present#7

【 +3cm −ひと月半前の風景− 前編 】 
written by  ぱっきーちゃん

 






「ブレンド」

「えっと……じゃあカフェオレ」

「ご注文は以上で」

「はい」

間髪を入れずに答えるマヤに、真澄はふと違和感を覚えた。
かしこまりました、と下がっていくウェイトレスから視線を戻した先には、自分に向けられた笑顔があった。

「いいのか?」

「え?」

「何も食べなくて」

いきなりな真澄の問いかけに、マヤは首を傾げた。

「お昼ごはんなら食べましたけど」

「いや、そうではなくて……
 いつもいろいろ食べてるだろう?」

怪訝そうな彼女の顔が真澄に向けられた。

「いいんです、今日は」

「やせ我慢はしなくていいんだぞ。
 腹でも壊したのか」

真澄はマヤの顔をのぞき込むように、頭を下げて目線を上げた。

「違います!」

「なら何だ」

むっつりとマヤは口を尖らせた。

「……だって、いつもあたしばっかり食べてるから…。
 何か恥ずかしいじゃないですか。
 そんなの子供っぽくて」

ウェイトレスがカップを運んできた。
立ち上る二つの湯気を挟んで、二人はしばらく無言だった。
ふくよかな香りがゆっくりと流れてくる。

「別にそれでもいいじゃないか。
 俺は何とも思わんが」

「あたしは嫌なんです!」

マヤが大声を出した。
だが真澄にはマヤのこだわりがわからなかった。

「そんなことでむきになる方が、はるかに子供っぽくないか?」

無遠慮かつ無頓着な彼の言葉に、彼女はがっくりと肩を落とした。
拗ねるとも泣くともつかない表情(かお)で、力なくぼつりと呟く。

「…もういいです。どうせ子供だから」

男女の機微に人一倍鈍感な真澄は、やっと事の子細を理解した。

(そうか)

つと顔を上げて店内を見渡す。

「すみません、これを」

視線に気づいてテーブルに来たウェイトレスに、真澄はメニューを示した。



運ばれてきた2皿を前に、やはり二人は無言だった。

片やチーズケーキ、片やチョコレートケーキ。

「何ですか、これ」

「見ての通りだ。種も仕掛けもない」

「それは分かります。なぜなんですか」

剣呑なマヤにしれっと真澄は答える。

「この程度のもので子供っぽいとは言わんさ。
 遠慮しないで食べるといい」

「馬鹿にしないで!!」

木で鼻を括るような答えに、マヤの堪忍袋の緒が切れた。
机を叩くと、食器とテーブルが一つ大きく不協和音を奏でた。

「馬鹿にしてない。ひとつは俺のだ」

「…え?」

驚きのあまり、え、とも、へ、ともつかない素っ頓狂な声を彼女は出してしまった。

「どっちにするんですか?」

「甘くない方」

「どっちも甘いです。ケーキですから」

彼女は真澄の問いの意味を理解しそこね、ただ面食らっていた。
彼は口の端を上げた。

「じゃあ折半だ」

徐ろにフォークを取り上げると、ケーキの上にかざす。
力を入れて押し下げようとした、そのとき。

「ちょっと、それじゃずいぶん不公平なんじゃ…」

マヤが意気込んだ。

「大きさが違いすぎます」

真澄は眉一つ動かさなかった。

「扇形の面積」

「へっ?」

「半径r、内角θのときの面積は?」

「はい!?」

テーブル上にフォークを浮かせてそら書きをする真澄に対し、マヤはすでに異次元に連れ込まれた面持ちだった。

「いったいそれは……」

「面積比が半分になるときの相似比は?」

「う……そ、そうじ……?」

彼女はひたすら目を白黒させるほかない。

「基本だぞ。忘れたのか?」

「……忘れる前に覚えてません」

真澄はひとつ息を吐いた。

「2分の√2だ。ざっと0.7。
 2分の1では面積は4分の1になってしまう。
 だからこのあたり」

と、彼はケーキの上にフォークを当てて静かに力を入れた。
立て板に水の数学話をしながら目の前で淡々と手を動かす男は、彼女にはもはや宇宙人も同然だった。

「数学、好きなんですね」

「嫌いではなかったな。
 物理が好きだったが、それも基礎は数学だ……ほら」

折半した2種類のケーキがひと切れずつ載った皿の1枚を、真澄はマヤの前に置いた。
ふとマヤは、真顔になって尋ねてみた。

「もし速水家にいなかったら……「速水」さんじゃなかったら、今ごろどうしているんでしょう?
 やっぱり大都芸能の社長?
 それとも何か違ってくるのかしら」

「どうだろう」

無造作にフォークを突き立てて、彼は自分の皿のひと切れを口に運んだ。

「そうだな。「藤村真澄」のままで星でも眺めているかもしれないな。
 天文台に就職して、山の上の観測所で」

顔を上げて窓の外を見る真澄の目は遠かった。
マヤは自分の言葉を悔いた。

「山か……まだ雪は残っているだろうな」

空には白く雲が垂れ込めていた。

「……降るだろうか」

マヤは静かに自分のカップを取り上げた。
スプーン山盛り3杯を入れたカフェオレは、それでもまだ苦かった。



もしも、をどれだけ考えても、所詮現実は現実だ。
変えられない現実を前に、どれだけ夢想したところで詮ないことだ。

―それでも、

父が死ななければ。
母が速水家で働かなければ。
己の才覚などというものがあるとして、そんなものを見出されなければ。

……人生は変わったのだろうか。

仲間から引き離されることも。
人の無情を思い知られることも。
母が決して幸福には見えなかった結婚生活を送ることも。
そして訪れた不憫な死も。

……やはりなかったのだろうか。

野球に精を出し、学校で仲間や友達に囲まれ、勉強に打ち込み、望んだ進路に進んでいたのだろうか。
荒ぶ心を抱えて生きることもなかったのだろうか。
まっすぐに人を信じ、心を信じ、愛を信じてこれたのだろうか。

そのとき自分は―


「……さん、速水さん……?」

我に返った真澄の前に、気遣わしげなマヤの顔があった。

「大丈夫…ですか?」

目をしばたかせながら顔をのぞき込んでいる。

「コーヒー、冷めちゃいましたよ」

「……ああ」

やっと周囲が見えてきた彼の目に、手を付けられずにいる皿が映った。

「君こそ食べないのか?」

「だって…速水さんこそ全然……。
 だから、あたしだけが食べてたらおかしいでしょ?」

無理に作った力ない笑顔が切なかった。

「お預けにしたつもりはない。
 遠慮なくどうぞ」

茶化してごまかす姑息さに、彼は気が咎めた。
カップを取り上げ、真澄はひと息でカップの残りを喉に流し込んだ。
冷めきったコーヒーは、渋い上に途方もなく苦かった。
フォークを手にしたものの、そこからマヤは動かない。

「……行こうか」

店を出ようと立ち上がったマヤを見て、やはり何かが違う、と真澄は思った。
さっきと同じ違和感。
理由はまだわからなかった。









− つづく −
2011.06.12

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