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2012-09-13

古地図散歩 江戸城外堀を歩く!

9月9日に行われた「古地図散歩・江戸城外堀を歩く!」

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新橋の北で西へと約90度曲がる外堀跡だが、ここからはビルの建ち並ぶオフィス街となる。そんな中で古地図散歩の24人の一団は・・・


石垣捜索隊となった!


とにかく新橋から赤坂にかけては、近代的な市街地に何気なく江戸城外堀の石垣が残っていたり、石垣に使われていた石が置かれていたりするのだ。それらを探しつつ、外堀の跡をたどっていくと・・・


植え込みの中に


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これが石垣に使われていた証拠

大名家の刻印と矢穴


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ビルの谷間にも


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文部科学省の前


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三井ビルディングの前


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首相官邸


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石垣の石が転用されていたり、工事で発掘された石を復元したり、昔のまま残っていたりと、その態様は様々なれど、今はなき外堀の痕跡が町中にこれだけ多く残っていることには、参加者のみなさんも驚いていた。


赤坂からは少し寄り道をしてみる。江戸末期の地図に勝麟太郎と書かれた場所があるのだ。勝麟太郎とは言わずと知れた勝海舟のこと。彼は赤坂に長く住み、幕末から明治元年にかけて住んでいた場所が江戸時代の地図に記載されているのだ。


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ここが勝海舟が明治元年まで住んでいた場所。現在はマンションになっている。残念ながら、このマンションの何号室に住んでいたのかについては、事前に管理組合に問い合わせておかなかったのでわからない。



このマンションの裏にある氷川神社にお詣りし、その後もう1ヶ所の勝海舟旧居跡へと向かった。


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勝海舟は明治元年まで先ほどのマンションのある場所に住んでいたが、明治維新によって元将軍の徳川慶喜が静岡に引きこもったとき、これに従って勝海舟も静岡に転居した。しかし、明治政府は勝海舟の登用を決め、海舟を東京に呼び戻した。その後海舟が没するまで住んでいたのが、この碑のある場所だった。「氷川清話」も海舟がこの場所に住んでいたころの談話を集めたものである。


山王日枝神社と地下鉄赤坂見附駅の前を過ぎると、外堀跡は右へとカーブする。そのカーブの先に見えてきたものは・・・


巨大な石垣!


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これは江戸城外堀の門の1つ、赤坂門の石垣の一部が現存しているものである。江戸城の門は、その櫓の上から敵を見付けるという意味で「見附」とも呼ばれていた。つまりこの石垣が残っている赤坂門が、「赤坂見附」の駅名の由来となったのである。


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赤坂見附の石垣前で記念撮影。こんなに大勢いたのか・・・。それにしても人数の多さに負けないくらい石垣は大きい。


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ここからは今も水をたたえている堀に沿って進む。ぐるりと堀端を回り、着いたところは喰違見附であった。江戸時代、ここには石垣を供えた立派な門はなく、冠木門が設置されているだけであった。


喰違見附から道路を挟んだ反対側には、紀州家屋敷の門が残っている。


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明治初期、この辺りは付近の大名屋敷は明治政府が接収し、一部は宮家の住宅に、一部は官用地となっていた。そのため住む人もなく通行人もほとんどおらず、閑散とした場所で会った。そんなところだが、先ほど門があった紀州家屋敷は赤坂離宮となったため、政府要人の通行だけはときどきあった。そのような場所だったために、ここでは暗殺事件が2件起きている。


まず明治7年の岩倉具視暗殺未遂事件。500円の男として名高い岩倉具視が、赤坂離宮に向かう途中の喰違見附上で襲撃されたが、岩倉が堀に飛び込んで事なきを得た事件である。

もう1件は明治11年の大久保利通暗殺事件。喰違見附の内側にある紀尾井坂で、馬車で赤坂離宮に向かっていた大久保利通が襲撃され、御者とともに殺害された事件である。


喰違見附から先は、江戸城外堀内側にあった土塁の上を歩いて行く。


お!

みんなが一方を注視している!


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いったい何が見えるんだ?!


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見えていたのは夕陽に映える迎賓館



こうして土塁の上を歩いていくと、四ッ谷駅前に出た。ここにも四谷門(四谷見附)の大きな石垣が残っている。


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今回はここで終了である。このつづきは、10月14日の「古地図散歩・江戸城外堀を歩く!後編」で行われる。後編だけの参加もOK!前日まで募集中である。

連絡先 散歩かふぇちゃらぽこ 03-6382-7371


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ちひゃーちひゃー 2013/02/01 15:16

ちひゃーちひゃー 2013/02/01 15:16

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