A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社から歩いて3-4分の距離にある昭和館(東京都千代田区)。日本政府が「戦中、戦後の国民が味わった苦痛を後の世代に伝える」ため、1999年に開館した7階建ての施設だ。
昭和館の7階にある「家族との別れ」と題した展示の中央には「尽忠報国」と書かれた日章旗が置かれていた。展示された兵士の遺書は「天皇陛下万歳」という言葉で結ばれていた。兵士の無事の帰還を願う旗も展示されていた。1000人の女性が1枚の布に糸を縫い付けて結び目を作り、お守りとして兵士に贈った「千人針」も展示されていた。
しかし、戦争の原因や日本軍による強制動員、慰安婦など外国人の被害については言及がなかった。歴史の歪曲(わいきょく)もあった。1941年の日本軍による真珠湾攻撃を伝える当時の新聞も展示されていたが、宣戦布告がない奇襲攻撃だったにもかかわらず、「米英に宣戦布告した」とのみ書かれていた。1945年8月15日の無条件降伏を伝える新聞は「天皇陛下が万世の平和のために聖なる決定を下した」という趣旨の内容だった。博物館の説明資料は、日中戦争の原因を「日本軍と中国軍が衝突して発生した」とし、敗戦に関しては「戦争が終わった」と記述した。大きな「空襲被害地図」には、米軍の爆撃による死者数が地域別に詳細に表示されているなど、日本人の被害ばかりを強調した。「侵略の定義は定まっていない」とする安倍晋三首相の歴史観そのものだった。
戦争中に日の丸を頭に巻いて軍需品を生産している女性の人形もあった。子どもに当時の生々しい体験を伝えようと、空襲時の避難方法を紹介するゲームもあった。子ども向けの体験ツールとして、空襲避難用のヘルメット、防空頭巾なども展示されていた。昭和館は今年初めの大幅な改装時に体験設備を新たに設けた。
27日から始まった「知ってるかな?戦中のくらし~子どもたちの一日~」と題する特別企画展には、戦中に子どもが書いた慰問の手紙が展示されていた。当時の小学生が筆で書いた「東亜永遠平和」という文字もあった。これは侵略戦争がアジアの平和のための正義の戦争だという意味だ。子どもたちが銃剣の訓練をする当時の写真も展示されていたが、批判的な説明はなかった。
侵略戦争の開戦を宣言した昭和天皇を記念する「昭和天皇記念館」(東京都立川市)も同様だった。玉音放送に対する説明には「日本は再び平和を取り戻した」とあった。昭和天皇が署名した開戦と終戦の詔書もあったが、戦争と関係ない平和主義者であるかのように描写されていた。展示室の大半が生物学者としての昭和天皇の一面に割かれていた。記者が訪れた日には「昭和天皇のご愛草」という企画展示が開かれていた。