ピカピカの1年生 デロデロの20年生
2010年04月27日(火) 9時17分
さっき新1年生を見かけた。
ピカピカのランドセル。
型崩れしていない通学帽。
手を振り回して走り回る通学路。
可愛かったなぁ・・・。
いや、変な意味じゃなくてね?
この時は・・・こうしてる時は可愛いのに・・・
何で人間って歳を重ねると必ず醜くなるんだろう。
やっぱ人間って10歳くらいで死んだ方が、地球に影響を与えないのかも。
オレにもあんな頃があったんだよなー・・・。
本当に、小さい頃の記憶だけは凄く鮮明にはっきりとしてる。
保育園の頃に出された生温いミルク。
あれは嫌いだって言う人が多いけど、オレは地味に好きだった。
おやつの時間に出たドーナツと温かいお茶。
あのドーナツがサクサクしてて美味しかった。
でもドーナツの代わりに出るチーズが苦くて嫌いだった。
動物の形をしたチーズ。
夏の日、皆で庭先で食べるアイスが好きだった。
クリスマスパーティの日、必ずショートケーキが出てた。
あの時はまだ「アレルギー」ってものを認知してなかったから、吐きかけながら必死にケーキを食べてた。
あれは辛かった。
小6くらいやな。
イチゴ、キウイアレルギーだって自分で気が付いたの。
で、節分の日。
先生達が鬼の格好をして大人気なく園児達を怖がらせてた。
あれはトラウマだった。
そして卒園、入学。
学校は怖いイメージしかなかった。
中学生日記か何かの影響で。
昔、あの系統の番組って殆どイジメ風景しか描いてなかったでしょ。
靴の中や椅子にびっしり画びょうを敷き詰めて踏まされた光景を憶えてる。
やり過ぎよ、あれは。
それで、一番仲の良かった友達が転校した。
転校がどういう意味なのかすら知らなかった。
またいつもみたいに遊べるんだと思ってた。
毎晩のように家に遊びに行ってたっけなぁ。
あの時、手にアロンアルファを塗って両手をくっ付けるなんてアホなことをやってた。
めっちゃ熱くなって、手が全然取れないの。
今なら理解できる。
あれはFRPの樹脂が発熱して硬化したんや。
結局、自分で手の表面を削ぎ落としたよ。
数日間、硬化したアロンアルファを毎日たわしで擦ってた。
本当に昔は危ないことばかりやってた。
電動鉛筆削りに指突っ込んだり。
まぁそれは結局指が入らなくて、中の刃の部分を握り締めるなんて理解不能な行動で締め括ったんだけど。
血だらけになったよ。
何で血が出てるのかすら理解出来なかった。
痛くなかったし。
ああいうのを業物って言うんだろうね。
何であんなことしたんオレ。
まぁ結局、学校は"始めは(ここ重要)"ドラマのような場所じゃなかったよ。
上級生によくイジられてたなー。
中でも一人だけイジりが過剰な人が居た。
首絞めて振り回すのはやり過ぎでしょうよ。
あの人だけはトラウマだった。
あの頃のオレは人間とは思えないほど身軽だったっけなぁ。
身体が羽毛のようだったよ。
一日二食食べるかどうかだったからね。
内、一食は給食。
家では殆ど食事ってものをしなかった。
「骨と皮だけ」だとか会う人々に言われて、じいちゃんからは「○○君みたいに太らしぇ」って毎日言われてたなー。
あの時から既に「食欲」っていう欲が無くなってたんだよ。
母親が、オレが食べたがってる物を一切食べさせてくれなかったから。
だから食べる事よりも遊ぶ事のが好きだったんだ。
でもあの頃喘息が酷くて、4時には家に入らなきゃならなくて殆ど遊べなかった。
どっかの宗教狂信者も連日勧誘に来てたし。
小1の担任だった。
オレに食べ物の大切さを教えてくれたのは。
あの先生に出会ってから、オレは食べ物を残す事を止めた。
同属の人間が食欲を満たす為に理不尽に殺した命だ。
同属の罪は同属が拭わねば。
あの先生めっちゃ怖かったけど、オレの喘息を心から心配してくれた初めての人だった。
あの頃は弱味を見せる事が当然のことだなんて知らなかった。
もっと弱味を見せてたら周りの対応も変わってたのかもね。
その先生はオレらの卒業と同時に佐渡の方に転勤した。
「ありがとう」って言えなかった。
そういえば小1の頃に上級生がホウキを素振りしてて、
不可抗力でオレの頭が吹っ飛ばされて上級生「( ゚Д゚)ポカーン」な事件があった。
あの頃、「痛くて泣く」っていう知識も無かったから、痛い時に泣くって子供らしいこともしてなかった。
周りはそんなオレのことをどう思ってたんだろ。
「なんでコイツ泣かないの?気持ち悪ッ」とでも思ってたのかな?
確かに頭吹っ飛ばされて泣かない子供が居たらちょっと引くカモ。
あの頃は楽しかったなー。
人生のピークだったね。
友達の家でやらせてもらうTVゲームが楽しくて楽しくて仕方なかった。
あの頃めっちゃゲーム下手くそだったよなー、オレ。
10歳の頃、母親が出会い系で引っ掛けたオッチャンにニンテンドー64買ってもらったっけ。
初めて買ってもらったゲームソフトは「バンジョーとカズーイの大冒険」だった。
不屈の名作だね。
MSに買収されたレア社は許さないけど。
で、少し経って初代スマブラを買ってもらったんだ。
楽しくて楽しくて毎日友達とやってた。
あれは友達とやると中毒性が高過ぎる。
暫くして友達がマリオパーティを貸してくれて、あれのやり過ぎで64がオーバーヒートして壊れたんよ。
めっちゃ64熱くなってた。
焼肉焼けるんじゃないかってくらい熱くなってた。
今64めっさ高いよね。
数年前は新品1000円とかだったのに何あの値段。
ニコ生とかで流行過ぎよ。
需要が高くなり過ぎ。
なんちゃらファミコンみたいに、新しい64作ってくれたら相当売れると思うんだけどなー。
あああ、凄い懐かしくなってきた。
あれ?目から油田が・・・。
ピカピカのランドセル。
型崩れしていない通学帽。
手を振り回して走り回る通学路。
可愛かったなぁ・・・。
いや、変な意味じゃなくてね?
この時は・・・こうしてる時は可愛いのに・・・
何で人間って歳を重ねると必ず醜くなるんだろう。
やっぱ人間って10歳くらいで死んだ方が、地球に影響を与えないのかも。
オレにもあんな頃があったんだよなー・・・。
本当に、小さい頃の記憶だけは凄く鮮明にはっきりとしてる。
保育園の頃に出された生温いミルク。
あれは嫌いだって言う人が多いけど、オレは地味に好きだった。
おやつの時間に出たドーナツと温かいお茶。
あのドーナツがサクサクしてて美味しかった。
でもドーナツの代わりに出るチーズが苦くて嫌いだった。
動物の形をしたチーズ。
夏の日、皆で庭先で食べるアイスが好きだった。
クリスマスパーティの日、必ずショートケーキが出てた。
あの時はまだ「アレルギー」ってものを認知してなかったから、吐きかけながら必死にケーキを食べてた。
あれは辛かった。
小6くらいやな。
イチゴ、キウイアレルギーだって自分で気が付いたの。
で、節分の日。
先生達が鬼の格好をして大人気なく園児達を怖がらせてた。
あれはトラウマだった。
そして卒園、入学。
学校は怖いイメージしかなかった。
中学生日記か何かの影響で。
昔、あの系統の番組って殆どイジメ風景しか描いてなかったでしょ。
靴の中や椅子にびっしり画びょうを敷き詰めて踏まされた光景を憶えてる。
やり過ぎよ、あれは。
それで、一番仲の良かった友達が転校した。
転校がどういう意味なのかすら知らなかった。
またいつもみたいに遊べるんだと思ってた。
毎晩のように家に遊びに行ってたっけなぁ。
あの時、手にアロンアルファを塗って両手をくっ付けるなんてアホなことをやってた。
めっちゃ熱くなって、手が全然取れないの。
今なら理解できる。
あれはFRPの樹脂が発熱して硬化したんや。
結局、自分で手の表面を削ぎ落としたよ。
数日間、硬化したアロンアルファを毎日たわしで擦ってた。
本当に昔は危ないことばかりやってた。
電動鉛筆削りに指突っ込んだり。
まぁそれは結局指が入らなくて、中の刃の部分を握り締めるなんて理解不能な行動で締め括ったんだけど。
血だらけになったよ。
何で血が出てるのかすら理解出来なかった。
痛くなかったし。
ああいうのを業物って言うんだろうね。
何であんなことしたんオレ。
まぁ結局、学校は"始めは(ここ重要)"ドラマのような場所じゃなかったよ。
上級生によくイジられてたなー。
中でも一人だけイジりが過剰な人が居た。
首絞めて振り回すのはやり過ぎでしょうよ。
あの人だけはトラウマだった。
あの頃のオレは人間とは思えないほど身軽だったっけなぁ。
身体が羽毛のようだったよ。
一日二食食べるかどうかだったからね。
内、一食は給食。
家では殆ど食事ってものをしなかった。
「骨と皮だけ」だとか会う人々に言われて、じいちゃんからは「○○君みたいに太らしぇ」って毎日言われてたなー。
あの時から既に「食欲」っていう欲が無くなってたんだよ。
母親が、オレが食べたがってる物を一切食べさせてくれなかったから。
だから食べる事よりも遊ぶ事のが好きだったんだ。
でもあの頃喘息が酷くて、4時には家に入らなきゃならなくて殆ど遊べなかった。
どっかの宗教狂信者も連日勧誘に来てたし。
小1の担任だった。
オレに食べ物の大切さを教えてくれたのは。
あの先生に出会ってから、オレは食べ物を残す事を止めた。
同属の人間が食欲を満たす為に理不尽に殺した命だ。
同属の罪は同属が拭わねば。
あの先生めっちゃ怖かったけど、オレの喘息を心から心配してくれた初めての人だった。
あの頃は弱味を見せる事が当然のことだなんて知らなかった。
もっと弱味を見せてたら周りの対応も変わってたのかもね。
その先生はオレらの卒業と同時に佐渡の方に転勤した。
「ありがとう」って言えなかった。
そういえば小1の頃に上級生がホウキを素振りしてて、
不可抗力でオレの頭が吹っ飛ばされて上級生「( ゚Д゚)ポカーン」な事件があった。
あの頃、「痛くて泣く」っていう知識も無かったから、痛い時に泣くって子供らしいこともしてなかった。
周りはそんなオレのことをどう思ってたんだろ。
「なんでコイツ泣かないの?気持ち悪ッ」とでも思ってたのかな?
確かに頭吹っ飛ばされて泣かない子供が居たらちょっと引くカモ。
あの頃は楽しかったなー。
人生のピークだったね。
友達の家でやらせてもらうTVゲームが楽しくて楽しくて仕方なかった。
あの頃めっちゃゲーム下手くそだったよなー、オレ。
10歳の頃、母親が出会い系で引っ掛けたオッチャンにニンテンドー64買ってもらったっけ。
初めて買ってもらったゲームソフトは「バンジョーとカズーイの大冒険」だった。
不屈の名作だね。
MSに買収されたレア社は許さないけど。
で、少し経って初代スマブラを買ってもらったんだ。
楽しくて楽しくて毎日友達とやってた。
あれは友達とやると中毒性が高過ぎる。
暫くして友達がマリオパーティを貸してくれて、あれのやり過ぎで64がオーバーヒートして壊れたんよ。
めっちゃ64熱くなってた。
焼肉焼けるんじゃないかってくらい熱くなってた。
今64めっさ高いよね。
数年前は新品1000円とかだったのに何あの値段。
ニコ生とかで流行過ぎよ。
需要が高くなり過ぎ。
なんちゃらファミコンみたいに、新しい64作ってくれたら相当売れると思うんだけどなー。
あああ、凄い懐かしくなってきた。
あれ?目から油田が・・・。
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