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2013年7月24日(水) 東奥日報 ニュース



■ 亡き夫の手掛けた「みちのく丸」心待ち/24日に大船渡入港

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みちのく丸の建造作業に汗を流す故小松新一さん=2004年10月(小松久江さん提供)
 
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みちのく丸の甲板で記念写真に納まる脇棟梁の故小松新一さん(左)と妻久江さん。久江さんは夫が魂を込めた船の大船渡入港を心待ちにする=2006年(小松久江さん提供)
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 岩手県気仙地方の船大工集団、気仙船匠(せんしょう)会(新沼留之進会長)が2005年に造り、19日に青森港を出港した国内最大級の復元弁才船「みちのく丸」(150トン)は24日、同県大船渡市に入港する。脇棟梁(とうりょう)として中心的な役割を果たした同市三陸町の船大工・故小松新一さん=享年(67)=は、震災後、流された船の修理に力を尽くし、病に倒れた。二人三脚で船を造り続けてきた妻久江さん(63)は夫らの「技の結晶」が大船渡の海で帆を張る姿を、万感の思いで待つ。

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 「船から生まれ、船で旅立っていったような生涯。美しい船を造る人だった」。久江さんは、みちのく丸の建造作業に励む夫の写真を眺め、振り返る。

 タオルのねじり鉢巻き、日焼けした太い指。図面なしで船を造り、言葉で伝えなくても、使い手が使いやすく仕上げてくれると、誰もが信頼を寄せた。

 部位ごとに異なる材料を使う木造船。「適材適所」を見極める確かな目と、熱を加えながら木材を曲げる高度な技が必要だ。

 船体の曲線を、寺社仏閣の屋根や刀の反りと同様「日本の美」と考える新沼会長にとって、小松さんは「いい感性を持っている。これからの主役になってほしい」存在だった。

 小松さんが初めて脇棟梁を任されたみちのく丸は、同会の和船の中でも最大級。久江さんには、小松さんが責任の重さから口数が少なくなったように見えたが、先頭に立ち16人の作業員をまとめた。

 完成後、自分の船を見に行こうとめったに言わない小松さんが、青森に誘ってくれた。「それだけ思い入れがあったのだろう」と久江さん。「大きさと見事さに感動した」と懐かしむ。

 東日本大震災で、魂を注いだ船の多くが流失。失意の底から、漁業者の求めで立ち上がった。自分の身を削るように50隻以上を修理したが、病に倒れ、12年10月に息を引き取った。

 病床でも、みちのく丸のことは忘れていなかった。テレビで、日本海を回るみちのく丸を見た時、夫婦で「大船渡で走ればいいのにね」と語り合い、会話がつらくなってもみちのく丸の話にはうなずいた。

 「生前に見せたかった」との思いは残るが、久江さんは「船を造っていると、一緒にいるような気がする」という。

 船と海が大好きな小松さんだから、大船渡湾に入るみちのく丸を「絶対見にくる」と思う。尊敬する夫の写真と一緒に、晴れ姿を見届けるつもりだ。

 みちのく丸は、岩手日報社と東奥日報社、福島民報社が展開する「千石船東廻り航路文化交流」で、太平洋岸5都県の8港を巡る。

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