「NHK BS1」が中継したメジャーのオールスター戦でゲスト解説を務めた松井秀喜氏が「最高の投手」として何度も名前を挙げたのは、レッドソックスの特別GM補佐ペドロ・マルティネス氏(41)だった。公式戦では28打数4安打、打率1割4分3厘、1本塁打、1打点の“天敵”だ。
マルティネス氏は「彼がそう言ってくれたことをとても誇りに思う。私も彼にはとても大きなリスペクトを持っている。静かなるプロフェッショナルで、とても勝負強い打者だった。ヒデキと初めて対戦したのは1996年の日米野球だった。『ゴジラ』『ゴジラ』って、周囲が騒いでいたのが印象に残っている」と振り返る。
松井氏がヤンキースに移籍した2003年、シーズンは10打数無安打と抑えたが、ア・リーグ優勝決定シリーズでは痛打された。第3戦で2―2の4回無死一、三塁で勝ち越し適時打を許し、第7戦ではレッドソックスが2点リードした8回一死一塁で右翼線へ二塁打を打たれ、続くポサダに同点打を浴びて降板した。試合は延長11回、ブーンのサヨナラ弾でヤ軍が勝った。
マルティネス氏は松井氏の成長を感じたという。
「彼はいつも勝負強かった。とても気を付けなければならない打者。試合の流れが変わりそうな場面で、必ずといっていいほど打席には彼が立っている。それこそ、彼が持つ運なのだと思う。打席の中で、次の一球に集中する姿はとても印象的だ。彼のアプローチは、他の打者とは違っていた。また、公式戦とポストシーズンでは、彼のレベルはさらに上がっていた」
そして、松井氏がMVPに輝いた09年のワールドシリーズ。第2戦で決勝アーチを含む2打数2安打1打点、第6戦では2回に先制2ランを許し、3回は中前に2点適時打された。マルティネス氏にとっては消し去りたい屈辱の記憶だろう。
しかし、マルティネス氏は笑みを浮かべてこう話した。
「彼は私をまさに打ちのめし、全てを台無しにしてくれた。でもいいんだ。私は脱帽しなければならなかったが、それもゲームの一部分だったのだ。彼との真剣勝負は、今思えばとても楽しいものだった。私はいいピッチングをしたし、ここなら打てないだろうと思って投げたボールでも、彼は打った。とても誇りに思う」
マルティネス氏という高い壁が存在したからこそ、松井氏はメジャーで成長できた。
東京スポーツ新聞社が運営する携帯サイト「東スポ芸能」で、AKB48の研究生・峯岸みなみ(20)が連載コラム「AKB48峯岸みなみの研究生じろじろリポート(略称じろリポ)」を担当。昇格を目指す研究生たちの素顔を紹介します。