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2012年8月14日(火)
午後10時00分~10時49分総合
67年前の太平洋戦争末期、フィリピンやニューギニアなどの南方戦線で補給が断たれた日本軍に“異常事態”が起きていた。飢えに苦しみ、食糧を求めてジャングルをさまよった日本兵たちが、部隊を勝手に離れたとして「逃亡罪」で次々に拘束され、処刑されたのだ。しかし、当時の記録は、ほとんどが軍によって焼却されたため、その詳細は今まで明らかになってこなかった。
今回NHKでは、その内実に迫る貴重な資料を入手した。戦場で開かれた特設の「軍法会議」で兵士たちを実際に裁いた軍の元法務官が、密かに残した内部文書と14時間に及ぶインタビュー・テープである。兵士たちは、なぜ処刑されたのか。そこで語られていた元法務官の証言は、衝撃的だ。
軍紀を守るために厳罰を科し“見せしめ”を求めた軍上層部の意向で、本来なら死刑にならない罪でも兵士を処刑した、というのである。「法の番人」であるはずだった法務官たちは、なぜ、軍の上層部に抵抗し続けることができなかったのか。戦場で行われた軍法会議の実態を、ひとりの法務官の軌跡を追うことで明らかにし、戦争の罪を見つめる。
この番組は、取材を始めて放送するまで、3年の月日を要しました。出発点は「“逃亡兵の遺族”という汚名に今も苦しむ人々のために何かをしたい」という思いでした。そのためには、兵士に死刑判決を下した軍の裁判・軍法会議の実態に迫らねばなりません。私は、研究者や当時の関係者に何人も会い続け、ようやく番組で紹介した軍法会議に関する大量の資料にたどり着きました。
資料から見えて来たのは、戦争のさまざまな罪でした。兵士たちを食糧も弾薬もない極限状態に追い込んだにもかかわらず、処刑を乱発した軍の罪。それに法的な根拠を与えてしまった法務官の罪。そして、終戦直後、内部資料を処分した政府の罪。人間の命と尊厳が、“正義”の名の下で不当に奪われ、証拠が隠滅されていたのです。
この問題について戦後、きちんとした検証が行われず、誰も責任を取りませんでした。残されたのは、今も続く遺族の苦しみです。処刑された兵士の遺族にとって戦争は、決して過去の出来事ではありません。こうした悲劇を繰り返さないためにも、戦争を見つめる番組を作り続けたいと思います。
NHK鹿児島放送局 制作ディレクター 石﨑博亮
「これまでほとんど無いとされた軍法会議の資料が大量に見つかった」という情報を先輩ディレクターから教えられたのが、去年10月。それから資料を何度も読み返しながら、事実を裏付ける、あるいは、その背景を説明してくれる証言者を探しました。戦友会の名簿などを手に入れ、元軍関係者やその遺族、一人一人に手紙を出すことから取材を始めました。送った手紙は、全て手書きで、100枚以上。しかし、取材に応じてくれる方は、わずかしかいません。特に取材が難しかったのが、戦時中、兵士を裁いた法務官と、軍法会議によって処刑された兵士の遺族でした。ほとんどが「戦争のことには触れて欲しくない」と一切の取材を拒否。それでも「当事者がほとんどいなくなった今だから」と、重い口を開いてくれた人々のおかげで番組を放送することができました。
放送後、一番うれしかったのは、視聴者がこの番組を単なる過去の話としてではなく、現代社会が直面する問題と結びつけて見てくれたことです。間違っていると分かっていても組織が決めた大きな流れには逆らえない個人、都合の悪い証拠を隠ぺいしようとする空気は、いまにも共通しています。私たちの未来のために、あの戦争を検証し続ける必要性を改めて感じています。
NHK報道局 社会番組部ディレクター 花井利彦