(平成10年3月20日)
NHK 海外隠し口座 と 海老沢会長の謀略
元会長・シマゲジ の亡霊に揺れる NHK。
「海外隠し口座」問題、海老沢の「謀略」など 3章にまとめられた告発文 入手。
以下、その要旨を掲載します。
1.「海外隠し口座」問題
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NHK トップは旧来より政治及び政治家対策と称して、接待・供応資金(裏カネ)をさまざまな形を用いて捻出、調達してきた。
制作費、外注費、工事費の水増しが一般的な方法とされてきたが、島 圭次 元会長が 専務理事、副会長のころより、海外支局への送金、還流が多用されることになった。
1991年の「島 追い落とし」事件も。この資金の分配をめぐっての政治権力闘争であった。
湾岸戦争時の回線使用料の巨額な横流しなど、島の専横に激怒した 時の権力者、経世会=金丸信 が 海老沢と NHK 内部の反島派 及びマスコミを動員して 島を失脚させたのである。
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海老沢も実は この裏カネづくりに、島のもとで長く係わってきたが、91年に理事をはずされ、NHK エンタープライズ(エンプラ)に追いやられてからは、逆にこの「疑惑」を経世会に売り渡すとともに、一部マスコミにちらつかせながら、島への復讐と NHK 本体への復帰を画策してきた。
当方は、裏カネづくりに使われた海外の隠し口座の一つである、「エンプラ・ワシントン」
の証拠書類を有している。
これは海老沢も確認しているところであり、それを知りながら彼は何もせず、逆に彼はそれを己の復職のための武器としてきた。
なお、この件は 当時の逓信委員会でも問題となり、会計検査院の担当者が ニューヨーク、パリに派遣されたが、その時はすでに政治決着がなされており、調査はおざなりのものとなり、派遣された担当者は 彼の地で食事をして帰ってきただけに終わった。
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また、「エンプラ・ワシントン」なるものは、報道協定に基づいて、アメリカ政府へ正式に届けられ 認められた機関ではない、いわば「モグリの支局」である。
アメリカの法律ではこの種の法律違反は厳しく罰せられるという。
ましてや 送金等の不正な経済行為を行っていたとなればなおさらである。
重大な外交問題になる可能性も含んでいるといえよう。
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この「エンプラ・ワシントン」は、日高 義樹・元 NHK アメリカ総局長と 島の「私的口座」の様相が濃いが、NHK 及び海老沢は、この口座の存在と目的を知りながら それを放置し、先に述べたようにこのカードを、NHK 内の権力闘争に利用してきた。
特に海老沢はエンプラ社長時代に この件について詳細な調査を行い、口座の全容をつかんだにも係わらず何もしてこなかった。
その責任は NHK 会長に納まった現在、さらに大きくなったといえよう。
2.「衛星放送受信者リスト」横流し・売却時件
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NHK の元営業担当理事からの情報によると、NHK は平成3年春、当時経営が危機に瀕していた「WowWow」に対し、NHK の衛星放送受信者リストの入った磁気テープを不法(プライバシー侵犯他)にも横流し、数千万円の利益を得た、という。
当方が調査したところ、磁気テープの運用・管理を委託されていた NHK 営業サービスの幹部が、かつての同僚で その当時「WowWow」の営業責任者をしていた者を通じてデータを漏洩、横流し していたことが ほぼ明らかになった。
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データ自体は直接、ひそかに受け渡しされたが、報酬は双方の取り引き業者である「チェスコム」という会社を迂回して、なされていたことも判明した。
その後「WowWow」は急速に業績を伸ばし、経営危機を回避したことは想像に難くない。
この時 流されたデータは関東周辺の 2、30万件とも 50万件ともいわれているが、この不正、横流しは その後も引き続き行われ、その量と規模が全国的に亘ったということも、十分に考えられる。
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なお、この時の NHK 営業サービスの幹部とは誰であろう、つい最近 海老沢の指名で副会長に大抜擢された 曽野 洋史・NHK サービス社長である。
全く意外なことと話題になった今回の人事だが、このような背景を考えれば、十分うなずけるものであり、またこの不正事件に NHK トップ、なかんずく海老沢自身も関与していたと思われる。
少なくとも、この件に関しては、平成3年秋には、当方から情報を海老沢に入れてある。
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また、この件を 先の理事が 川口 幹夫 前会長に注進したおり、川口は黙って「騒がない方がいい」と言葉少なに述べたという。
「WowWow」は 郵政と財界の肝煎りでできた「半国策会社」である。 大企業がこぞって出資している。
潰すわけにはいかない ということで、不法、不正を承知で NHK にデータの横流しをさせたのかも知れない。 巨大な政治と権力が背後で働いたと思われる。
3.海老沢の「謀略」
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海老沢は 91年4月、島に追われて、NHK 理事からエンプラの社長に転出した。 降格人事、島流しである。
その4ヶ月後に島は失脚したが、海老沢はすぐには NHK に戻ることはできなかった。
中曽根=浅利 慶太 の推薦による 川口 幹夫 が会長になり、NHK 内部では 島人脈=報道局人脈、政治路線人脈の一掃がなされ始めていた。
海老沢もアンチ島とはいえ、その「報道・政治」派であることには間違いなかった。
金丸=野中 広務 から島追放後の NHK 本体「復帰」を約束されていたものの、中曽根の力を背景にした 川口は、独自色を出そうとしており、海老沢にも なかなか言質を与えない。
一年も経つと焦りが出てきた。 失脚した島も民間人として相変わらず「発言」している。 なんとか局面を打開しなければならないと考えた海老沢は、島を完全に葬ることにしか自分の芽は出ないと考え始め、側近を使い動き始める。
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NHK に 手島 龍一 という政治記者がいる。 海老沢の側近を任じている。 その男が、ある時 当方に接触してきて、海老沢の意向というか願望、要望を告げてきた。
「島 失脚の本当の理由を明らかにしたい。 どこかの週刊誌に書いてくれないか。 それもあなたがいい。 何しろ 島=日高 の決定的ネタを握っているのだから。 そのこととセットで出せば迫力がある。 その後のことは十分に考えさせてもらう」と。
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当方が協力を約すると、海老沢は進んで「情報提供」を申し出、当方と2回に亘って「会談」した。
場所は新宿三丁目、「花園饅頭」の隣の料亭で、席は海老沢が設けた。 その内容は、計3時間余のテープに納められているが、海老沢はそこで、島の不正の内容、退職金の扱いなど NHK のトップシークレットを漏らした。
当方はこの話をもとに 週刊ポストで特集を組む段取りをつけ、実際に3回に亘る「大特集」となり、世間の注目を集め、島=日高 は決定的な打撃を受けた。
海老沢は記事が出ると、直ちに連絡をしてきて、当方にこう述べた。
「すごい記事になりましたね。 これはすごい。 こんな大きな反響が出るとは思わなかった。 ありがとうございます」
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その後、海老沢は 93年に専務理事として NHK に返り咲き、95年には副会長、そして昨年7月に会長に就任した。