これ、とても大切な視点なのでご共有。若者がつまずくポイントです。
努力と成果は相関しない
成績査定における「努力と成果の相関」は、教育の場を成り立たせるための必須の条件の一つです。ところが、就活において、学生たちははじめて「努力と成果が相関しない」という経験に遭遇します。
(中略)就活においては、同期の学生たちから見て「どうしてあの人が採用されたのか」わからない人が採用され、「落とされるはずのない人」が落とされます。就活においてはじめて学生たちは、どういう基準で採否の決定がなされているのかが受験者には開示されない選抜試験というものを経験することになります。
「そういうもの」が存在する、ということを彼らはこれまでの二十年間考えたこともなかったでしょう。でも、もちろん世の中にはそういうものがあります。
先日対談させていただいた青山学院大学の小林一郎先生が、「『頑張っているのにうまくいかない、耐えられない』といって辞める新卒社員がいる」という話を漏らしていました。辞めていく若者たちも、同様に「頑張ればうまくいく」という、「努力と成果が比例する」価値観のなかに生きているのでしょう。
ぼく自身、こういう不安定な商売をしていて痛感しておりますが、努力すればうまくいくだなんて、幻想もいいところです。世の中にはどうしようもない「運」の要素や、「市場環境の変化」という外部要因が存在します。
多くの場合、努力は高い成果の前提ではありますが、努力さえすればうまくいくわけではありません。
「努力=成果」なのではなく、「努力+アルファ=成果」なのです。この「+アルファ」の部分は、自分ではほとんどコントロールできない、未知のパラメータだと思った方がいいでしょう。
就活生が「お祈り」されて凹んでしまうのも、少なからず、失敗を自分の努力と結びつけているからでしょう。
一方で、「就活なんて、しょせん時の運だ」と割り切ってしまえる人は、「お祈り」のダメージは軽減できると思われます。実際問題「時の運」なので、後者の方がより正しく、精神的にも健全な理解です。
身近なところでたとえれば、これは「努力すれば、片思いをしているあの人と付き合える」というのが幻想であることと似ています。まぁ、確かに頑張れば付き合えるかもしれませんが、努力しても覆せない何かも間違いなく存在します。
青春時代、ことごとくフラれまくってきたぼくからすると、恋愛なんてものも「時の運」です。人生で唯一の彼女となってくれた妻とは、特段の努力をせずに付き合うことができましたし、今も幸せにやっております。…と、のろけが入りましたが、努力しないでも付き合えることもあるのです。
就活はもちろん、社会に出たあとも、努力と成果は比例しません。確かに努力は成功の「前提条件」であることは多いですが、それですらも、なんら決定的なことではありません。ときには努力せずにうまくいくこともあるでしょう。
社会では「徹夜して完ぺきにテスト範囲を理解したけど、なぜかテストが0点だった」ということもあれば、「まったく知らない学問領域で、何の勉強もしていないけれど、なぜかテストが100点だった」ということもありえます。
就活なり仕事をするときは、そういう不確実性を受け入れつつ、失敗を恐れず試行回数を増やしていくことが大切です。
就活・仕事で苦しんでいる方がいたら、お気軽にメールでもください。多摩市まで来ていただければ、雑談しますよ。多少は前向きな?刺激を与えられるかもしれません。
nubonba@gmail.com
内田樹先生の教育・社会論。どの本も面白いですが、これも名著です。おすすめ。