【 +3cm −ひと月半前の風景− 後編 】
written by ぱっきーちゃん
公園の遊歩道は、人気もまばらだった。
かつて「真夏の夜の夢」が繰り広げられた木立も、秋に葉を落として以来、未だ芽吹かない。
「変なこと…聞いちゃいましたね」
俯いたままで、マヤは1歩前を歩く真澄に声を掛けた。
「気にしてるでしょ」
「まあ、こういうときには考えるのも悪くない」
彼は微かに口元を緩めた。
踏み折れる枯れ枝の音が二重に響いた。
「やっぱり、今の人生じゃない方がよかったですか?」
「……君は?」
逆に話を振られて、マヤはたじろいだ。
「もしも今と違う人生があったら、と考えたことは?」
しばらく首を振りながら考え込んでいた彼女は、やがてぽつぽつと話し始めた。
「考えたことありませんでした。
あたし頭よくないし。
確かにいろんなことが違ったのかもしれません。
父さんや母さんが生きていてくれてたら、とか、もっと勉強ができてたら、とか。
大学に行って勉強したり、会社勤めをしたりしてたのかな」
「かもな」
「だけど」
マヤの語調が変わった。
「やっぱりお芝居は好きかもしれません。
ううん、きっと好きだと思います。
今もこんなに好きだし、あたしにはお芝居しかないから……
……やっぱり、あたしはあたしでしかないのかも」
ここまで一気に話し込み、だがそこでふと彼女は顔をしかめた。
「でも、あたしがあたしのままだったら、『もしも』の時の速水さんに出会うことはないんですよね。
それって……どうなんだろ……あたし」
そのとき。
「あ……」
マヤが勢いよく上を向いた。
「……降ったな」
真澄も空を振り仰いだ。
白い空から舞い落ちるものを、顔に受けながら彼は見ていた。
「……速水さん……?」
一段と冷え込んできたにも拘わらず、身じろぎひとつせずに、彼は風に舞う雪の中にいた。
少しずつ変わっていく真澄の表情(かお)にマヤは目を瞠った。
(これ……)
傘を貸して二人で歩いた雪道。
そして、海から見た伊豆半島。
(あの時と……おんなじ)
冷えきった体の中で、胸にぽっと火が点る思いがした。
(本当に、好きなんですね)
マヤはずっと真澄の横顔を見ていた。
真澄の中で、迷いの霧が晴れた。
「……確かに」
静かに頷いて彼は続けた。
「もしもはもしもでしかない。
仮定は仮定でしかない。
ここにある現実が全てだ。
君が君でしかないように、俺もやはり俺でしかない。
この人生が最良なのかはわからないが、すべてを否定する気はない。
速水でなければ大都にはいなかったろうし」
ひと息おいて、
「きっと君にも出会えなかった。
そうだろう?」
マヤに向き直った笑顔には、一点の曇りもなかった。
胸に飛び込んできた衝撃に、真澄は確信を深めた。
そういえば。
「背……伸びたのか?」
真澄にはマヤの頭の位置が幾分高く思えた。
「まさか。あたしはチビのままです」
唐突な問いかけに、マヤは肩を揺らしながらすくめた。
「靴のせいじゃないですか?」
―これまでの「違和感」。
「少し踵が高いんです。
いつもベタ靴ばかりだから、これからはこういうのも履くようにって麗に言われて。
もう二十歳すぎたら大人なんだから、って」
そうか。
大人になったんだ。
「『背伸び』もいいもんだな」
2cmのローファーから5cmのパンプスへ。
パフェからカフェオレへ。
少女から女性へ。
少しずつ、しかし確実に縮まっていく二人の差が心地よかった。
「こういうことも楽だ」
真澄は長身の背を倒した。
風に晒され、雪に冷えた顔に、20cm下の頬がふわりと触れた。
「いきなり何するんですか!?」
「なるほどな。確かに便利だ」
真っ赤になって離れる頬を、掌で覆って押し留める。
「人に見られますよ!」
「平気だ。誰もいない」
「そんなに大声で笑わないで!もうっ!!」
「……温かいな」
風花のまま、間もなく雪は止もうとしていた。
冬の終わりが見えてきていた。
(了)
− おわり −
2011.06.12
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