんし、かといって、古い革新主義者が期待するような、労働組合や市民運動を盛り上げれば万事解決というようなものでもない。地域社会や業界団体・組合の悪しき部分を、世代や利害を入れ替えながら、現状に適合するようにアップデートしていくということです。それが成功するのか、ここ10年、20年の動きを見ていく必要はあると思ってます。

磯部 例えば、在特会は個人と社会を結びつけるクラウド化された運動ですが、彼らが問題を起こした仲間をフォローしないことはよく知られた話です。つまり、中間集団としては機能していない。安田浩一さんなどは、初期には関わっていたベテランの活動家がそれに呆れて次々と抜け、中間団体としてさらに弱体化すると共に、行動が暴走していると指摘しています。

加害者性を意識することが運動のスタート

開沼 そこを変えていく契機として、クラウド化された運動がもっとたくさん出てきてくればいいという指摘が、それこそ3・11以降にありました。それは1つの重要な処方箋だと僕も思います。

 しかし、現実的には、1つの物語のもとに個人が集まるという形態を考えると、どうしても社会にとって有益なものより、害のあるもの、排他性と被害者意識にまみれたもののほうが人を吸引してしまう可能性は高いでしょう。その点、どうしていけばいいと思いますか?

磯部 急進的な反原発運動も含めた、新しい社会運動の共通の課題でしょうね。そうならないために必要なのは、例えば、自分の加害者性を意識することでしょうか。クラブと風営法の問題でいうと、「踊る自由が規制されている」と被害者面するだけでなく、自分たちも地域に迷惑をかけていることに気づけるかどうか。

開沼 その通りだと思います。加害者性と、自分たちを外部として見る者の眼差しの自覚。

磯部 警察が来て、クラブを追い出されて、「こんな社会、おかしいだろう」と憤りながらポイ捨てをする。そんな自分を離れたところから見る視点を持たなくてはいけません。

開沼 例えば、キリスト教に原罪という言葉がありますが、生まれながらにして罪を背負いながら生きていくのが人間であるという物語、それはフィクションでしかないのかもしれませんが、それを人間が発明して使い続けていること、その機能は重要です。特に、原発問題にコミットしていると強く感じることでもあります。『「フクシマ」論』(青土社)は、原罪性を意識化しようという取り組みかもしれないと自分では思っています。

 今年の4月にチェルノブイリの博物館に行ってきましたが、そこの展示は、ロシア正教のシナリオに合わせて作られていることを知りました。最初は、事故の服や作業員のマネキンがあり、次に、事故の後、世界から送られてきた物資が置かれ、最後に、ボートに乗っている人形があります。チェルノブイリの近くから持ってきた子ども用の人形だそうです。

 それは、事故によっていろいろな被害を受けた人たちを象徴していて、そのボードはノアの箱船を意図していると。つまり、すべての人が背負うべき絶望的な悲劇と原罪が最後に救済されるという物語で語られていました。

磯部 なるほど。

開沼 最後にキュレーターから話を聞きました。日本では、東電が悪い、国が悪い、原子力を推進してきた人が悪いと語られていますが、「チェルノブイリの博物館に携わってき人間として。誰に責任があると思いますか?」と尋ねると、「全員だ」と答えたんですね。そう見えるような展示になっていて、ある程度、そう答えるだろうと思ったので僕も聞いた部分はありますが。

 おそらく、そうした原罪性、「お互い様」や「情けは人のためならず」と表現は何でも構いませんけど、自身の加害者性や、何かに支えられているという感覚が失われているが故に起きている対話のなさをどう乗り越えていけるかが重要だと思っています。磯部さんがおっしゃる加害者性の自覚とは、まったくその通りだと思います。

小さなことでも自分を変えていく

磯部 一方で、加害者性を自覚しすぎるのも問題かもしれませんね。結局、どっちもどっちということになって、身動きが取れなくなってしまいますから。

開沼 「どっちもどっち問題」ですね。

磯部 「確かに東電は悪い、しかし、自分たちも彼らがつくった電力を無自覚に享受してきた点で加害者である。だからこそ、これからも考え続けていかなくてはならない……」と深刻ぶって何もしないみたいな。そもそも、「自分たちにも罪があることを自覚しなければならない」というのは伝統的な左派の物言いですよね。

開沼 そうですね。

磯部 原罪というのは生まれ持って背負った、決して償えない罪という意味ですが、それよりは、生きていくなかで犯してしまった罪だと考えたほうがいいと思うんですよ。

 先ほどのクラブの例えだと、ポイ捨てをしていることを反省して、やめればいいわけで、その罪は償える。そして、同じようなことをしている人がいたら注意する。ものすごく当たり前の話をしていますけど(笑)。まずは、自分を変えること、次に他人を変えることが重要なのではないでしょうか。

開沼 なるほど。

磯部 人間は、そして、社会はより良くなるというイメージを持つことが大切だとも思います。

開沼 「どっちもどっち」で、それが悪しき相対主義になってしまわないように、絶対的なものも据えていくという話。これは非常に重要ですし、一方で、その絶対性も、どこから見るかによってまったく違ってくることがありますよね。

磯部 まぁ、原発の問題なんかは様々な要因が複雑に絡んでいるので、なかなかこれといった答えは出ないと思います。ただ、クラブと風営法の問題はもう少しシンプルです。だからこそ、自分はそれを取っ掛かりに、社会の変え方について考えてみたいと思っているんです。

真の意味で社会を動かす運動を実現するために何をすればよいのか。最終回では、流行もので終わってしまうことのない活動の姿を探る。次回更新は、8月5日(月)を予定。


【ダイヤモンド社書籍編集部からのお知らせ】

大人気連載「闇の中の社会学」が大幅に加筆され単行本に!
発売後、たちまち3刷、好評発売中です!

『漂白される社会』(著 開沼博)

売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…社会に蔑まれながら、多くの人々を魅了してもきた「あってはならぬもの」たち。彼らは今、かつての猥雑さを「漂白」され、その色を失いつつある。私たちの日常から見えなくなった、あるいは、見て見ぬふりをしている重い現実が突きつけられる。

 

ご購入はこちら⇒
[Amazon.co.jp] [紀伊國屋書店BookWeb] [楽天ブックス]

磯部涼氏の編著書、『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(以上、河出書房新社)も好評発売中です。


『漂白される社会』の第4章「ヤミ金が救済する『グレー』な生活保護受給者」が、8月1日(木)19時58分放送「木曜ミステリー京都地検の女」(テレビ朝日)第3話のストーリー制作に協力しています。ぜひ、ご覧ください!