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人気ニュースキャスターアンダーソン・クーパーによる「カムアウト」の手紙全文訳してみた

今日、アメリカの人気ニュースキャスター、アンダーソン・クーパーカムアウトしました。
 

先週、エンターテイメント・ウィークリー誌に有名人のカムアウトの仕方が時代と共にどう変わってきたか、という記事が載りました。(※この記事については別途改めてご紹介したいと思っています。先週書店で手に入れたこの雑誌の表紙に載っていたこの記事はエレン・デジェネレスから始まり以下に有名人のカムアウトの作法が変わってきたのか、そしてその変化にも関わらず「さりげないカムアウト」がまた以前の大々的なカムアウトと同じくらい革命的で勇敢な行為であることに変わりはないことなどを論じる興味深いものでした)

デイリービーストのコラムニストで彼自身ゲイであるアンドリュー・サリバンは、「誰がゲイであるか」でいちいち大騒ぎをしない社会になってきたことは喜ばしいことだとしながらも、それでもまだ牧師がゲイに死を要求し、ゲイであることを理由にイジメや自殺が起こり、そして二大政党の一つがあなたの愛する人と結婚するという基本的な人権を奪うために必死になっているようなこの社会においては、誰がゲイであるのかという「大したことない」問題はまだ「大したこと」なのだ、と言います。この話題について二〇年間以上友達だったアンダーソン・クーパーに意見を求めました。なぜクーパーなか?「その理由はほとんどの人に明らかでしょう」とサリバン自身書いているように、クーパーはゲイであると広く皆に知られているのに公にはカムアウトしていない「ガラスのクローゼット」にはいった有名人だったからです。

クーパーはサリバンに以下のような手紙を書き、またこの手紙の公開を許可することで、ようやくカムアウトしました。今日はそのニュースでもちきりです。以下、勉強のために訳してみましたのでご紹介致します(間違いがあるかもしれません。是非原文をこちらで読んでください

アンドリュー、君も知っているように、この問題は、私が何年も考えてきたことだ。私の仕事のおかげで、公に注目されることが多いけれども、私はこれまで自分の生活の中である程度のプライバシーを保とうとずっと努力してきた。一つには純粋に個人的な理由から。ほとんど誰だって自分自身、そして身近な人々についてプライバシーを保とうと思うだろう?

自分のプライバシーを保ちたかったのは、また職業上の理由からでもある。約二〇年前から戦場記者として働きはじめ、非常に危険な状況に身を置くことがあった。私自身の、そして一緒に働いている人々の安全のために、私はできるだけ目立たないようにし、自分自身ではなく他人のストーリーを語ることに集中しようと思った。取材相手が私のことを知らなければ知らないほど、安全に、そして効率的にジャーナリストの仕事ができることがわかった。

記者たちの信仰や、誰に投票行動、そして、誰を愛しているかなどということが公に議論されるべきことではない。ジャーナリストが、仕事において、公正で誠実な仕事をしているの限り、彼らの個人的な生活などはどうでもいいはずだ。「ゲイなんですか?」というような質問を直接受けることもあったが、私はキャリアを通じて、この原則を守り続けてきた。数年前に出版した回顧録でも、自分の性的指向については触れなかった。それは戦争・災害・損失、そして生存のための本だったから。自分の人生の他の側面については書くつもりがなかった。

だが、最近になって、自分のプライバシーを守ることによってもたらされる意図しない副作用と、自分の私生活と仕事上での原則を守ることのどちらが重要なのか、考えはじめた。私生活のある側面についてずっと沈黙を守りつづけてきたことによって、私がまるで何かを隠しているとか、恥じているとか恐れている、とかそういう解釈をされてしまうことがわかった。これは辛かった。なぜならそれは全く事実ではないからね。

また、社会が全ての人々を含む平等に向かって進んでいく中で、歴史の大きな動きというのは、人々が自分自身のことを完全に見えるようにした時にしか起こらない、ということもまた思い出した。性的指向を理由として若者の間ではまだまだイジメが起こり、そして全ての年齢の人々に対する差別や暴力も起こっている。そして、私は自分の立場を明らかにすることに価値があると信じる。

事実というのは、私はゲイなのだ。これまでもずっとそうだったし、これからもそうだ。そしてこれ以上はありえないほど幸せであり、自分自身に満足しているし、誇りを持っている。

自分がゲイであるということに関して、私は友人や家族、そして同僚に対して、いつもとてもオープンにしてきた。完璧な世界においては、これは他人には関係ないことだろう。でも現実には、立ち上がって、自分もその一人だと認識されることに価値がある。私は活動家ではない。でも私は人間だ。そして、ジャーナリストであるからといって、この人間であるという側面を諦めるつもりはない。

記者として働きはじめて間もない頃から、私はメディア内でのゲイやレズビアンの人々--そして、どんな理由であれ彼らを認めないと主張する人々--を正確に、そして公正に描くように努力してきた。個人的な主張をすることではなく、私の見たもの、私の発言、そして行動について徹底して誠実であることが私の仕事だ。私はよいリポータになることにしか興味がなかったし、「真実」以外には、どんな社会運動を促進したいとも思っていなかった。

ジャーナリストであること--様々な場所に行き、様々な立場の人々を理解し、彼らの物語を伝えること--は私のキャリアにおいてもっとも素晴らしい喜びだった。これからもそれを続けたいと願っている。しかし、私はジャーナリストとしてとても恵まれた機会を持てただけではなく、私はまた素晴らしいキャリアというのを遥かに超えた神の祝福を受けている。

私は愛しているし、愛されている。

人を愛することができるというのは、神が与えてくれたもっとも素晴らしい贈り物だと思う。私は、愛が与えられたこと、そして周りの人々と愛を分かち合えることについて、神に毎日感謝している。この件について、意見を聞いてくれてありがとう。君の読者たちと喜んで私の考えを共有したいと思う。私は自分は内気な人間だと思うし、こうしてカムアウトしたことが自分の個人的な空間が終わってしまうことを意味しないように願っている。しかし、私は可視性がとても重要だと思う。私のレポーターとしてのプライバシーの盾を守ることよりも、重要だと思う。



サリバンはこのメールに対し、簡単に「私もそう思う」と付け加え、記事を終えています。

読んで目頭が熱くなりました。

クーパーのカムアウトについては様々な反応が出ています。

「当たり障りなさすぎて大した意味がない」という反応や、逆に、こんなにはっきりと彼がカムアウトしなければいけなかったことについて、彼にカムアウトを迫っていたゲイ・コミュニティの一部を批判するような声、逆にまた、彼のセクシュアリティを知っていながらずっとそのことに触れず、クーパーと共犯関係になってガラスのクローゼットを守り続けたジャーナリストたちについての批判もあるようです。これらについては随時Twitterでご紹介しています。ブログでも余力があればご紹介します。

私は、ここではまず単純に彼のカムアウトを喜びたいと思います!タイミングが遅かったとしても、あたりさわりがないとしても、例え世界中がとっくのとうに知っていたことであったとしても、今まで「ガラスのクローゼット」に入っていたことがどんなに問題だったとしても、この人気キャスターのカムアウトは勇気と希望を与えてくれました。
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