日本国総理大臣・安倍晋三/平成25(2013)年7月26日 第33回「シンガポール・レクチャー」/於・リッツ・カールトン、シンガポール
はじめに
副首相閣下、ウォン・アーロン副理事長、お集まりの皆様、「シンガポール・レクチャー」にお招きくださって、有難うございます。東南アジア研究所の皆さんにも、心より、御礼申し上げます。
本日私は、二重、三重の意味で、タイムリーな機会をいただいたと思っています。
5日前の日曜、日本では、参議院議員の半数を改選する選挙がありました。日本の経済などについて、本日が、選挙の後では、まとまった話をする初めての機会になります。
何よりもまず、日本には、変革の意思と、力が戻ってきました。入れ替わりに、いまや有名となった、「回転ドア」政治が、消えて、なくなりました。
二番目には、3日前、お隣、マレーシアを舞台にした交渉で、日本は初めて、TPPのプロセスへ入りました。
米国などメンバー国とともに、日本は、アジア・太平洋経済の可能性を、一層広げていきたい。そう思っています。
三番目に、ASEANと、日本のお付き合いは、今年でちょうど40年を迎えます。それを記念し、12月には、各国から、首脳を日本へお招きし、特別サミットを開きます。
ASEANと日本の関係について、未来を展望するにも、本日は、たいへん良い機会になるでしょう。
参議院選挙勝利の意味
5日前、参議院選挙で、私たちの党は、国民から、近来稀に見る、強い負託をもらいました。衆議院、参議院の双方で、連立与党は、過半数を得ることができました。
ここしばらく、日本では、弱い経済が、弱い政治を生み、それが、経済を、また弱くする。外交・安保まで、弱体化が及ぶという、「負の連鎖」が続いていました。
打ち続いたデフレーションが、人々の心まで、後ろ向き、内向きにしてしまいました。
この状況をひっくり返すには、経済を強くすることと、政治を安定させ、強化する努力を、両方とも一度に、時を移さず、実行することが必要でした。
このたびの選挙を経て、少なくとも、政治の安定を、かちとることができたと思います。
しかし、私たちは、まだ出発点へ立ったに過ぎません。
昨年の第3四半期、日本経済は成長するどころか、年率換算で、マイナス3.6%縮みました。
私の経済政策で、今年の第1四半期、日本経済は、年率にして4.1%成長しました。このペースで1年伸び続けると、イスラエル1国分の経済が新たに生まれることになります。
日本は、過去数年のデフレ期間に、5000億ドルもの国民所得を失いました。これは、地上から、ノルウェー級の国家がひとつ、丸ごと消滅したのと同じです。
当然、徴税ベースは小さくなって、国債に頼る以外、財政を維持できなくなりました。
いかがですか。成長なくして、財政再建なし。成長なくして、社会保障制度の維持や充実なし。
そして成長なくして、外交や、安全保障の強化は、あり得ない、ということが、お分かりいただけるでしょう。
経済成長は、すべての前提条件です。
マーガレット・サッチャーに倣って、私はこれを、「ティナ(TINA)」、"There is no alternative"だと言ってきました。
しかも日本のような、技術、知識集約型の経済は、イノベーションの助けを借りないと、生産性を伸ばすことができません。
必要なのは、規制の大胆な改革です。TPP交渉のような、外部からの触媒です。
国境を越え、経済圏をまたいだ、ダイナミックな、「競争」と「協調」による、新しい付加価値の創造です。
そしてそれには、既得権益に立ち向かう、強い政治力を必要とします。
今度の選挙で、私たちはようやく、政治と、経済を、良い方へ、良い方へ、回していくきっかけを、つかんだのだと思っています。あとは、実行あるのみ。
本当に、私たちは今、TINAの状態になりました。
シンガポールに追いつき、追い越したい
昨年末に首相としてカムバックして以来、日本経済を再び成長軌道に乗せるため、金融政策、財政政策、そして成長戦略からなる、いわゆる「3本の矢」の政策を進めてきました。
ここから先、私たちは「3本目の矢」の射込みにかかります。
秋以降、私たちの政治課題は、一にも二にも、改革の実行です。日本経済を本当に強くし、実質所得を増やすことです。あわせて、持続可能な道筋に、財政を乗せることです。
モメンタムを失ってはいけません。早速、この秋には、企業にとって強いインセンティブとなる投資減税を決定します。
臨時国会を招集し、規制改革のため必要な法律、事業の再編を進めるための法律など、矢継ぎ早の成立を目指します。
これから日本は、もっとオープンな経済になります。ビジネスの失敗をむしろ栄養とし、何度でも立ち上がるアントレプレナーを、讃え、助ける、経済になります。チャレンジする人が、報われる経済です。
基礎科学から、医療、農業まで、日本がもつテクノロジーを、もっと伸ばすため、イノベーションを促す経済になります。
「オープン」、「チャレンジ」、「イノベーション」。常に、私たちの改革を導くキーコンセプトです。
もはや岩盤のように固まった規制を打ち破るには、強力なドリルと、強い刃(は)が必要です。自分はその、「ドリルの刃」になるんだと、私は先に、ロンドンで言いました。
もう一度、同じことを言います。電力や農業、医療分野で規制の改革を進め、新たなサービス、新しい産業を興し、日本経済の活力を、そこから引き出します。
規制改革のショーケースとなる特区も、総理大臣である私自身が進み具合を監督する「国家戦略特区」として、強い政治力を用いて、進めます。
この夏、日本の観光地は、アジアからやってくるお客さんで賑わいます。訪問者の数は、これまでにない伸びを示すでしょう。海外の方とともに、日本の観光地を楽しめる、そんなインフラも整えていきます。
世界一、ビジネス・フレンドリーな国にしたいと、私たちは言い続けています。この点、シンガポールに追いつき、できれば追い越したい。真剣に、そう思っています。
お集まりの皆さん、皆さんの投資を、日本は歓迎します。
Invest in Japan、ダブル・アイ・ジェイ(IIJ)と、申し上げます。皆さんも、復唱してください。ダブル・アイ・ジェイです。
The Power of Dreams
農業や、医療をめぐる既得権益と戦って、安倍晋三は、結局負けるだろう。そう言う人がいます。
こんな言い方に、私はすでに、現状を固定したうえで、利益の配分はゼロ・サムになると考えたがる、誤りがあると思います。
私の発想は、常に、プラス・サムです。新しい市場やサービスを、イノベーションによってつくり出し、成長機会を提供すればいいのです。
「ゆめちから」という小麦粉などは、農業にイノベーションが起きた最近の例です。
日本人はたくさんのパンを食べるのに、国内産小麦から、パンに向いた満足な小麦粉は、今までできませんでした。
それが、最近、列島北端の北海道で取れる小麦に、ふさわしい小麦粉をつくれる品種ができました。
小麦粉のブランド名、「ゆめちから」を直訳すると、The power of dreamsとなります。自動車のホンダが、ワールドワイドで宣伝に使うフレーズと同じになりますが、これは、偶然の一致です。
この小麦粉なら、品質の高い輸入品とも互角の競争ができるでしょう。
さらに、果物や、和牛のように、イノベーションを促し、日本の外に市場を求めていけば、農業だって、プラス・サムの発想で、やっていける産業になるはずです。
似たことは、医療にも当てはまります。病院の運営、医療保険のノウハウを、組み合わせた形で新興国に売る。そのため、政府と民間が協力しあう。こういうやり方を、東南アジアの国々を念頭に、早速始めようとしています。
総理就任以来半年で、13の国々を回った私は、行く先々で、日本の農産品、日本の医療サービスに、多くの需要があることを学びました。モスクワで、そのことを知りました。アブダビでも、同じことに気づきました。
みな、埋もれた需要です。限りのない潜在需要を掘り起こす努力を、私が先頭に立って始めたところです。
これらのことを、ひとつひとつ、着実に実施していくことが、私と、私の政権に課された課題です。
ASEANと日本はツイン・エンジン
そこで、日本経済にとって、とても大事な役割を果たすのが、ASEANです。
過去10年、日本からASEANへの輸出額は2.3倍。ASEANから日本が輸入した額は、2.5倍になりました。
貿易収支は、10年のトレンドで見て、ずっと均衡していて、グラフに描くと、ぴったり寄り添い、見事なものです。
伸びる日本は、ASEANの利益。成長するASEANは、日本の利益。確信をもってそう言える実態が、日本とASEANの間にあります。
私が射込む「3本の矢」の効果は、日本だけでなくASEANにも及ぶ、いや、及ばせなければならない。そう思っています。
ASEANは、21世紀を代表するミドルクラス市場になります。日本も協力し、精力的につくっている陸、海、空のインフラと、それによって強まる連結性は、ASEANがもつ、「規模の経済」を、全面開花させるでしょう。
アジアには、ASEANを真ん中にして、東西をつなぐ厖大なインフラ需要があります。2020年までに8兆ドルの投資を必要とするアジア地域のインフラ整備に向けて、日本のシステム技術を大いに活用していただきたい。
シンガポールが誇るインフラ産業、テマセック、アセンダスが持つプロジェクト創造力そしてマネジメント技術。これと日本企業のシステム技術が組み合わされば、「夢の都市」をつくる、世界最強のタッグになりませんか。やりましょうよ。
そして長い直接投資の歴史をもつ日本は、もともと、ASEANの「住人」です。太平洋から、インド洋にまたがる、「2つの海の交わり」に生まれようとしている一大経済圏を、もし飛行機にたとえるならば、日本とASEANは、左右両翼についた、2つのエンジンみたいなもの。
高く、飛んでいくことができるに違いありません。
日本とASEANの40年
40年前、それは、地域の少なくない国において、国家の建設が、果てしのない難題に見えた頃。
私たち日本人は、そんな当時から今日まで、近年のミャンマーに生じた変化を含め、ASEAN諸国が進歩を遂げるさまを、つぶさに見てきました。
明日私はマニラで、フィリピン近代化の英雄、ホセ・リサールの記念碑に花を献げます。
ホセ・リサールは、こんな言葉を遺しています。
「人の苗床となり、太陽となるのは、教育であり、自由である。それなしには、いかなる改革も成就しない」。
ASEANが示したアジアとは、リサールの言葉をモットーに、たゆまず歩んだアジアです。教育と、自由を重んじたからこそ、皆さんは、はるかな道をここまできたのです。違いますか?
私たち日本人は、そんな、ASEANと、苦しかった通貨危機の時期を含め、いつも一緒に進んできたのを誇りに思います。
皆さんはまた、この間の日本がどんな国だったか、雄弁に証言してくださるでしょう。
自由と、平和の大切さを奉じて、銃弾の一発とて撃たず、民主主義や、法の支配を、揺るがせにしなかった日本、そんな日本の国柄を、長い付き合いの皆さんは、よくご存知です。
近年に至ると、シンガポールと日本は、民主主義の大国インドを、東アジア・サミットという大きなタペストリーに織り込み、太平洋と、インド洋に、結合をもたらした、偉大な達成をともにしています。
ASEANと日本が、経済関係を超え、地域の安全保障、とりわけ、航海の自由に責任をもつ間柄となったことを、私は、喜びたいと思います。
高度に発達した市民社会と、都市文化を共有する日本とASEANが、文化面で、互いに触発し合う関係に至ったことを、慶賀すべきだと思います。
年末の、特別サミットに合わせ、アジアの文化を一層豊かにするプランを、いま私の政権は練っています。ご期待ください。
いまや、ASEANと日本は、経済だけでなく、文化でも、常に「in tandem」。共に歩いて行く仲です。
アジアを導くものは、昔も、今も、これからも、力による威圧ではありません。
アジアをつないだものとは、海を渡る風でした。風が運んだ、海の交易でした。海の、恵みでした。
培われたのは、自然の猛威を畏れる気風です。半面、猛々しい自然は、それでもいつか、優しい一陣の風に変わると信じる、根っからの楽天主義です。
そんなアジアを導くものとは、威圧する力などではなく、互いに敬い、学び合い、もっと言えば笑い合って、一緒に歌いたくなるような、快活で、慈愛に満ち、寛(くつろ)いだ精神の交流でしょう。
これは日本が、あの偉大な発明、「カラオケ」を生んだ国だから、そんなことを言うのではありません。
そして、まさしくこの寛いだ精神のもと、私は、日本にとって重要な隣国である中国の首脳と、親しく話し合える日を期待しています。
韓国については、互いの来し方行く末に思いを致すにつけ、日本とは、共に米国の同盟国でありますし、地域安保の土台をなす間柄、経済でも文化でも、やはり in tandem だという思いを新たにしています。
こうして、首脳同士、あるいは外相同士、胸襟を開いて、話し合えればいいと念じています。
こんな日本を作りたい
私には、日本が、こんなふうになったらいいという、ひとつのイメージがあります。
なにより、日本の若い世代、その次、またその次の世代が、未来に夢を抱き、ひたすら前を向いて、進んで行くことができる国であってほしい。
そして日本を、平和と安定を提供し、増進する国であるようにしたい。そう、願っています。
成長と、動揺は、人間の場合にそうであるように、国や、地域についても、つきものです。
とくに、急に成長することは、従来なかったリスクを、時に顕在化させます。
本来、すべての人々を隔てなく潤すはずの、空や海、宇宙、そしてサイバースペースといった公共財は、ともすると、ゼロサム・ゲームの舞台に見える、そんな時期があるでしょう。
経済の浮き沈み、政治体制の変化、環境の劣化や、社会の高齢化。
日本は、それら、いままさにアジアの国々を見舞いつつある難問に、挑戦し続けてきました。
民主主義にしろ、その、根幹をなす、手続きの正当性や、法の支配にしろ、永遠の課題です。しかし日本は、挑戦し続けます。
そしてこれからは、ASEANの国々とともに挑戦することによって、日本とASEANは、一緒に未来を切り拓いていくことができます。
日本は、より強い経済を手に入れ、アジアを人種や性別、年齢の違い、障害の有る無しにかかわりなく、すべての人が可能性を追求できるダイナミックな社会とし、我々はより素晴らしい場所に変えていきたいと考えています。
そうすることで、ASEANがより豊かになり、アジアが、子どもたちの将来に希望輝く場となるよう、日本は、自らの責任を果たしていくことをお約束します。
ASEAN, Japan, in tandem.
さらなる高みに向けて、ともに歩んでいきましょう!!