特集ワイド:飯島参与訪朝、破格の待遇 幼なじみ音楽家、故金総書記のお気に入り
毎日新聞 2013年05月29日 東京夕刊
「金総書記にお目にかかれるのは光栄中の光栄。リ氏の場合、ある歌がからんでいたからです」。そう証言するのは平壌の内情に通じた在日朝鮮人。「94年の金日成(キムイルソン)主席の死去を受け、指導部は『金日成将軍の歌』に並ぶ『金正日将軍の歌』を募集しました。国歌に準じる歌です。その最終選考に残ったのがリ氏の作品でした。ところが、(軍事優先の)先軍時代にふさわしくするため、軍所属の作曲家の作品に決まり、リ氏の作品は幻となりました」。その歌が発表されたのは97年2月15日、金総書記の誕生日前夜の公演だった。それに先立つリ氏との異例の面談は、落選の労をねぎらうためだった可能性がある。
エピソードはさらに因縁めく。人民軍の内部資料「軍人生活」(02年10月号)には「金正日将軍の歌」が生まれる過程で金総書記夫人「尊敬するオモニム(お母さま)」が影響を及ぼした、とある。万寿台芸術団の踊り子だった高英姫氏のことだが、実名は伏せてある。夫人は「歌などいらぬ」としきりに固辞していた夫をなだめ、こう述べたとされる。「将軍さまの頌歌(しょうか)は銃から生まれなければなりません」。夫人にとってリ氏は同じ帰国者で、芸術の世界の先輩になる。知らない間柄ではないはずで、不本意ながら、軍バージョンの歌を推さざるを得なかったのかもしれない。また、リ氏の親族は朝鮮総連の地方組織の幹部でもあるらしい。
かつて飯島氏はスポーツニッポンのコラム「飯島勲 裏を読む先を視(み)る」(08年5月3日)でこう書いた。
<多くの在日朝鮮人が日本で暮らしている。本国ともよく連絡を取り合っていると聞く。その声によって本国が動くこともあるという。あの人たちの理解なくして拉致問題が進展するとは思えない。彼ら彼女らと融和し、拉致問題を理解してもらって「被害者や家族に同情する」「われわれも支持する」と思ってもらうことが解決への一歩だと思うのだ。(略)「内政も外交」と言われる。議員が平壌を訪れるばかりが外交ではない。在日朝鮮人に対する内政が日朝国交正常化への最高の外交だと私は考えている>