発信箱:君が代の和洋折衷=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2013年07月30日 00時06分
その夜、ドイツ人のヘルマン・ゴチェフスキ東大准教授(比較音楽論)の講義には老若男女85人が詰めかけた。イベントスペースは満員御礼。講演テーマは「君が代」。
明治時代、日本は西洋人の手を借りて「国歌」を模索した。紆余(うよ)曲折の末、ドイツの音楽教師エッケルトが日本らしいメロディーに西洋風のハーモニー(和声)を加え、編曲したのが今の「君が代」だ。講演を聴いて長年の謎が解けた。重厚な和声で演奏される曲の最初と最後だけがなぜ単旋律なのか。「あえて和声をつけないことで、雅楽的な五音音階のメロディーと西洋風の和声の持つ近代性の両方を融合させようとしたのです」とゴチェフスキさん。知らなかった。「君が代」誕生にこんな和洋折衷の音楽ドラマがあったなんて!
講義が新鮮だったのは、純粋に音楽としての「君が代」の話だったから。日本では歌詞解釈や起立斉唱問題とリンクさせずに「君が代」を語ることは難しい。ゴチェフスキさんも日本人研究者から「君は外国人だからいいが、日本人が研究するといろいろ言われて大変なんだ」と「君が代」をタブー視する声を随分聞かされてきたという。
私が「君が代」を初めて自由な気持ちで歌えたのは米国で日本人の作る合唱団にいた時だ。「歌うか」「起立するか」が立場表明になってしまう日本と違って、しがらみも強制もない異国の地だったからこそ、音楽としての「君が代」と出合い直せた。好戦的な曲の多い世界の国歌の中で、ゆるやかで繊細な音運びがむしろすてきだと思えた。
しがらみなく歌うのが難しい曲だから、せめて「歌え」と強制されずに歌いたい。その方が歌を好きになれるはずだから。