清水の舞台から飛び降り234件
「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という言葉で有名な本堂。
江戸期の庶民信仰 願いがかなう? 江戸時代、多くの庶民が願をかけて飛び降りた清水の舞台
「清水の舞台」からの飛び降り事件は、江戸時代に計234件にのぼっていたことが、清水寺の古文書調査で、このほど分かった。ことわざ通り「飛び降り」が頻繁に起きていたことが実証されたが、時代背景に「命をかけて飛び降りれば願いごとがかなう」という庶民の信仰があったという。
調査は、清水寺塔頭の成就院が記録した文書「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまとめた。記録は江戸前期・元禄七(1694)年から幕末の元治元(1864)年までだが、間に記録が抜けている分もあり、実際は148年分の記述が残っていた。
調査によると、この間の飛び降り事件は未遂も含め234件が発生した。年間平均は1.6件。記録のない時期も発生率が同じと仮定すると、江戸時代全体では424件になる計算という。
男女比は7対3、最年少は12歳、最年長は80歳代。年齢別では10代、20代が約73パーセントを占めた。
清水の舞台の高さは13メートルもあるが、生存率は85.4パーセントと高い。10代、20代に限れば90パーセントを超す。60歳以上では6人全員が死亡している。京都の人が最も多いが、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいる。
門前町の人らが相次ぐ飛び降り事件に耐えかね、舞台にさくを設けるなど対策を成就院に嘆願したという記録も残る。明治五(1872)年、政府が飛び降り禁止令を出し、下火になったという。
お寺では「ことわざがなぜ生まれ、現実はどうだったのかという関心から調査を始めた。江戸時代に庶民の間で観音信仰が広まり、清水観音に命を託し、飛び降りて助かれば願い事がかない、死んでも成仏できるという信仰から、飛び降り事件が続いたのだろう」と話している。