■無所属・山本太郎氏(38)
【聞き手・土佐茂生】――私の世代だと、山本太郎と聞くと、高校生でデビューした頃の「メロリンQ」を思い出します。気持ちのままをぶつけているようなダンスでした。
「お、デビューの。そうですね。気持ちのままにという意味では、デビュー当時と今が近いのかもしれない。素人でしたから、怖いものがない。やりたいこと、表現したいことをやる、というスタンスですよね」
――参院選では自民党が大勝する中で、無所属で約66万票を獲得しました。
「一言で言うと、世も末と思いますよね。本当に、それぐらい、ちょっと暗黒時代に入っちゃってる。でも、投票率が低い中で自民党が強かったわけじゃない。投票による表現をあきらめてしまった人が圧倒的にいた。その人たちが違うアクションを起こして投票行動に移していれば、権力の偏りはもっとバランスを取れていた。その象徴的な東京選挙区で無所属で1議席取れたことは『変えていけるぞ』という象徴的な部分だと思う」
――昨年の衆院選では敗れた。政権を決める衆院選では、小選挙区制で2大政党を作るという仕組みです。どう思いますか。
「投票率が80%ぐらいいかなければ、もう無効だ、という話ですよ。普通に考えれば、3・11の原発事故後の対応が最悪だったのが民主党ですよね。でも、その土台をずっと作ってきたのが自民党じゃないか。だから、危機感を持っている人にとって、選択肢としては、『どっちもないじゃないか』と思うんです。しかも、事故後、自民党は考えを改めたか、というと、よけいにもっと行こうぜ、という。あり得ない選択なんですよ。『やっぱり、もう無いなあ。何が選挙だよ、勝手にやってろ、お前ら』という風に有権者に思われているんですよ」
――「選挙フェス」といった独特の戦い方でした。
「知名度だけなら、そこまで伸びなかった。本気度だと思う。事故から2年間、腹を決めてやったよな、と。自分の考えを、こいつに言ってお尻をたたいたら届けてくれるんじゃないか、という部分があったと思う。ビール箱に乗っているだけなら『必死やなあ、おっちゃん』と斜めにしか見られない。音楽が流れて心がちょっと開いて感受性の触角がちょっと伸びた時、本気の言葉がそこでつながれば大きく開いていくんですよね。今回、それで1議席、実を結んだ。これをいろんなところでやっていくことで、変えていけるんじゃないかな」
――「脱原発」の声をあげる葛藤はありましたか。
「2人の自分がいた。声をあげたい自分と、あげたくない自分が闘っていた。毎日、眠りも浅く、寝言で『メルトダウン!』と言っちゃうぐらい。ダメだと思うことにダメだと言えないのは何なんだよ、表現の自由も生きる権利もなかったのかとわかってきた。『原発いらない。やめよう』ということを一個人として言うのがこんなにハードルが高いのか、と打ちのめされた時だった」
「原発事故の3週間後にツイッターで脱原発の声をあげた。その瞬間、もう涙が止まらなかった。嗚咽(おえつ)を漏らしながら泣くという。なんか、こう、自由になれた気がしたというか、人間に戻れた気がした」
――その結果、芸能界からは干されました。
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