第二章 Bグループの少年とゴールドクラッシャー
第二十九話 無礼千万
「ちょ、ちょっと亮くん!」
「何だ、恵梨花……ゆっくり動けよ、足に響くから」
周囲が静まっている中、慌てた様子で戻ってくる恵梨花に包帯が巻かれた足に目を向けた亮が注意した。
「あ、うん……じゃなくて! いくらタケちゃんが老けてるからって、『おっさん』は言い過ぎよ――もっと、普通の呼び方があるでしょ?」
恵梨花にその気はないだろうが、一番ひどいことを言ってるかもしれない。
「そうは言ってもなあ……」
だが亮は気にも留めず、悩ましげに眉を寄せると、ちらっと郷田を見やった。
「なあ、おっさん、『タケちゃん』と『おっさん』と、どっちがいいよ?」
「何でその二択なのよ!」
すかさず恵梨花が突っ込んだが、二人が話している間に呆然から立ち直りつつも麗しき幼馴染の言葉によってか、少しヘコんだ様子の郷田は律儀に――だが、唸りながら――答えた。
「……とりあえず、お前から『タケちゃん』と呼ばれるのは御免だ」
「……だそうだ。『おっさん』でいいらしいぜ、恵梨花」
「いいなんて言ってないでしょ! だから、何でその二択になるのよ!」
したり顔で振り向く亮に、またも恵梨花の突っ込みが入ると、亮はハっとなり額にパチンと手を当てて悩ましげに首を振った。
「俺としたことが……」
「そう、ちゃんと……」
頷きながら恵梨花が「郷田さんや先輩」と言いかけたところで
「シャイアンを忘れてたぜ」
「違う!」
そんな二人の漫才めいたやり取りに、呆気にとられていた部員達が堪らないといった感じで、何名か吹きだした。
しかし、話の中心が自分達の主将ということもあるせいか、吹きだしてしまった男子部員はすぐ決まり悪げに居住まいを正すが、女子部員は笑うまいとしながらも、クスクスとしたものが漏れている。
もちろん、亮の無礼な態度にいらつきを露わにしている者もいる。
だが、そんな中でも、亮の雰囲気が先ほどまでと大きく変わっているのに気付いたのが何名かいるようで、そういった者は揃って首を傾げている。
眼鏡を外した亮の素顔を見て、ヒソヒソと囁き合いながら顔を赤らめている女子部員も数名いる。
しかし、そんな周囲の視線など、どこへやら。
「たしかに『タケちゃん』は『シャイアン』から来てるところもあるけど……」
恵梨花が亮に言い募っているところで、二人の漫才の中心人物たる郷田がため息を吐いて割って入った。
「ハナちゃん、もういい」
「……いいの?」
亮のダサい眼鏡越しに恵梨花が眉を寄せる。
「ああ、それよりも……」
郷田は頷きながら亮と目を合わせた。
「勝負だと? ……剣道でか?」
訝しげに発された声に亮は肩を竦める。
「ああ、いいだろ? さっきはおっさんが俺に勝負をもちかけて、俺が受けた。そして今度は俺がおっさんに勝負をもちかける――もちろん、受けるよな?」
勝負を受けても、それ以上は郷田の要求に応えなかった亮が挑戦的な笑みを浮かべて飄々と言うと、郷田はすっと目を細めた。
「お前からもちかけるには……今度は本気でやるんだな?」
「ああ」
重々しい郷田の問いに対して亮の返事は実に軽い。
そのせいだけでも無いだろうが、郷田は不機嫌そうに眉間に皺を刻む。
「わかってて言ってるんだろうな――その台詞はさっき、本気を出したと言ったことを嘘だと認めることになることを」
「ああ、ありゃ嘘だ」
あっけらかんと嘘だと認めた亮に、郷田は眉間の皺をますます深くし、後ろにいた恵梨花は呆れ目になる。
「そう機嫌悪くすんなよ、おっさん……大体、俺は殆ど騙されるような形で、ここまで連れてこられたんじゃねえか。勝負を断るのも出来ないような条件まで付きつけられてな――そんな俺にやる気が出ず、本気を出さなかったからといって、怒られる筋合いねえぞ」
「……むう……」
郷田もそう言われて自分が強引だったことに気付いたのか、反論せずに押し黙った。
そこで遠巻きに見ている部員達が囁き合う。
「聞いたか? さっき本気出してないとか」
「よくまあ堂々と、そんな負け惜しみじみたことが言えるもんだな」
「本当にな……大体、本気出したからといって、主将に勝てる訳ないだろ」
「そうそう。何考えてんだ、あいつ?」
「それより、さっきからあいつの態度、生意気じゃね?」
「本当ですよね、三年の主将に向かって……あの人、二年ですよね?」
「ああ……、俺が勝負してやろうかな?」
「……それ勝負じゃなく、お前があいつを打ちたいだけだろ?」
「そうとも言うかもしれんな」
「それは流石に不味いですよ、先輩」
それを皮切りに彼らは、声を弱めながらも小さく笑い合った。
だが、最後の物騒な考えまでの彼らの言い分はもっともである。
亮の無礼な態度は言わずもがな。
剣道をやっているように見えない人間に、現在、剣道部で主将を張っている人間に剣道で勝てる訳がない。
それは常識に近いほどの彼らの認識である。
さきほどの亮と郷田の勝負で、亮が負けたことを恥だと思う部員はいない。
なぜなら、それが当たり前だからだ。
なので、先の勝負に於いて本気を出してなかったと聞いても、それは勝敗の結果には関係のないことで、言った本人を恥ずかしいと思うぐらいだ。
彼らの囁き合いは亮にはハッキリ聞こえていたが、郷田にはどうだったか。
ハッキリ聞こえなくとも、どんなことを言ったかは空気で感じ取ったようだ。一瞬だけ彼らに目を向けるも、すぐ亮に向き直った。
「さっきから思っていたが……それが地か?」
「何がだ?」
「態度や雰囲気が全然違うだろう……さっきまでは敬語を使ってたというのに」
「……まあな。別にいいだろう? 誰だって、猫被りぐらいするもんだ」
「そうは言うが、お前のそれは――」
郷田は言いかけたところで、肩を竦めて不敵な笑みを浮かべる亮と、その全身をざっと流し見た。
そこには、数日前に郷田が梓に評した「覇気の無い男」の姿は無く、溢れんばかりの覇気に満ちた男の姿があった。
郷田は何を思ったのか、言いかけた言葉を発するのをやめ、代わりにこう問いかけた。
「――今度は本気でやるんだな?」
「ああ」
ちょっとだけどな、と心の中で付け加えながら亮が返すと、郷田は頷いた。
「いいだろう、その勝負受けよう。なら……」
「ちょっと待て、おっさん」
郷田が先ほど審判を務めてくれた女子の主将に目を向け、何かを言いかけたところで、亮が遮った。
「……何だ?」
「どうせなら、賭けしようぜ」
「……賭けだと?」
「ああ、賭け」
これを聞いた周囲の部員達は訝しんだり、目を丸くしたりと驚きを露わにしてざわめいた。
それもそのはず、ここで亮が賭けを持ちかけるメリットなど無いようなものだからだ。
勝ち目の無い勝負に賭けを持ち込んだところで、負けるに決まっているだろう亮が損をするだけだ。
これは主将の強さを知っている彼らからしたら、未来とは言え事実と相違ない。
それなのに、勝ち目の弱い方が賭けを持ち込んだ。おかしいと考えて当然のことである。
そんな彼らの心境を代弁するように郷田が口を開いた。
「何故だ……?」
こう問う辺り、郷田自身も負けるなど微塵も思っていないのだろう。それも当然のことかもしれないが。
「何でかって聞かれると、その方が燃えるクチでな、やる気も出る」
「ふむ……」
肩を竦めて返す亮に郷田は少し納得の色を見せる。
自分を追い込み、そこから力を出そうとしているのかと考えたのだ。
「賭けるとして……、何を賭ける気だ?」
続いて出た郷田の問いに、亮はおもむろに頷いた。
「ああ……別に変なことじゃない。もし、仮に、仮にだ。俺が勝った場合、この武道場にいる全員が今日、ここで起こったこと、これから起きることを一切、誰にも話さないっていうのはどうだ?」
「……何だ、それは?」
郷田の厳めしい顔が呆れ色一色に染まる。周囲の部員達も似たりよったりだ。
それも無理のないことだろう。そんな変なことを賭けの条件にする人間など、聞いたことがない。
しかし、言った本人だけが飄々としているその後ろでは、恵梨花が口元を引き攣らせている。
似たようなことを思い出したことと、亮がこんな場所で完全に素になり、自ら勝負を持ちかけた理由がわかったためだろう。
「おっさんも知ってるだろうが、最近の俺は何かと噂になってな……それで、色々と窮屈な思いをしたもんだ。だから、今日ここで俺がおっさんに何本も勝負をしては負けたなんて話が、来週から新しい噂として流れるのは正直なところありがたくない」
亮がこんな賭けの条件を出した理由について説明すると、不思議なことが起こった。
自分の格好悪い話を噂として流して欲しくないといった、何とも情けないこの言い分を聞いた男子部員達が、居心地悪そうに身じろぎしたのだ。
先ほどまでのことを考えたら、嘲笑の一つは浮かんでもおかしくないだろうに。
亮は敏感にそれを感じ取っていたが、内心で首を傾げただけで、何も言わなかった。
そしてほとんどの男子部員達と違って、郷田は特に変わりなく亮の言い分を聞き終えると、訝しげに眉をひそめた。
「十分に変だと思うが……」
「そう不思議がるなよ、おっさん――それに、この賭けは『仮に』おっさんが負けたとしても、そっちの方にこそ、メリットがあるかもしれないぜ?」
「……何?」
亮は僅かに口の端を吊り上げると、自身の後方に振り返った。
「梓」
「何?」
いきなり呼ばれたにも関わらず、驚くことなく声を返したのは流石だろう。
亮が賭けを切り出したところで、前もって聞いていた『話』が来ると予期していたのかもしれない。
「生徒会から見たらどうなるよ――剣道は素人だと言い張っている、ごく普通の男子生徒を剣道部の主将が武道場に連れて行って、部員達の前で何度も打ち据える――ちなみに部員は誰ひとり、それを止めることはしなかった」
「ごく普通の」が実に白々しい感があるが、学校での亮の態度としてはさして間違っていない。
それよりも亮のこの言い分を聞いた剣道部員の何名かが、何かに気づいたようにハッとなって息を呑んだ。
梓も同じことに気づいただろう、それが証拠に眉を寄せて亮を見返している。
しかし、頷き返す亮に諦めるようにため息を吐いた。
「……第一に合意かどうかに依るけど……客観的に見ると、剣道部での暴行事件と見なせます。職員室への報告次第では……剣道部は、軽くて一ヶ月の部活動停止、重くて半年間の対外試合の禁止となるでしょう」
生徒会役員としての意識を押し出して来たのか、梓の口調は事務的だった。
亮の意図を完全に理解して送り出された梓のパスを受け取った亮は郷田に向き直ると、ニヤリと笑って見せた。
「ああ言ってるぜ、おっさん?」
「……お前、俺達を脅す気か……第一、合意だっただろう」
郷田は怒りを押し殺したような声で唸りながら亮を睨みつけるも、亮はどこ吹く風と受け流すように肩を竦めて見せた。
「脅す気なんてねえよ、だからこの賭けを申し出た……それに、俺が合意したのは、一本の勝負――おっさんが、そう言っただろう?」
郷田は確かに一本の勝負と申し出た。彼もそのことを思い出したのだろう、ピクリと眉を動かして口を開いた。
「お前がそう言い張るのなら……鈴木さんの言う通りになるかもしれん――だが、そうなるのなら俺が責任をとってこの部を去る」
ここで慌てるのは当然の如く、他の部員達だ。
ふざけるなと亮に怒鳴る者、何言ってるんですかと主将を宥める者と別れ、主将と幼馴染の恵梨花も慌てた。
「ちょっと、亮くん!」
部員達の声が飛び交う中での、焦った恵梨花の声は亮以外には届かなかったが、聞こえた亮は恵梨花に向き直ると、顔を近づけて何言か耳打ちした。
すると恵梨花は真剣味を帯びた目を亮と合わせ、亮も同じだけ真剣な顔で頷いて返した。
それを見た恵梨花も頷き返すと、亮は悪戯っぽく笑って顎を梓の方へと向けた。
再び頷いた恵梨花は、黙って梓の元へと歩を進める。
それを見届けた亮は怒声が飛び交う武道場の中、郷田と目を合わせると、すっと片手を挙げた。
そんな亮の動きに気づいた部員が何名か訝しげに口を閉じるが、それでもまだ騒がしい。
そこで、主将も片手を挙げると、徐々に武道場内が静まった。
静寂が降りたところで、亮がゆっくりと口を開く。
「さっきも言ったが、俺はそっちを脅す気は無い。おっさんに部を辞めてもらいたい訳でもないし、部の活動を停止させたい訳でもない――こいつは本当だ。俺が言いたいのは、今日のことを黙っていて得するのは俺だけでなく、剣道部も、ということだけだ」
この言葉は亮にとって本当に本心である。
例え、部活動が停止になったり、郷田が主将を辞めた場合、その渦中にいる中心人物は亮で、またひどい噂が流れる。
そのような事態は本当に御免だというのが亮の心境だ。
郷田にはそんなこと知る由もないが、暫し黙考すると、ゆっくり息を吐いて問いかけた。
「それを信じたとして……ならば、俺が勝った場合は? 俺が負けたのなら、今日のことは口外しない、だったろう」
「そっちの方が可能性は高いだろうが……俺が負けた場合は、俺が進んでおっさんとの勝負を何本も持ちかけ、おっさんは仕方なく応えてやっとたとでも言えばいい……梓が証人になる」
頷いて亮が答えると、梓は人を勝手に……という風に眉をしかめるが、部員達は安心するようにほっと一息吐いた。
郷田は亮から目を離し梓と目を合わせると、梓は頷き返して見せた。
それで郷田も安心したのか、顔から険しさが薄れる。
「たしかに……、お前の言う通り、今日のことを黙っていた方がこちら側にはいいのかもしれん」
「だろ?」
「だが、俺が負けた場合のことは俺の一存では決められん……みんな、構わないか?」
郷田が道場内を見渡すように部員全員に問いかけると、部員達は戸惑い気味に顔を見合わせる。
それも無理はなく、郷田の問いかけは、あくまでも郷田が負けた場合のことである。
主将が負けるなんて鼻から思ってもない部員達からしたら、そんな場合のことを考える必要があるのだろうかと、戸惑ってしまったのだ。
そこで一人の女の子の声が元気よく響いた。
「はいはーい! あたしは構いませんよー! みんなもいいよねー? 先輩もいいですよねー?」
手を挙げながら賛同を求める明るい声に女子部員達が躊躇い勝ちに頷き始める。
次に響いたのは、男子部員のもので、はっきりとした声だった。
「俺もいいですよ、お前らもいいよな? 先輩も別に構いませんよね?」
その男子部員は何故か少し顔が引き攣っていたが、同期や後輩、先輩へと賛同を求めた。
それを皮切りに男子部員達も、思わずといった感じで頷く。
全員が合意したのを確認した郷田は小さく頷き、対して亮は声を立てずにくっくと笑っていた。
「何だか、悪事に加担している気分になってきたわ……」
亮にとって、とても都合のいい賭けが成立するのを後ろで見ていた梓が、疲れたような声でぼやくと、恵梨花が真剣な顔で首を振った。
「梓にそれを言わせるなんて流石、亮くん……」
「……恵梨花、それはちょっと、ひどいんじゃない?」
梓が少し拗ねたような声を出すと、恵梨花がクスリと笑った。
「まあ、気にしない、気にしない……それに、加担してると言ったら……、どちらかと言うと、あの二人の方じゃない?」
「……確かに、そうね」
頷く梓と恵梨花が目を向けた先には、先ほど率先して同意を求めた男女の二人。
「千秋と神林くん……、彼、あの二人に合図とか送ってなかったよね?」
梓が訊くと、恵梨花は小首を傾げた。
「わかんない……、後ろ姿だったし」
「それもそうね……さっき、彼、何て言ったの?」
「何?」
「恵梨花に耳打ちしたでしょ?」
「ああ……」
すると恵梨花は、顔を少し赤らめて小声で囁いた。
「『俺を信じて黙って見てな』って」
「……ふーん」
この時の梓の「ふーん」は「気障な男ねえ……」と言っているかのようだった。
「ちょっといいか、おっさん」
内心で大きくガッツポーズをとっていた亮だが、それは一切、顔に出さず呼び掛けると、郷田は眉を寄せて問い返した。
「……何だ?」
「気付いてなかったら言うが……、この賭け、受けるだけでそちらにメリットがあるが、俺にとってはそうでもない」
「……たしかに、そうかもしれんな」
亮の言葉に郷田は少し考えて頷いた。
この賭けは亮が勝った場合、亮にとって最大級の賞品が待っているが、客観的に見た場合、それは今日、ここで起こったことを口外しないという、只、それだけのことなのだ。
対して、剣道部にとっても、今日のことが問題にならないという都合がいいことでもある。その上、亮が剣道部の主将に勝ったなんていう、剣道部にとって不名誉な話――部員達は頭から考えていない――が流れることもない。
そして、亮が負けた場合だが、これは亮が賭けを持ち込む以前の状況に戻り、且つ、剣道部にとって都合のいい話に脚色――と言うほどでもないが――されて噂が流れてしまうもの。
剣道部にとって、郷田が負けても特に問題の無い賭けであり、亮が負けた場合は客観的に見ても、それなりにキツいものがある。
「だから、もう一つ賞品を増やしたい」
言いながら亮が人差し指を立てて見せると、部員達から呆れ純度100%の目が亮に向かう。
「……何だ」
眉間の皺を深くしながら、郷田が問うと亮は「そうさな……」と呟き、武道場内に掛けてある時計に目を向けた。
時刻が十六時三十分を指しているのを確認した亮は、少し黙考すると小さく頷いた。
「『仮に』俺が勝った場合だが……おっさんは俺の言うことを何でも、十九時まで聞く……ってのは、どうだ?」
亮が言い終えると、一瞬、武道場内が静まり……、爆発した。
「お前、さっきから何なんだ!?」「勝てるとでも、思ってんのか!?」「いい加減にしねえと、俺が相手するぞ!」などと、男子部員達から怒号が飛び交い、女子部員も流石にいい顔をしなかった。
亮はそれら全ての怒号と視線を受け流して、郷田と目を合わせている。
すると郷田は何かに耐えるように深く息を吐くと、また片手を挙げ、暴れそうな部員達を静かにさせた。
「お前が、そう言うのなら受けてやろう。だが……」
「だが?」
亮が問い掛けると、郷田は大きく息を吸って吐き、亮を睨みつけると、怒りを押し殺したような声を出した。
「だが、俺が勝った場合には、お前には剣道部に入ってもらう」
これを聞いた亮は一瞬、呆けた顔になった。
「俺が剣道部に……?」
亮のこの問いには、部員達も同じような心境らしい。
何故? といった顔で郷田を見ている。
そんな中、郷田は亮を睨みつけたまま言った。
「お前のその生意気な態度、武道と共に徹底的に鍛え直してやろう」
この郷田の言に、男子部員達は揃ってニヤリとした。
目の前の生意気な男を練習で好きなだけ、イタぶれると考えたのだろう。
しかし、武道場内を満たしていた怒りの熱気が冷めゆく中、ぶはっと誰かが吹きだすような音が聞こえた。
郷田は厳めしい顔をそのままに、その音が聞こえた方へと向ける。
「どうした、成瀬」
そこにはお腹を抱えて蹲っている成瀬千秋がいた。
千秋は顔を伏せたまま肩を震わせ、弱々しく片手を上げた。
「な、何でも、ない、です……フッフ……ちょっと、お、お腹が……い、痛くなって……!!」
震える声でそう言うと、女子部員が首を傾げながら「大丈夫?」と気遣わしげな声を出すと、千秋は尚も顔を伏せたまま、「すぐ、大丈夫になるから!」と急いで答えた。
そんな様子に郷田は首を傾げながらも、大事ないと考えたのか、亮に向き直った。
すると、その亮は何かに耐えるように両目をこれでもかと強く閉じていた。
「どうした、お前まで……賭けをやめたくなったか?」
郷田が問い掛けると、亮はゆっくりと首を振った。横に。
そんな亮の様子に郷田は一瞬、不思議そうな目になるも、すぐきつい目つきに変えた。
「勝負だが……三本制とする……かまわないな?」
亮は未だ両目を閉じたまま、ゆっくりと息を吐いて頷き、それから両目を開けるとそれを郷田と合わせた。
「いいぜ、それで……それと、ちょっと条件を」
「またか……、何だ?」
郷田が呆れを表すように片眉を吊り上げると、亮は苦笑しながら首を振った。
「いや、変なことじゃない……、何度も言うが、俺は剣道は素人でな……」
亮の言葉は途中だが、そこまで聞いた部員達は呆れや苛立ちといった目を亮に向ける。
しかし、そんな中、何か吹きだすのを堪えるのを失敗したような、そんなくぐもった音が二つ響いた。
「……成瀬、本当に大丈夫なのか? それと、神林、お前もどうした」
変な音の出どころは郷田が言ったように、未だ蹲ったままの千秋と、何かに堪えているかのように難しい顔をした神林だった。
千秋は片手を振って「大丈夫です」と言っているかのような合図をし、神林は難しい顔のまま「な、何でもありません!」と震える声で返した。
「でだ、おっさん」
何事もなかったように続きを切り出す亮に、郷田は首を傾げつつ改めて向き直る。
「俺は剣道は素人だからな、細かいルールは知らねえ……だから、この勝負、細かいルールは抜きにしてやりたい」
「……それはもっともな話だな。だが、具体的には?」
「ああ、打っていいのが面・胴・小手・突き、ぐらいなのは知っているし、攻撃も防御も竹刀でしかしない、それは守る。……何か、この構えでこの攻撃をしてはダメだとか、そういった細かいルールがあっただろ? それを抜きにしてもらいたい」
「……ふむ、いいだろう……もう、何もないな?」
「ああ、ない」
勝負の条件について郷田が最後の確認をとると亮は頷き、郷田も頷き返した。
「……亮くん、何考えてるんだろう?」
「……さあ、悪いようにはしない、って言ってたから、黙って見てたけど……」
恵梨花と梓が二人揃って小首を傾げている。
その後ろでは明が顎に手を添えて黙考し、その隣にいる咲は眠そうに「ふあ」とあくびをしている。
「さっきの千秋と神林くんだけど……」
恵梨花が呟くと、梓が尋ねた。
「どう見えた?」
「……笑うのを堪えてた、よね?」
「やっぱり、恵梨花にもそう見えた?」
「うん。笑い上戸の千秋にしては我慢してた……よね?」
「あんまり我慢し切れてなかったみたいだったけど……」
二人の顔に苦笑いが浮かぶ。
「でも、何で、あそこで笑いかけたのかな?」
恵梨花が小首を傾げると、梓は少し考えて首を振った。
「さあ……。ちょっと聞くけど、恵梨花はどっちに勝ってもらいたいと思ってるの? 彼氏と幼馴染が勝負するけど」
この問いに恵梨花は少し考えてから答えた。
「勝つって言うより、どっちにも負けてもらいたくないって気持ちかな……、けど……」
「……けど?」
促す梓に恵梨花は、はにかむように微笑んだ。
「亮くんの、格好いいところ見たいかな」
その答えには梓だけでなく、後ろで聞いていた明も苦笑を漏らすしかできなかった。
そこで亮のいる方へと目を向けた明が「あ」と呟くと、
「ちょっと、待ってください!」
と、誰かが焦った声色と共に手を上げていた。
「……神林くん? 」
不思議そうに恵梨花が名前を呟くと、梓は「静かに」と小さな声で囁き、恵梨花はおとなしく口を閉じた。
「何だ、神林」
郷田が振り向いた先にいる神林は、少し口元を引き攣らせている。
「え、えっと、ですね、主将……」
神林は郷田の方を向いているが、チラチラと別の方向に目を向けている。
恵梨花と梓が遠目ながらも神林の視線を追うと、そこにいるのはやはりというか、亮だ。
「大会近いですから、くれぐれも、くれぐれも! 怪我はしないでください!」
「……もちろん、そのつもりだ」
未だチラチラと亮に目を向け、余りにも必死な様子の神林に、郷田が訝しみながら答えるが、尚も神林は言い募る。
「えっと……何と言うか、お互い加減を間違えず、絶対! 絶対に! 怪我が無いようにしてください!」
「……怪我などしないし、俺もさせるような真似はせん」
郷田は若干、うんざりしたように見える。
その横にいる亮も少しうんざりしたような顔だが、一瞬だけ神林と目を合わせ、ほんの少しだけ頷いて見せた。
すると、神林はあからさまにほっとした顔になって、後ろに引っ込んだ。
「今のって……」
「ええ……」
「神林くん、亮くんに言ってたよね……?」
「あたしにもそう見えたわ」
「亮くん、頷いてたよね」
「そう見えたわ」
「「……」」
恵梨花と梓は何とも言えない顔で互いを見合わせた。
◇◆◇◆◇◆◇
郷田に防具をつけろと言われた亮は非常に嫌そうな顔をしたが、またも防具をつける手伝いをしに来てくれた古橋花澄――女子の主将――が前にくると、その顔を引っ込め、諦めのため息を吐きながら面と防具をつけた。
「何考えてるのかわからないけど、まあ、気合出して頑張りなさい」と古橋に励まされた亮は苦笑しつつ、部員達が周囲を座って(三人娘と明もちゃっかりと)見守る中央で、郷田と向かい合った。
先ほどの試合の時よりも二人の間には緊迫した空気が流れるが、素人だと言い張る亮なので先ほどと同じく蹲踞もとらず、立ったまま試合を始めることに。
その代わり審判である古橋の「構え」の後に両者が構え、その後に「始め」で試合を始めるといった郷田の説明に、亮に異論などなく黙って頷いた。
「構えて!」
古橋が力強い声を上げると、郷田が正眼の構えをとる……が、
「構えないか!」
片手一本で竹刀をもち、ダラリとそれを下げている亮に郷田が叫んだ。
「細かいルールは抜きって言ったろ……、俺はこれでいい」
肩を竦めて軽い調子で返す亮に、郷田は一瞬唸るも、「いいの?」と尋ねる古橋に郷田は頷いて返した。
すると、古橋はもう一方に躊躇いがちな目を向けるも、亮が頷いて返すと、彼女は諦めるように一息吐き、表情を改めてまた力強い声を響かせた。
「始め!」
それは古橋が言い終わった後なのか、それか言っている途中なのか、誰にも判別がつかない、そんなタイミング――そんなタイミングに亮は動いた。
古橋が声を出したすぐ後には、亮は一瞬と言っていい短い時間で、郷田との距離を一足で詰め、いつの間にか振り上げた竹刀を郷田の面に強かに打ち据えていた。
バン! と心地いい音が響いて、郷田が膝から崩れ落ちる。
「……は?」
と、誰かが呆然と呟いた。
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